★愛欲の施設 - First Wedge -

□第四夜 非情な世話係
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「狼に食べられると言われれば…えっと…その…っ…生かしてもらえるとは思っていなかったので───」

「俺たちが、人喰いだと?」

「───ぅっ…はい…ッ…すみません。」


優羽は、小さくなりながら頭を下げる。言葉を選んだつもりが、失礼な言葉を口走ってしまったと、後悔がこみ上げてきた。


「そういうつもりで言ったんではないんです!!」

「間違ってないよ。」

「……え?」


間違っていない?

晶の言葉は、優羽の心の中で反復していく。
間違っていないということは、"人喰い"であることを肯定しているのだろうか。
優羽の記憶が正しければ、彼らの食事方法は直接エサをその牙でかみ砕くことではないはずだった。


「でも、イヌガミ様の食事って…っ」


思い出すと恥ずかしくなる。
相当間抜けな顔だったに違いない。晶は説明するように優羽の顔をみて真面目な表情に変わった。


「俺たちイヌガミ族は、本来なら性力を喰らうだけで生きながらえることが出来る種族なんだけどね。残念なことに、近年ではそれだけで生きてはいけない。なぜかわかる?」


優羽はその問いに、力なく首を横に振る。


「純粋に俺たちに身も心も捧げる乙女はもうどこにもいないからだよ。」


なぜか寂しそうに瞳を曇らせる晶の声に、優羽は胸が締め付けられるのを感じていた。
どこにもいない。
その言葉に秘められた悲しみの深さは優羽にはわからない。


「この身を維持するために、時には"器ごと"喰らうこともある。」


それは、食べるという意味が想像させる行為をお互いに同じものだと認識していいのだろうか。
その言葉に何も言い返せるものが見つからない。人間を「器」だと表現した晶のほうが、器である優羽よりも苦しそうに生きているように見えるのは気のせいなのだろうか。


「死にたくなったら、いつでも言っておいで。俺が、この世から跡形もなく消してあげるよ。」


柔らかな笑顔に身体を石に変えられてしまったのか、茫然と晶の顔を見つめたまま、優羽は動くことが出来ない。
衝撃の内容に、自分と彼らが違う存在なのだと、あらためて気づかされる。
悲しみと寂しさを心に持って生きるイヌガミ様。
直面した現実に、忘れかけていた事実を思い出した。目の前で人間の容姿をしている晶もその狼のひとりなのだ。
命もろとも死ぬことを願えば、跡形もなく、本当に消してくれるだろう。


「その時は…っ…お願いします。」


これから先、それを願う日が来るのかはわからないが、優羽は願うように頭をさげる。


「出来ることなら晶さんのお手を煩(ワズラ)わせることには、なりたくありませんけど。」

「俺も、そう願うよ。」


交わった視線が、ほんの少しだけ温かさを運んだ気がした。
完璧なまでに隔(ヘダ)たりのあった壁に小さな穴が開いたように、近づけたような気がしないでもない。


「他の連中に、殺されないようにね。」


晶の意地悪な物言いに、優羽はガクッと肩を落とした。
今度こそ忘れていた。
この空間には、全部で七匹の狼が住んでいる。ひとりに安全が保障されたところで、全員がそうとは限らない。優羽は、知らずと首にそっと手を当てていた。


「それで?」

「え?」


晶の問いかけに、優羽は現実へと意識を返す。


「自分で拭くのかな?」


身体を隠していた布を持ち上げるようにして確認された優羽は、晶の手から濡れた布を急いでひったくった。
顔の熱がいっこうに冷めてくれない。クスクスと笑いながら静かに腰をあげた晶は、「終わったら、呼んでね。」と、言い残してあっさりと部屋を出て行ってくれた。
意外な優しさに、優羽はポカンと口を開け、晶の背を見送っていた視線を手元の布に戻す。


「………。」


ぬれた布だけを残して消えた晶がいなくなっただけで、ぽつんと孤独な空間に室内が変わった気がした。


「……生きてる。」


その実感が不思議なものであるように、優羽はしばらくじっと自分の手と布を見つめていた。
やがて意を決したように立ち上がると、それに合わせてはらりと、唯一優羽の身体を隠していた薄い布が落ちる。それは床で軽い音をたて、重なり合うようにして誰もいない部屋で優羽の裸体をさらしていた。
まだ傷一つついていない。
複雑な思いを巡らせながら、落ちた布を拾い上げもせずに、優羽はゴシゴシと自分の身体を拭き始める。


「………。」


雑念を払い落すかのように、優羽は布をひたし、よくしぼりもせずに、また身体を拭く。
ぼたぼたと、水が線を描くように肌の上を滑り落ちていったが、それを気にも留めず何度か繰り返していくうちに、不思議と無の感情に支配されていった。
一人になったら泣くと思っていただけに、自分の意外な一面に唖然とする。わざと音をたてて布を洗ってみても、まったくといっていいほど、今の現状に何の感情も湧いてはこなかった。


「………。」


思わず、自分の両手を見つめる。
水の張った器の中に布は沈んでいったが、それさえもどこか他人事のように、優羽は静かに眺めていた。

本当に生きているのだろうか?
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