夜うさ
□あたしだけが知ってるキス
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映画館を出て、歩いて5分のところにある、館内に併設されているあまり大きくないカフェにあたしは立ち寄っていた。
そのカフェは、映画館から少し離れている上に、一本通りを入るからか、ゆったりと過ごすことができる知る人ぞ知る穴場だ。あたし以外にも、そのことに気づいている映画館帰りの客が何人かいることを知っている。
注文した甘いキャラメルマキアートを一人で飲みながら、あたしは映画帰りの客の話に耳を傾ける。盗み聞きのようで、気が引けるけれど、あたしはついそうしてしまう。映画帰りの人たちは、こうして立ち寄ったカフェで、今観てきたばかりの映画の感想を語り合うことが多い。あの場面はどうだったかとか、あの展開はとか。そして、あの俳優の演技はとか……。つい先ほど上映が終わった映画は、夜天くん主演のラブストーリーだった。
アイドルとしてだけでなく、徐々に俳優としての仕事も増えてきた夜天くん。
甘いマスク持ちの夜天くんは恋愛ものの仕事が多い…気がする。
今日は、夜天くんの出演する映画の初日で、学校が休みのあたしは一人で映画館へと足を運んだ。美奈子ちゃん達も夜天くんの熱烈なファンなので、誘うことも考えたけど、彼の演技を集中して見たい気持ちもあって、敢えて一人でやってきた。お陰で集中して観られた。
彼氏の演技を他の子はどんな風に観たのだろう。他人の評価も気になる。
20代前半くらいの若い女性客が、”夜天”の名前を呼んだことに気が付いて、あたしは、はっとした。
「あそこの夜天くんのキスシーン。すごくよかったよね」
「うん、すっごく色っぽかった。あれで高校生だもんねぇ」
「そうそう。とても、高校生に思えない!キスをした後にさ、髪に指を絡めて、もう一度チュって軽くキスをしたところ。すごくリアルだし、可愛いし、色っぽいしー。思い出しただけで、ドキドキしてくる」
目をハートにして興奮を物語るように、早口になってヒートアップしてくる会話。そんな会話を聞きながら、あたしは、先ほどの映画のそのシーンを思い出した。夜天くんは、ラブストーリーを数多くこなしてはいるが、濃厚なキスシーンは初挑戦。
そういう意味でも、上映前から話題になっていた。話題になっているシーンの評判が良いらしいことが分かって、あたしは、自分が誉められた訳じゃないのに、嬉しくなってきた。それと同時に、ファンの人は、仕草ひとつひとつのそんな細かいところまで見ているのかと、内心驚いた。
ーーすごくリアル 。
その単語を反芻して、あたしは頬が熱くなるのを感じた。確かに、夜天くんはあたしとキスをするとき、余韻を残すかのように、離す前に軽くキスをしてくる。それを、思い出してしまったからだ。
う(そういえば、最近……)
しばらく夜天くんに会えていない。
あたしは、マグカップから手を離し、自らの唇にそっと触れた。彼は今、映画のプロモーションで、ワイドショーやバラエティへのゲスト出演に引っ張りだこで、多忙を極めている。
だから、ほとんど家にいなかった。毎日テレビの中で夜天くんの笑顔を目にするけど、現実で最後に会ったのはいつだったろうか……。
いや、学校でちょこちょこ会ってるか…。でも、軽く挨拶するくらいだ。
あたしの中に、じわじわと寂しさが広がり始めた。
「休日に一人で映画だなんて…暇人だね」
あたしがそんな風に物思いに耽っていたら、隣の席に、バニラシェイクを持った男の子が、遠慮なしに座ってきた。
う「やてっ!?」
それが誰であるかすぐに分かって、あたしは思わず名前を呼びそうになったけど、彼に口を押さえられた。
夜「しっ。ばれたら、大騒ぎになるでしょ」
そう諭されて、あたしは口を押さえられたままこくこくと頷いた。
今の夜天くんは、キャップを目深に被り、眼鏡もしているけど、芸能人が持つ独特のキラキラとしたオーラは健在だ。”夜天光”がいるだなんてバレたら、パニックは免れない。危ないところだった。
う「ねえ、わたしがここにいるって、どうして分かったの?」
夜「君のメールを見れば、だいたい分かるよ。今日映画観に行くって言ってたし、僕と映画館に来た帰りは、いつもここに寄ってたし」
う「う……。それって、ワンパターンってことだよね」
夜「君は、単純だからね」
そう告げると夜天くんは、バニラシェイクをずずっと啜った。
う「甘いの飲むと太るよ?」
夜「僕はお疲れだからいいの。それに、ホイップたっぷりの甘いコーヒーを飲んでる君に、言われたくないんだけど?」
う「あたしも、疲れてるからいいの!」
久しぶりに会えたというのに、憎まれ口のたたき合いになってしまう。
ほんとはこう言う事言いたい訳じゃないんだけど…。
夜「ーー可愛くない」
う「…悪かったわね。」
夜「それ以上可愛くない事言ってると、塞いじゃうかも」
う「っ!//////」
耳元で囁くように言った言葉は、あたしの顔を赤くさせるのには十分な破壊力だった。話題を変えなきゃ…。
う「え、映画、評判がいいみたいだよ。特に、キスシーンが良かったって!」
マグカップを握りしめ言った話題に、あたしは、更に顔を赤くして俯いた。
夜天くんは、ふーんと興味なさげに返事をしながら、テーブルに肘をついた。
なんか夜天くんの視線が痛い…。
う「あ、あと、すごくリアルだって」
夜「ーーそれで?」
う「そ、それでって……?」
せっかく、評判が良いということを教えたのに、当の夜天くんの反応はいまいちで、あたしは唇を尖らせた。
もっと喜んでもいいはずなのに。
文句のひとつでも返そうと夜天くんの方に視線をやると、ばちりと目が合った。真摯な瞳が、あたしを見つめていた。
夜「僕は君がどう思ったか知りたいんだけど?特に、キスシーンとか?」
まっすぐに見つめられて、そんなことを言われたから、あたしの心臓はドクンと跳ね上がった。
夜「ねぇ、教えてよ。うさぎ」
彼の飲んでいるバニラシェイクよりも、甘ったるいであろう声でそう尋ねられて、あたしはくらくらとしてきた。
そんな甘い声で、うさぎと呼ぶのは反則だ。
う「よ、良かったよ。」
夜「……それだけ?」
う「あ……あと……」
あたしは、そこで言葉を区切った。こんなことを言ってしまっていいのだろうか……。少しだけ、躊躇する。
夜「君が感じたのは、それだけじゃないよね?」
夜天くんには、あたしの考えが見透かされてる。ーーそう感じた。
う「最近……キス、してないなぁ…って…」
恥ずかしさで、消え入りそうな声だったけど、あたしは夜天くんにそう告げた。夜天くんは、その答えを聞くと、キャップをさらに目深に被り、シェイクを飲み干した。
そして、あたしの手を取ると立ち上がり、さっさとカフェを後にした。
そのままあたしを引きずるようにして表通りへ出ると、タクシーを拾う。
運転手に、夜天くん家の近くコンビニの住所を告げて、夜天くんはため息を吐きながら、シートに身体を預けた。
夜「ーーほんと、この距離がもどかしいよ……。」
そうぽつりと呟くと、あたしの手をぎゅっと握ってきた。その力強さに、これは現実の夜天くんなんだと、あたしは、やっと認識できた気がして、握り返した。そして、タクシー運転手に夜天くんだとバレない事を祈った。