long

□C
1ページ/1ページ




それから1週間私と慶の冷戦状態は続いた。模擬戦の結果は15対15が3日、残り4日は私が負けた。

少し不思議に思ったのは、明らかに私と慶は喧嘩中であったにも関わらずそれについて誰も話を聞いて来なかったことだ。桐絵でさえ「…何か悩みがあるなら私に言いなさいよ」と一度言ってきただけだった。
さらに不思議なことに、この状態に忍田さんは完全不干渉であり私たち2人にはいつも通り接していた。
慶も不思議に思っていたようだったが、喧嘩した手前私にも相談できるはずもなかった。

しかし、この期間を使い私は考えを自分なりに整理することができた。
私はきっと慶のようになれなかった自分に対して自己嫌悪に陥ったままなのだ。
だが負けた後も実際模擬戦を繰り返して分かったが、まだ完全に負けた訳じゃない。彼のように成長することは出来なくても、自分なりにコツコツやっていこうと気持ちを切り替えることができた。
1週間前の慶の発言については全く心外ではあったが、もしかしたらその前の小南との会話から気持ちを引きずったままで、私も少し気持ちの切り替えが出来ていなかったかもしれない。しかしそんなものであんなに差がつくとは思わない。殆どの要因は彼自身の成長であり、それを自分自身で自覚できずつい対戦相手の私にぶつけてしまったのだろうと考えた。それ程までに彼は天才なのだ。私がまず理解してやらねばと思った。

肝心の彼との仲直りだが、はっきり言ってどうしたらいいのか分からないのが現状だった。そもそもの喧嘩の原因は彼にあり、私から「ごめん、言いすぎた」なんて言うのは癪だ。それに今まで仲直りというものをしたことがない私なので何て話し掛ければいいのかも分からない。
何かきっかけがあれば、とは思っていたが自分で動く勇気はなかった。

そうして1週間が静かに過ぎていった。


結局先に動いたのは慶だった。


1週間後の土曜日、冷戦状態のまま稽古を終え自宅に帰った。シャワーを浴び、リビングに戻ると人の気配がした。
夜間を除き、私が家にいる内は基本的に我が家の鍵は開けっ放しである。うちには優秀な番犬がいるため知らない人物が浸入してきた場合にはすぐ分かるからだ。
逆に私の知り合いで慣れている人物には吠えないため、私の気がつかない内に来客があることはたまにある。

だから特に警戒心も持たず風呂上がりのままリビングに戻ると、ソファに寝転がる慶がいた。

「…何やってんの、慶」

1週間ぶりの会話としては全く緊張感のない声が出た。呆れているともいう。
どうやら寝転がるだけでなく、うたた寝をしていたらしい慶はのそのそと起き上がる。

「ふぁ…よぉ、##NAMA2##。…っておい!なんつー格好してんだお前!!」

「風呂上がりだもん、しょうがないでしょ」

私は現在パンツ一丁である。首から大きいバスタオルを掛けているため上半身はほぼ隠れているが、全裸に近い。風呂上がりにこの格好でうろついてしまうのは小さい時からのクセだ。

「…いいから早く服を着てくれ。頼むから恥じらいを持て」
「はいはい。うるさいなぁ、悠一くんと全く同じこと言うんだから」
「お前、他の奴の前でも同じことしてんのか!?やめろ!!」
「無許可で浸入してくる奴は皆。悠一くんと小南はあるな…忍田さんとかレイジさんはインターホン押してくるから事前に分かるし。そうだ、なんであんこに吠えられずに内に入れたの?」
「あぁ…家の前まで迅に来てもらったからな。…くそ、あいつ絶対わざと何も言わないで帰ったな」
「あれ、悠一くんとそんなに仲良かったっけ?」
「…あぁ、ちょっと前からな」

この1週間が嘘のようにいつも通りの会話をする。これなら楽に仲直りできるのではと少し期待した。

わざわざ人に頼んでまでうちに不法浸入してきたのは私が中に入れないとでも思ったからだろう。

髪は濡れたままだが部屋着に着替える。訪問についての抵抗はないと伝わればと思い、一応オレンジジュースを出す。バスタオルで髪を拭きながら何も言わず慶の正面に座った。

ジュースを一気に飲み干してから慶は話はじめた。



「まずはごめん。先に謝らせてくれ。兄弟子とは言え、3つも年下の女の子にするようなことじゃなかった。怖がらせちまってすまん。


…俺は初めてお前に負けたときから、ずっと模擬戦でお前に勝つことだけを目標にやってきた。…そりゃもちろん忍田さんみたいに強くなるのが最終目標だけどさ。それは別として。

俺はどんな相手でも油断せず、それでいて常に相手から何かを学んで貪欲に強くなろうとする、お前みたいな奴になりたいんだよ。
そんなお前の強さに憧れたんだ。

それで俺が今までお前に勝つために迅や小南に別で模擬戦付き合ってもらってたの知ってたか?
休日の朝とか、お前が防衛任務やってる間とかな。

だからこの前初めて勝って、めちゃくちゃ嬉しかったのにお前はただ良かったねって。お前全然悔しがってないし、ひねくれてる風でもなかったからもしかして俺を勝たせるために手を抜いたんじゃないかと思った。それで次の日もまたそうだったから、やっぱり手を抜いてると思って俺はキレた。ごめん。胸倉掴んだのも本当にごめん。
お前の言う通り俺は自分の思い込みで勝手にキレてお前に暴力を振った。あのあと滅茶苦茶忍田さんに怒られた。反省してる。ごめんなさい」

そこで慶は頭を下げ一旦話を切った。

想像以上に丁寧に謝られたことももちろん驚きだが、慶の話すことは全て初めて聞いたことで、同時にものすごい衝撃を受けた。

あの時、慶も全く同じことを思っていたなんて考えたこともなかったし、桐絵と悠一くんと模擬戦をしていたことも、あの後忍田さんが慶を叱ったことも初耳だった。

慶が天才だから私が理解してやらなければならない?とんだ傲慢だ。私は初めから慶のことなど何も分かっていなかった。
彼は天才だから、とよく知りもせず表面だけを見て自分が諦め逃げるための理由をでっち上げ、それを本人に押し付けていただけだ。

私は慶に憧れられるような人間じゃない。
引け目を感じて、真摯に謝ってくる慶に申し訳なくなった。

「あのときのことは別にもう気にしなくていいよ…私だって慶のこと何にも分かってなかった。勝手に強くなっただなんて、怒らせるようなこと言ったのは私だし。
こっちこそ、誤解させるようなことしてたみたいでごめん。だけど誓って私は手を抜いてない。慶が強くなったんだよ」

「あー…いや、俺が言わせたいのはそういうことじゃないんだ」
「?」

ガシガシと頭を掻く慶に私は彼が何を言いたいのかさっぱり分からなかった。

「お前さ、多分一番分かってないのは、てか気がついてないのは自分自身のことだと思うぞ」
「??」

ますます理解できない。

「説明難しいな…んーもう、めんどいからぶっちゃけた話をするとな、俺忍田さんに相談しに行ったんだ。
そしたら逆に頼まれた。お前の本音を聞いてきてやってくれってな。お前忍田さんにはいつもいい子のまんまでワガママも弱音も全く言わないから心配されてんの。この1週間だって、周りにも言ってお前から来るのを待ってたらしいぞ?
そんでお前、なんでか知らないが俺には結構ガツガツ文句も本音も言ってくるだろ?俺の前だったら吐き出してくれるんじゃないかと忍田さんは考えたわけだ。
まぁ9割方俺に対する悪口だろうが目の前で言う分には許してやる。さぁ言ってみろ」

「…え?」
突然文句を言えと言われても何を言えばいのか分からない。イマイチ話が掴めないままだ。

「別に文句なんてないけど…?」

「ううむ、そういや忍田さんもこいつは自分で我慢してることさえ気づいてないとか言ってたなぁ…」

何かブツブツ文句を言ってから再度私に問いかける。

「お前さ、俺に負けたとき妙に静かだったけど、どう思ってたんだ?」
「えっ」

どきっとした。慶の稀に見る真剣な目に恐る恐る答えた。
「ええっと、前から慶は実力がどんどん上がってて、いつか負けるだろうと思ってたから特にそんなに。別にそれで慶を恨んだりとかはしてないよ?」

「じゃあ、負けるかもって思ったときにどんな気持ちがしたんだ?まだボーダー初めて2ヶ月も経ってない新人の俺ごときに何年もやってる自分が負けそうって感じたとき、お前はどう感じたよ」
「…っ、それは」

慶のあんまりな言い方にムッとして言い返そうとしたときにふと気がつく。

「……悔しいと思った」

悔しいという感情を今更思い出す。慶の才能と自分の差を思い知ったとき、確かに私は悔しいと感じた。
なんで、今までこの気持ちをなかったことにしていたのか。

「だろう?じゃあ、どんどん追い上げてくる俺に対して焦りはしなかったか?」

「…した」

「そんなに焦ってるのに周りにはそんなこと知られたくなくて、平気なふりをしなかったか?」

「…した」

「本当は誰かに相談したくて仕方なかったのに、平気なふりを続けるのが辛くなって、その気持ちを隠すために諦めたふりをしなかったか?」

「…したっ、」

「いつも誰にも弱音を吐けないで、ずっと泣きたくても泣けなかったんじゃないか?」

「…っ」


もう、限界だった。
膝の上で握りしめた拳にぼろぼろと涙が零れた。

「本当はっ…すごく不安だった…っ、慶はどんどん強くなってくのに、私は全然強くなれないからっ、私の今までの練習は、無駄だったんじゃないかって…悔しくて、怖かったけど、そんなこと言って忍田さんを困らせたくないから、負けても、なんとも思ってないふり、しなくちゃと思って…!!」

自分で蓋をし、見なかったことにしていた気持ちが堰を切ったように溢れ出た。

慶はいつの間にか対面のソファから私の隣へ移り、俯いて泣く私の頭をそうかそうか、と言いながら撫でていた。その優しさに最後の蓋が外れた。

「なんで慶はそんなに強いの…?ず、ずるい、私の方がずっと前から頑張ってやってきたのにっ、学校にだって行けなかったから、ずっと、1人で、忍田さんに褒めて貰えるように頑張ってたのに…っ!!
慶は、家族も、気持ちの強さも、剣の強さも私の欲しいもの全部持っててずるい…、私だってもっと上手くやりたいのに!
…だけど、慶のことずるいだなんて、思いたくないの!もう嫌いなんて思えないの…っ、ずるいって思いたくないって、思わせるのもずるいっ…
家族だってっ…、この部屋で、一緒にご飯食べてみたかった…!いつも1人でっ、寂しいけど、泣きたくても1人で泣いたらさらに悲しいから、我慢して、

「もういい、大丈夫だ律」

慶はしゃっくりを上げる私の背中をさすっていた手をとめ、ゆっくりと私を抱きしめた。

「お前はな、自分で思ってるよりも寂しがり屋で甘えたさんなんだ。それでいて、すごい我慢強くて変なとこで根性あるんだよな。だから弱音を吐きたいときに吐く相手がいないと思って溜め込み過ぎるんだ」

私を抱きしめた大きな手は私を落ち着かせるように、ポンポンと背中を叩く。

「お前の周りの奴らはな、忍田さんだけじゃないぞ、小南や迅だってな、お前の力になりたいんだってよ。あいつらお節介焼きだからな。もっと相談でもお願いでもワガママでも話してやってくれよ。忍田さんだって、あの人俺に嫉妬してんだぞ?なんで律は俺じゃなくて、慶が相手の方が素直なんだってな。知らなかっただろ?」

私が慶にだけやけに素直になれるのは、おそらく初対面のときにいきなり喧嘩して、遠慮がなくなったからだろう。大好きな人たちに本音を言って嫌われるのに怯えていたのかもしれない。思えば誰かに怒ったり、本気で気持ちをぶつけたのは慶が初めてだった。
私はいつも周りから一歩引いた位置でしか接していなかったのだとようやく気が付いた。

「いいか、辛いときは誰かに吐き出していいんだよ。それは悪いことじゃないし、それで迷惑だと思うやつはお前の周りにいない。もっと周りを頼れ、甘えろ。分かったか?」

「…慶は?」

さっそく甘えたくなり、意地悪な質問をして見た。私がとっくに泣き止んでいるのに気がつき、照れたように

「迷惑だと思ってたら、今こんなことしてねぇよ」

と言いながら目を逸らし私の頭を小突いた。
なんだか妙に慣れないこそばゆいような、暖かい気持ちで胸がいっぱいになった。

「慶、ありがとう」

やっぱり照れたままなのか私と目を合わせず、慶は「おう」とだけ答えた。



この後忍田さんのところへ引きずられ2人で謝りに行った。忍田さんは何も怒らないどころか少し嬉しそうだった。

この日を転機に私に余り関わって来なかった新しいボーダーのメンバーにもよく話しかけられ、元々仲の良かった面々は私を甘やかすようになった。 我が家に遊びにくることやご飯に誘われることも増えた。

あの日慶が私の話を聞いてくれていなかったら、周りとの関わり方がここまで変化することはなかったように思う。これは今でも感謝している。

この頃から私と慶は兄妹とも言われる程仲良くなった。

5年たった今でも関係は余り変わってはいないが兄妹ではなく、姉弟と言われるようになった。
つまりお互い成長して私は人並みに大人に近づいているが、慶は昔よりも捻くれ、だらしなく心は子供のままだということだ。




そして今、こんな風に慶との過去を思い出しているのは正しく慶のせいである。
懐かしい昔話に浸っているのではなく、これは明らかに走馬灯だ。
私は慶に落とされ現在進行中でボーダー本部屋上から生身で落下している。

あんのバカぁぁあ!!

叫びたくても恐怖で全体が強張り、受け身の姿勢をとることすらままならない。

だんだん近づいてくる地面を前に私は目をつぶった。


話はその日の朝に遡る。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ