★愛欲の施設 - First Wedge -

□第一夜 あらわれた姫巫女
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例えば肉食の狼がこの森にいたとして、さ迷って死ぬのも、食われて死ぬのも願い下げだが、このままジッとしていてもいい方向に転ぶはずはない。
森は昼でも色んな生き物の声に溢れているが、夜行性の動物の方が危険なことは知っている。


「はぁ。」


深い森の奥地での野宿は避けたいが、このままだとそうも言っていられそうにない。せめて民家のひとつでも見える場所があるのなら希望も持てるのにと、優羽は肩を落としながら道を見つめていた。


「進むしかない…っ…か。」


導かれるように、優羽は顔をあげる。
どこに繋がっているかはわからないが、消失してしまった不気味な帰り道を探すよりかは、足下の獣道らしき道を歩いた方が安心に思えた。ただでさえ、山の中は何の装備もない少女の体力を奪っていく。


「よし。」


気合いを入れて山登りを再開させる以外に、道は残されていなかった。


「はぁ…はぁ…ッ…あっ!!」


そこから獣道が教える通りに上ってきたところで、優羽は森の木々の隙間がわずかに光りを放っているのを発見した。疲れているはずの足どりが軽くなり、気付いた時には軽く駆け出していた。
やっと森を抜けられる!!


「ッ!?」


一瞬。あまりの光に優羽は視界を片腕でおおい隠した。それでもすぐに、勝てない好奇心に細めた目で視界を開ける。


「ぅ…ッ…わぁ〜」


思わず感嘆の息が漏れた。
目の前には澄みきった池が広がり、黄昏時の太陽の光を受けて金色に輝いている。
残念ながら、期待していた人里とは程遠いが、疲れた体に潤いを与えられる場所であることにかわりなかった。


「みっ水だぁ。」


酷使した身体に休息を与えようと、優羽はふらふらと泉に足を踏み出す。


「ッ?!」


茂みから体を踏み出す直前で、優羽はピタッと足を止めた。
湧き水が作り出した泉の近くに何かいる。
巨大な岩。いや、生き物か。


「そこで何をしている?」

「!!?」


驚いたなんてものじゃない。
確認した姿に思わず息を飲んだ。
白銀の毛並みを夕暮れの光を浴びて金色に輝かせた大きな狼。
その澄みきった瞳が、まっすぐに優羽を見つめていた。


「あっ──」

「こっから出てけッ!!」

「──っ!?」


今度こそ心臓が止まったかと思った。
まさかの出来事に、狼もわずかに視線をそらしたように見えた。


「お前だちだろ!」


少し離れた先から姿を見せた小さな男の子。


「ねっちゃんを返せ!」


突然の遭遇者に、優羽は言葉を奪われていた。狼の視線に答えようとした身体は自然に止まり、木陰に隠れるようにしてその様子を見つめることしか出来ない。


「お前たちが姉ちゃんを…っ…イヌガミ様だかなんだか知らんけんど、こっ…こっから出てけ!」

「なぜだ?」


それは、とても純粋な問いかけに聞こえた。
だが、震える男の子にはわからなかったのだろう。必死に足を踏ん張らせながら、イヌガミらしい狼を涙目で睨んでいる。


「ここは、おいらたちの土地だ!」


茂みから身をのりだし、果敢にも狼に威勢を放つ少年。その訴えは秋風に乗って優羽の耳にもはっきりと聞こえていた。


「勘違いするな。」


そのゆっくりした低い声に、少年も優羽も思わず唇を噛み締める。
目がそらせない不思議な力がそこにあった。


「人間風情が笑わせてくれる。俺たちが、この土地に住まわせてやっているんだ。嫌ならお前たちが出ていけばいい。」

「おいらたちがいなくなったら、餌がなくなってイヌガミ様たちが困るんだぞ!!」

「別に困りはしない。」


淡々と答える狼の姿に、興奮状態の男の子は怒ったように鼻をならす。
それに興味がそがれたのか、イヌガミと呼ばれた狼はフッと視線を泉へと戻した。


「バカにするなっ!!」

「危ないッ!!」


バシッと顔面に当たった石に視界がぼやける。何も考えずに飛び出してしまった優羽は、静まり返った空気にハッと我に返った。


「あ…っ…えっと」


一瞬何が起こったのか、誰も理解出来なかったに違いない。イヌガミに向けて石を投げつけた男の子は、まさか人が飛び出してくるとは予想もしていなかったのか、石を投げた格好のまま固まっていた。本来なら石をぶつけられていただろう狼までもが、驚いたように目を見開いている。
束の間の沈黙。
静まり返った空気を動かそうと視線をさ迷わせる優羽の代わりに、意外にも狼の方が先に口火をきった。


「面白い。」


背後に感じた声に悪寒を感じて、優羽は驚愕のまなざしで振り返る。なぜか、咄嗟に男の子を背にかばっていた。


「なぜ助ける?」


それは、自分でもよくわからない。


「怪我を負わせたことを詫びもしないやつをかばうのか。いいのか、童(ワッパ)は行ってしまったぞ?」


背にかばった子供が逃げ去ってしまうことは無理もないと思う反面、みずから危険な状況に飛び込んだ自分を優羽は呪った。
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