★Abuslave-性妖精たちの鎮魂歌-
□処章 奴隷という身分
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《処章 奴隷という身分》
星が輝きを増し、月が妖しげな光を見せ始める頃。
霧深い森に囲まれた石作りの城下町には、実に心地よい歌声が響き渡る。
子供にとっては眠り歌に、老人にとっては懐かしき思い出にひたらせてくれる。なんとも心休まる魅惑の歌声。
だが、いつもそうとは限らない。
「勝手に休むとは、この愚か者。」
冷徹な男の声の後に乾いた音が響き渡れば、一瞬止んだ子守唄もひときわ大きく美声を放った。
「あ…ッ…アァァ…はぁ、はぁ……」
「奴隷の分際で、主人より先に休むとは…──」
「いァァッァァアアア!!?」
「──…鳴いて歌うしか能がないのだろう?」
「…ンッあ…っ…はい」
声だけでなく、その仕草も瞳もすべてにおいて冷たさを含んだ綺麗な顔は、アゴを持ち上げられた女の目にもはっきりとうつる。
灰色の髪と紫の瞳。
細長い指から続く均整のとれた身体を高価な装飾品と白を基調とした服で包み、その出で立ちからは想像もつかないほどの冷酷な瞳で、彼は紅い唇の端をニヤリとあげた。
「ならば、鳴け。」
「ッ?!」
その直後に奏でられた今夜一番の悲鳴は、時を知らせる時計塔よりも長く、月明かりを反射した街に染み渡っていく。
サディス王国。
一部の限られた種族のみが崇高であるとされ、厳格な階級制度のもと、その統治はなされている。
生まれながらに、王は王、貴族は貴族、伯爵は伯爵。
そして…──
「ミュゼルの純血は手に入れた甲斐がある。」
──…奴隷は一生奴隷のまま。
どれほど過酷な運命から逃れたくても、この世界でそれは望めない。
「どうした?ナクル。今夜はもう終わりか?」
先ほどまで泣き叫んでいた少女は、鎖につながれた体のまま、ぐったりと頭を垂れて気を失っていた。
けれど、それも所詮いつものこと。
「ニイフ。」
「はい。」
髪をかき上げるついでに指名された燕尾服の男は、丁寧に腰を折る仕草と共に、主人の次なる命令を想定する。
「ナクルをいつもの部屋に運んでおけ。」
「は?」
「聞こえたはずだ。二度も聞き直すな。」
「申し訳ありません。」
予期していた言葉とは別の言葉をかけられたのだろう。ニイフの驚いた顔が、さんざん振り回していた皮の鞭(ムチ)を投げ捨てた男の足を止めさせた。
「今夜はアレがある。」
「あぁ。さようでございましたね。」
思い出したといわんばかりに、ニイフは足を組んでソファーに座る主人へと苦笑をなげかける。
その表情に気が緩んだのか、”アレ”について顔をしかめた当の本人もふぅーと深い息を吐き出した。
「サディスティナ家の現当主として出席が義務付けられている。」
「それで、今夜は執拗に奴隷に対して怒りをぶちまけていたと?」
ナクルを鎖から解放させていたニイフはくすくすと笑い声をもらしながら、苛立ちを含んだ声を発した主人へとその視線を送る。
そこでは案の定、少し不機嫌なサディスティナ家当主がいた。
優雅に腰掛けながら足を組み、つい5分ほど前までさんざん遊び道具にしていたナクルをジッと見つめる姿は本当に美しい。
まるで宵闇の帝王かのように、その白いバラのような高貴な雰囲気は、そう誰もが簡単にもてるものではない。
「クラン様?」
自分で命じておきながら、ナクルをよこすような動作をみせた主人にニイフは首をかしげる。
「ナクルではない。貴様だ。」
「はい。なんでしょう?」
またもや予想外の出来事に驚きながらも、ニイフはナクルを床に寝かせて、クランのもとへとその足を近づけた。
近づいて、より確信できる。
長身で、端正な顔立ちをした黒髪の有能な執事。
彼こそが、この最高位の家系を継ぐクランの世話係にふさわしいと。
「貴様にひとつ頼みがある。」
長年の信頼関係をうかがわせる言葉がクランの口から吐き出されると、ニイフは少し嬉しそうにスッとその耳をかたむける。
そこでヒソヒソとささやかれた言葉は、ニイフにしか聞こえない。
「かしこまりました。わが主。」
膝をついて任された仕事内容を承諾したニイフに安心したのか、クランはそこでスッと椅子から立ち上がった。
「あとは頼んだぞ。」
そうして跪(ヒザマズ)く執事を見下ろした後、クランは静かに部屋を出て、屋敷の外へと出かけていく。