★八香姫は夜伽に問う

□第四夜:隠密に舞う床戦
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「はぁ」

雪乃は一通り回想を終えたところで、間抜けな格好のまま放置された身を案じる。

「〜〜〜っ、しょッ!」

泣きたいほど解決策が見当たらない現実に、心細さが増していく。命があることを幸いと呼ぶのか、この現状を不幸と呼ぶのか、どちらにせよ誰もいない内にこの不気味な部屋から姿を消してしまいたかった。

「はぁ」
「はぁ」

再度、吐き出した息と重なるように聞こえてきた溜息に、雪乃の顔が疑問符に傾く。そして、気のせいだったかと思案し、芋虫の格好のまま動き出したところで、今度は確実に何かの気配が雪乃の動きをせき止めた。

「おい」

腰に鞘(サヤ)の先端があたっている。
床に突き立てるように、刀が体の中心を抑えているせいで、雪乃は床を見据えたまま不格好な形で停止するしかなかった。

「玖吏唐(クリカラ)の野郎、まさか本気で連れ込むとはな。まあ、見てくれはさすが、噂に聞くだけのことはある」

振り向くことも、見上げることも出来ないまま、雪乃は揃った畳の目をじっと見つめて息を殺す。腰に鞘の先端をあてがったまま近づいてくる男の声が、ほぼ真上から降り落ちてくるが、粗暴さの中に人情味のある直江の声とも、甘い中に厳しさを滲ませる兼景の声とも違う。回想の中に出てきた、落ち着いた静かな声の持ち主でもない。

「ッ」

たぶん、口に布を噛まされていなかったとしても、きっと声は出なかっただろう。

「貴様があの八香姫か」

ぐるんっと反転した体は、端整な武士の姿をとらえる。
鞘に収まった刀を持ちながら見下ろしてくる人物は、どこか不機嫌そうに雪乃の瞳を覗き込んでいた。

「騒げば斬る」

低い声が冷気を伴って耳に残る。肌の表面が浮き彫りになった薄い布でなかったとしても、ぶるっと身を震わせるには十分な声色だった。
後ろ手に縛られ、声を封じられた女にまたがり、刀をチラつかせる酔狂な人物。品定めするかのように雪乃の上で腰をかがめ、能面のようなその表情を崩しもせずに男はつまらなさそうな息をこぼしていた。

「ッ!?」

無造作に撫でられた耳が熱い。
品物を確認するように髪に触れ、それを耳から頬にかけてなぞられただけなのに、まるで電流が走ったように体がびくりと反応した。

「さすが、器は一級品だな」

冷酷な含み笑いが悪寒を連れてくる。

「先に断っておくぞ、女」

独特の速度で静かに響く低音が、より恐怖を煽り立ててくるのか、縛られた雪乃の身体が無意識にカタカタと震えだす。それに気づいたのか、男は薄い笑みを浮かべて、面白そうな獲物を見つけたと言わんばかりに雪乃にその美麗な顔を寄せた。

「俺は、貴様に興味などない。だが、来たからには、少し遊んでいけ」

吸い込まれそうなほど深みのある瞳に囚われる。
本当に遊んで行けと思っていないことは、その目を見れば一目瞭然。縛られ、さらわれてきた無防備な女の元に刀を持ち込む男の正体など、知りたくもなかった。

「ほぅ」

何がそんなに気に入ったのか、目の前で転がる雪乃が見上げた視線と交差した閃光が妖しく変わる。

「この俺にたてつこうってのか?」

甲冑をはめた武士というのは、どうしてこうも気位が高いのか。以前、母である野菊がそうぼやいていたのを聞いたことがあるが、なるほど。雪乃も目の前の男をみて同じ感想を抱いていた。
脱がせば八香の勝利。
手練手管を見せてこそ、八香の本領が発揮される。この絶望的な状況で、目の前の男の甲冑を脱がせるにはどうすればいいか。雪乃がこの部屋から命を無事に解放させるには、それしか手段が思いつかないのも無理はない。

「八香の姫も数いる女と変わらんな。まあ、この俺をにらみ返す女は、今のところ出会ったことはないが」

馬鹿にしたように雪乃の身体に跨りながら男はほくそ笑む。

「八香の血が志路家と密接な関係があることがわかっている。我が玖坂は、女で政を左右したりはせん。それに貴様は、甲冑を脱がせば勝てると思っている程度の女だろう」
「ッ?!」
「貴様がどう感じようと関係ない。俺には今ここで貴様の生涯を終わらせる権利を持っている。それも一興。俺にはどうってことはない。ただ、ひとつ難儀するとすれば、兼景が怒り狂って戦ではなくなるだろうがな」

あいつは八香の話になると熱くなる男だとどこか不機嫌そうに呟きながら、男は雪乃の上からその腰をあげる。そして、床に転がったままの雪乃を振り返ってニヤリと笑った。
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