★愛欲の施設 - First Wedge -

□第一夜 あらわれた姫巫女
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《あらわれた姫巫女》

もう、ここがどこだかわからない。
気がつけば森の奥深くを歩き、四方八方を高い木々に囲まれ、見知らぬ動植物が睨みをきかせている中を進んでいた。


「ダメ…っ…さすがに休もう。」


はぁと、歩き通しで疲れた足を休めるために腰をおろしかけたところで、優羽は大きな遠吠えを耳にする。その瞬間、硬直しかけた身体は木々に寄り添うようにして茂みの一角に逃げ込んだ。


「また、だ。」


息を潜めてやりすごすしかない。
とても効果のある方法とは思えなかったが、それでも森の一部と化してしまえば無事にやり過ごせるんじゃないかと本気で思っていた。
狼なんて怖くない。
強く握りしめた右手を左手で包み込みながら、優羽はジッと息を殺していた。
ここ数日、歩けば歩くほど狼の遠吠えを耳にする機会が増えていく気がする。


「まだ、この辺には野生の狼がいるんだ。」


震える身体を落ち着かせるように、優羽は鼻から深い息を吐き出す。噛み締めた唇は、あたりを伺うように神経をとがらせて震えていた。


「でも…っ…どうしよう。」


流行り病で両親と村を無くした後、身寄りを求めて故郷を離れてはみたが、不作続きでどこにも受け入れてもらえなかった。
見知らぬ土地は冷たい。余所者だというだけで、関わりを持つことを嫌う傾向にあるのか、お腹をすかせた孤児を迎え入れてくれる場所などどこにもなかった。


「お腹すいた。」


何日もまともに物を口にしていない。
木の実と水でしのぐ日々を送ってきたが、間もなく季節は変わろうとしている。このままどこにも定住できなければ、どういう結果が訪れるかなど、言われなくても想像できた。
けれど内心、焦ったところでどうにもならない。


「はぁ。」


物憂げなタメ息が優羽の口からこぼれ落ちる。頭の中には先ほど立ち寄った村の映像が浮かんでいた。
少し声をかけただけなのに、迎え入れてくれるどころか、若い娘を求める男たちから逃げる羽目となってしまった。運よく逃げきれそうな森を見つけて足を踏み入れてみたものの、何故か進む道はあるのに帰る道がない。
振り返っても歩いてきた道は草木に隠されたかのように姿を消し、薄暗い視界で優羽の方向感覚はすっかり役にたたないものになっていた。


「だからって、このままここにいるわけにも行かないし。」


木漏れ日の隙間からほんのわずかに覗く空は、黄金色の中に星まで見せ始めている。秋も深まってくると、夜は寒くなる上に、夜目(ヤメ)がきかない身としては自身を守ることさえままならない。このままあてもなくさ迷っていると、危険なことは目に見えてあきらかだった。
その時、誰かが近づいてくる気配を落ち葉が叫ぶ。


「おい、女はどこ行きやがった。」

「ッ!?」


さっき、まいたはずの声が聞こえてくる。


「ったく、貴重な若い娘だってのに。よりにもよってイヌガミ様の森に入るたぁいい度胸してやがる。」

「んだ。姫巫女になりだくなくて、里の女はどんどんいねぐなっからな。」

「最後の生き神かぁ知らねっけど、迷惑な話だぜ。」

「でもこのままじゃ、おらたちも危ねぇよ。」


やはり、最後におとずれた村の男たちだった。
話してる内容はよくわからなかったが、木を一本隔てた先にいる二人の男はどこか怯えているように見えなくもない。


「わかってっけどよ。」


周囲を警戒しているのか、二人の視線は定まらず、優羽を探すこと以外に何か別の理由がありそうだった。


「この森はイヌガミ様の縄張りだぁ。暗くなる前に出ねぇと、おらたちが食われちまうよ。」

「だったらおめぇ、あの女が白い狼どもに見つかったらどぉすんだ?」

「したら、おらたちの村の女ってことにしで、来年の姫巫女を無くしてもらうってのはどぅだ?」


成る程と相方の男が嫌な顔を見せた。
二人で顔を見合わせると、うんっと小さくうなずきあう。


「ッ!?」


その時また、遠吠えが聞こえた。
一目散に走っていった二人の村人の話から想像するに、この遠吠えの持ち主は狼で間違いないらしい。
だが、よくわからなかった。


「イヌガミ様ってなんだろ?」


閉鎖的な村には因習があると聞いてはいるが、優羽は耳にしたことのない言葉に首をかしげるしかない。
最後に訪れた村人たちは祭りが終わったばかりだと疲れたような顔をしていたが、何か関係があるのだろうか。
あの男たちの様子から考える限り、好んで参加する祭りではなさそうだった。


「とりあえず───」


どちらにしろ、野生の肉食獣が近くにいることに違いはない。


「───危険らしいことはわかった。」


うんっと、茂みから抜け出して男たちが去っていった方向に身体をむけてみた。が、また(・・)どういうわけか道が消えている。


「どうなっているの?」


このまま永遠に出られそうにないんじゃないかという嫌な考えは、再びこだまする遠吠えによって見事なまでにかき消されていった。
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