★愛欲の施設 - First Wedge -

□第四夜 非情な世話係
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《非情な世話係》

何があったのか、うまく思い出せない。
意識が戻ってきた時に理解出来たことは、ただひとつ。
生きている。それだけだった。


「目が覚めたみたいだね。」

「ッ!?」


ふいにかけられた声に、優羽はパチッと目をあける。そのまま身体を勢いよく起こせば、心臓が暴れたように警戒心をみなぎらせていた。
体のしんどさで息苦しいのではない。獣から人間に変わっていく姿から目が離せないばかりか、端正な顔で穏やかな気配をもつ狼の彼に、体が硬直して動いてくれなかった。口調は優しいのに、なぜか危険な感じがする晶の正体は他とは違う。どうしてそう思うのかと尋ねられても、優羽にはうまく答えられなかった。


「あき…ら…っ…」


表情は笑っているのに、目が笑っていないからか。穏やかに接してくるのに、義務的な感じがするからか。とにかく、何かがひどく矛盾していて気が抜けない。
心を許してはいけない。
優羽は無意識にそう感じながら、身体の上にのっていた簡素な布を強く握りしめて体を委縮(イシュク)させていた。


「そんなに怖がらなくてもいいよ。」


どの口がそういうのか。いまいち信用できない表面上の言葉に、優羽はますます怖くなるのを感じていた。
きっと相手もそれをわかっていて声をかけているに違いない。
怖がっている獲物を追い詰めるのが好きなのであれば、随分性格が悪いと思うが、それも間違ってはいないだろう。ニコニコとした雰囲気のまま、ゆっくりと目の前にやってくる晶を優羽はジッと見つめていた。


「怯えた視線は、俺を誘っているつもり?」

「えっ、ちっ違います。」


検討違いな発言に、優羽は反論を口にする。何を言っているんだと思いながら、勝手に熱くなった顔に優羽は自分が情けなくなっていた。
美しさは凶器と紙一重。神様はうぬぼれさえも許されるのかと、優羽は赤い顔で晶を見上げる。


「っ。」


不公平だ。意地悪い性格でもその笑顔が胸を苦しくさせるのだから情けなくもなる。
優羽は言葉を見失った勢いで晶から視線をそらすと、唇をきゅっと結んだ。それにクスリと笑いをこぼしたあとで、晶は優羽の目の前にしゃがみこんだ。


「父さんも言ったと思うけど、キミは大事な食料だからね。悪いようにはしない。」


その言葉に、優羽は赤い顔をもう一度晶のほうへ向ける。自分と同じ高さになった晶の顔が、より間近にみえてさらにドキドキと胸が鳴くのを感じる。
彼はこの複雑な乙女心に気づきもしないのだろう。それとも食料として存在するエサの身分にある少女が、希望や期待を抱かないとでも思っているのだろうか。
柔らかな雰囲気の晶は、また少し唇をあげながら優羽の脇に水を張った器を置いた。


「水?」

「これは飲み水じゃないよ。身体を綺麗に洗うために持って来てあげたもので、ほら。手、出して。」


頭の中に浮かんだ疑問に対して晶は当たり障りのない言葉で答えてくれたが、テキパキと要領よくこなすその動きは、どこか慣れている節(フシ)があった。無駄がないだけじゃない。
きっと、こういう場面に何度も立ち会ってきたに違いない。
柔らかな布をひたし、適度に絞(シボ)り、水気を払って、ゆっくりと顔をむけてくる。それだけの動作なのに、熟練者のなせる技のひとつに見えた。


「あっ…え…あの……」


当然のように腕を持ち上げられて、優羽はうろたえる。
ひんやりとした布を滑(スベ)らせるように肌にあてられたが、晶は優羽の言葉を待つようにその動作を止めた。
至近距離でジッと見つめられると、どうしていいかわからない。
言葉につまった優羽を晶は小さく肩をすかせることで受け流すと、まるでよくあることだとでも言いたげに、作業を再開させ始めた。


「大人しくしていれば何もしないよ。」


腕をふくその優しさにドキドキしながら優羽は息をのむ。壊れないように丁寧な力加減が心地よくて、変な期待が胸にわきそうになる。そこで優羽はふと思い出したように室内を見渡した。


「涼は、森の巡回。陸は遊びに行ったよ。」

「……え?」


指先から丁寧に拭いてくれる晶の言葉に優羽は耳を疑う。
どうしてわかったのだろうか。
たしかに涼と陸の存在が気にはなったが、顔に出しているつもりはなかった。気配を見つけたところで、どうなるというのだろう。ここに連れてきた責任をとってほしいのか、それとも助け出してほしいのか。
たぶん、心細いだけだと優羽は悲しそうに息を吐いた。
よりどころを見つけるなんて、どうかしてる。
特別な感情は持たない方がいい。彼らにとって、自分は"ただのエサ"。勝手に舞い上がって浮かれてしまえば、あとで辛くなることだけは目に見えてあきらかだった。


「賢明な判断だと思うよ。」

「……え?」


またも言い当てられたことに、優羽は今度こそ驚愕をあらわにする。
もう片方の腕を拭き始めた晶は、その様子に薄い笑いを浮かべることで答えてくれた。


「餌は補充がきくし、腐ったものは捨てられる。」
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