APH
□一握の想い
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「なあ、名無もそう、思うだろ?」
お前の知らない場所で。この世界は、この国は。俺は。
美しく、綺麗で、平和に。幸せになったぜ?
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「大人になんかなりたくないなー」
男の子に生まれてたら、喜んで大人になったのに。
彼女はそう言ってから、俺の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「もう十分大人だろうが」
そう言って頭に手をおき、髪をくしゃり、と乱してやると、やめてよ、と言って優しく笑った。
その笑顔は、俺が初めて彼女に会ったあの日とは違っていた。
突然彼女はすくっと立ち上がって、俺のロザリオをギュッとその小さな両手で握った。
「…このロザリオ、無くさないでね」
「んでだよ」
そう言って、彼女の手が離れたロザリオをチャリ、と揺らした。
「内緒」
20年前、10歳のお前が同じことを俺に言ったことを、俺は鮮明に覚えている。「このロザリオ、無くさないでね!」なんて、幼い笑顔で、彼女は浮かべていた。
俺はそれに口付けた。彼女の想いが込められたロザリオに。
そんな俺を見て、彼女は訝しげな表情を浮かべた。
「何してるの、ギルベルト」
「…内緒だ」
お前の想いに口付けた。そんなこと、言えるはずもなくて。
「じゃあな」
そう言ってから、俺は振り返らずに戦場へ向かった。
東の空に、星が見え隠れしていた頃だった。
まるで、俺たちの気持ちのように。
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「大人になんかなりたくないなー」
男の子に生まれてたら、喜んで大人になったのに。
名無によく似たそいつは、遠くの海を真っ直ぐに見つめていた。
「オバさんが何言ってんだよ」
そう言ってゲラゲラ笑ってやると、そいつは「言ったなジジイ!」と言って、俺の肩を小さな拳で殴った。
そうして、一人の男のところへ笑顔で駆けて行った。
100年か、もっと前かを生きた名無と同じ事を言ったそいつは、確か名無の曽孫だったか、そのまた孫。
名無は、結局は俺じゃない奴を見つけて。俺じゃない奴の子供を産んで。俺じゃない奴と死んでいった。
そんな名無の遺伝子を克明に受け継がれた女を、俺は今日まで何度見てきたかわからない。
そして多分そいつの子供も、名無にそっくりな女に違いない。
そうでないと、俺は。
このロザリオの存在を、誰に伝えればいいのかわからなくなる。
1度も無くさず、1度たりとも手放したことはないと、誰に証明して貰えばいいのか、わからなくなってしまう。
そうだ。今日も、名無にあいに行こう。
「今を生きてるあいつも、お前と同じ事言ってたぜ」
そう言って、彼女の温もりはとうの昔に感じられなくなってしまったロザリオをチャリ、と揺らした。
「俺様の瞳を見て言ってくれるやつは、お前以外いねぇけどな、名無!」
名無の墓石の前にどっかりと胡座をかき、2つの缶ビールのプルタブをあける。
1つを、俺が持ってきた花束の隣に。1つを、俺の喉に。
それは、今から10年くらい前だった。
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ヴェストはよく働いてくれている。他の国も、苦労しながらもそれなりに生活している。
「世界は平和になった」。俺は名無が感じたかった気持ちを胸に、毎日を過ごしていた。
「よっしゃ、会いに行くか!」
フルートと缶ビール片手に、俺は家を出た。
途中の花屋で買った花束と、缶ビールを2本を置き、名無の墓石の前で、フルートを構える。
空が茜色に染まり始めた頃に、辺りに響き渡るフルートの音色は、俺が名無に聴かせてやろうと考えたのはつい最近だった。
名無に抱いている自分の気持ちを自覚したのは、100年以上も昔なのに、不思議なものだ。
「いっ、」
演奏の途中で、左の中指に痛みを感じた。
そういや、ちょっと前に日記で指を切ったのを忘れていた。
「なあ、名無。もう俺様も若くねえな! …前みてぇによォ、すぐ傷が治んねーんだ」
昔、怪我をして帰ってはハンガリーや名無に叱られた事を思い出す。
「ヴェストにはバレちまうし、お前の前でこんな事言うなんてな」
やっと、やっとだ。
俺は多分、ようやく、きっと、やっと。
お前に思いを伝えられるようだ。100年越しの、この思いを。
フルートをしまい、2本の缶ビールのプルタブをあける。
ぐっと、ビールを喉に流す。ぬるくなってしまったそれに、俺にはなんだか温かみを覚えた。
「っあー、なんかしょっぺえなこのビール」
そう言って、袖で目元を押さえた。
「なあ、名無。俺は、…」
そうして、またビールを喉に流した。一気に飲み干して、ちょっと手に力を込めると、アルミは小さく凹んだ。
「名無」
この世界は、この国は。美しく、綺麗で、平和になったぜ。
この国は、俺は。幸せになったぜ。
幸せだったぜ。
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一回も好きと言わないプー。