★愛欲の施設 - First Wedge -

□第五夜 逃げない娘
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よく知っていた。

飢えがどういうものかを。

ここ何日どころか、病に苦しむ村でも満足に食べてこられなかった。作物は育たない、働き手も死んでいく。たくわえるだけの食料もなく、看病に明け暮れて、まともに寝た記憶さえ少ない。
希望は断たれ、諦めを覚え、憔悴して生きる力を失っていく。優しさや善意は余裕のある人間には当然のものでも、極限に追い込まれたものにとっては本性がどちらかということでしかない、ということさえ教えてくれた。


「たぶん、久しぶりに眠ったからだ……」


何かが満たされれば、欠けたものが芽吹いてくる。
それが空腹だった。
優羽だってお腹がすけば動植物を食べる。生きているモノを殺して自分の糧(カテ)にし、そうして生きながらえる。彼らの生き方と何も変わらない。ただ、自分が食う立場か食われる立場かという違いがあるだけで、主観的か客観的かということだけしか存在しない。
命とはそうして巡っているものなのだ。息をするように、摂取するのは自然のこと。


「はぁ」


がっくりと肩の力をぬいて、優羽はもう一度寝転がった。
飢えを紛らわす方法は、たった一つしか知らない。


「……寝よっと」


誰に告げるでもなく、優羽はそうして目を閉じた。


「………」


お腹が勝手になる。気のせいだと言い聞かせても、無意味なことはわかっていた。
お腹がすきすぎて眠れない。
その前に、寝すぎて眠れなかった。


「……ッ…」


頭の中に浮かんだ美麗な男たちを片手で追い払う。
眠る原因となった行為が鮮明に蘇(ヨミガエ)り、イヤでも思い出す身体に羞恥がつのった。


「私は…エサ…っ…エサ」


呪文をとなえるように、優羽は自分に言い聞かせる。そうしないと、どうにかなってしまいそうだった。疲れているはずなのに、妙に頭が冴(サ)え渡ってしまって落ち着かない。
せめて水を飲んで気持ちを紛らわせようと、再び身体を起こして優羽は室内を見渡す。
やはり、どこにも何もなかった。
あるのは自分と、自分が座っている布団と呼べるのかどうかさえわからない敷物一式だけ。

ますます途方に暮れかけたその時だった。


「目ぇ覚めてるやん」


晶とは違う男が、ことわりもなく部屋に入ってきた。
一度しか見ない顔だったが、その言葉遣いと荒々しい雰囲気が彼が誰かを伝えてくる。ギュッと、布をつかむ手に力がこもった。


「竜さ…ん……」

「お。なんや、ちゃんと名前覚えとったんやな」


手に何かを持っているが、近づいてくる竜の笑顔の方が気になって優羽は布を握りしめたままジッと警戒していた。記憶がたしかなら、輝とかいう狼に首をしめられたときに笑いながら横で暴言を吐いていた人物だ。

何をされるかわからない。

どんどん近づいてくる竜から距離をとることも出来ずに、優羽は薄い敷物の上で震える身体を必死になだめ続けていた。何かの拍子に飛び出してしまいそうなほど警戒心が増していく。もしもそうなれば、今度こそ死は目前だということも痛いほどに早まる心臓が教えてくれている。


「そない警戒せんでもええんちゃう?」


困ったような、当然といったような、なんとも言えない表情を竜は向けてくる。彼が何を企んでいるのかはわからないが、狼がここに来る理由はたった一つしか思い浮かばない。


「食事の時間ですか?」

「よ〜わかったな。せやで」


彼らが全裸なことは、もうどうしようもない。
いちいち気にしていたらこちら側が参ってしまうと、優羽は一度だけ深呼吸してから竜を見上げた。座る目の高さからして、立ったままの竜のモノはイヤでも目に入ってくるが、優羽はそれに気付かないふりをする。


「っ、わかりました」


声はバクバクとうるさい心臓に比べて静かなものだった。
優羽は掴んでいた布をバッと取り払って、竜に身体をさらす。


「どうぞ」


竜の方に身体を向けて、優羽はきっちり正座をした。背筋をぴんと伸ばして軽く目を閉じる。

どこからでもかかってこい。

内心は、虚像の戦士が鋭い刀を振り回していた。が、いっこうに何も起こらない。
押し倒されるとか、最悪なら八つ裂きにされるとか、わが身に降りかかる災厄を予想していたのに、優羽にかけられたのは爆笑という名の竜の笑い声だった。


「……え?」


目の前でしゃがみながら大笑いしている姿に、優羽の方があっけにとられる。


「あの……」


ひいひいと、苦しそうにお腹を抱えている姿は最初に見た時の印象とはだいぶ違っていた。
逆に心配になってくるほど、竜は目に涙をためて笑っている。自分の行為が何かおかしかったのだろうかと、思い返してみても今までの流れからして特別おかしい部分は何も見当たらなかった。


「………」


笑われるなんて、思いもしていなかっただけに、優羽は竜を見つめることしか出来ない。
そこで気がついた。
竜と自分の間に、葉っぱにくるまれた何かがあることに。
途端に優羽は布を引き寄せて、のぼせそうなほど熱くなった全身を勢いよく隠す。

穴があったら入りたい。

竜は、"優羽の食事"を持ってきてくれていた。


「まさか、そうくるとは思ってへんかったわ」


ひとしきり笑った後で、竜はまだ顔をにやつかせながら優羽の前に食事らしきソレを差し出してくる。


「だ…だって」


真っ赤な顔のまま、優羽は口ごもった。
仮にもエサである自分に食事を与えてもらえるとは思っていなかっただけに、どう反応すればいいのかわからない。
エサとは、食べて糧になるための存在ではないのだろうか。


「食事は俺が担当やねん。人間かて、何か食わな生きていかれへんやろ?」


さも当然のように言われて、ますます虚をつかれる。


「飢え死にされると俺らが困るしやな、第一、抱きがいのない女に興味はわかへん」


よく考えればたしかにそうなのだが、かといって素直に受け入れることに戸惑いは隠せない。エサとしてエサを食べる。「抱きがいのある女」とは貧相な体ではなく、それなりにふくよかな女性を意味するのだろう。やはり、淫らな行為が食事なわけではないのだと、わずかな確信が優羽の中に生まれた。
彼らは丸々太らせてから自分を味わうつもりなのだ。それまでの間、暇潰しとして自分の体をもてあそんでいるのだ。

どうりでおかしいと思った。

そちらの方が、まだ納得がいく。


「太らせてから食べるんや〜とか思てんのやろ?」
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