★愛欲の施設 - First Wedge -

□初夜 プロローグ
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だが、忘れてはいけなかった。
悦びと絶望は隣り合わせ。
毎年捧げられる貢ぎ物の意味を考えていれば、娘は快楽の底をこんなにも楽しめなかったに違いない。


「汚れなき乙女でないと、わたしたちは満たされない。」


当然のように幸彦は立ち上がる。
まるで空気が動いたと思わせるほど、その仕草、動作のひとつひとつが崇高で圧巻だったが、快楽を貪る少女だけがそれに気づいていないようだった。


「毎年、毎年飽きもせず、繰り返し残飯を捧げるとは実に面白いことをしてくれる。」


この世にふたつと存在しない美しい容姿と独特な色香を持ち合わせた男の足が向かう先では、卑猥に揺れる娘に不満足な顔をした息子たちがいる。


「いくらわたしたちが性力を引き出そうとも、お前ではわたしたちの渇きは潤せない。」

「アッ…イイのっ…ソコ…〜っん」

「巫女でありながら、他の男と幾度となく交わってきたのだろう。そんなに薄汚れた身体では、わたしたちは飢えていくばかりだ。せめて───」

「ッ?!」

「───その血肉だけでも、わたしたちの喉に潤いを与え、この飢えから救ってくれることを期待している。」


刹那、娘のこぼす快楽の悲鳴が恐怖の色を叫んでいた。柔肌に突き刺さった複数の牙と爪が、ようやく現実を認識した少女の恐怖を丸ごと噛み砕こうと、鋭利な感情となって襲いかかる。


「だ…れ…っか」


紅く散る花。もがく身体をいくら暴れさせても助けが来るはずがない。


「イヌガミさ…ま……」


捧げられた姫巫女は一年に一度だけ、この神の巣窟でその身体を"村人たちが一年間を安全に暮らしていけるため"の生け贄として、その職務をまっとうしていた。
帰る場所など存在しない。
初めから帰れる保証などない。
言い換えれば、命の保証すら姫巫女に選ばれた時点でないのと同じ。


「か弱く愛しい人の子よ。」


霞みゆく少女の瞳には幸彦の悲しい笑みはもちろん、自分を食らう美麗な男たちすらうつっていなかった。
銀色の毛並みを赤黒く染めたなんとも不気味な神の化身たちが、そろって人から狼の姿に成り変わる。


「わたしたちも初めから人喰いだったわけではない。」


もう何色もうつさない瞳を見下ろしながらイヌガミと呼ばれる幸彦も、その姿を本来あるべき姿に変えていく。


「キレイな心をもつものが減ったのだよ。まだほんの数えるほどしか人間がいなかったころは、何年もたったひとりで事足りていた。だが、人間は人間。同じ存在ではないことが、今になってとても悲しく残念でならない。」


圧倒的な寿命の違いが、いつしか彼らを孤高の存在に仕上げていた。
思いを通わせたところで、人と獣は生きる世界があまりにも遠い。満たされない飢え、心の渇きによって、暴虐に染まったイヌガミたちは無差別に人々を苦しめるだけの忌みな存在でしか生きられない。
彼らの牙から逃れようと、最寄りの村人たちが最後の神に提案を持ちかけてきたのは、もう三百年以上も前のことだった。


「毎年酷くなるね。」


毛並みの手入れに舌を舐めていた晶が、ポツリと声を落とす。


「飾り付けだけよく見せたところで、俺たちの飢えは満たされない。」

「肉としては美味いんじゃね。」


輝が嫌味らしく晶に相づちを打ったが、その不機嫌さに便乗したのか、隣から否定的な声が聞こえてくる。


「僕なんて育ち盛りなのに全然足りない。竜、何か調達してきてよ。」

「アホいえ。足りひんのは陸だけとちゃうわ。」

「竜のバカぁ!!」

「なんやて?!」


唸り声をあげて転がり回る二匹の狼を誰も止めようとしない。たんに面倒くさいのか、この場合はいつもの光景なのだろう。「腹減った。」と、呑気にアクビをこぼす涼がいた。


「仮にも神と呼ばれる身であるものが、飢えて死ぬなど笑えますね。」


クスクスと自嘲的に戒が笑う。


「さすがにそろそろ限界ですよ。」

「そうして神と呼ばれた種族はどんどん数を減らしているからね。」


仲間入りも近いと、晶が戒の笑いに被せるように声をもらした。数百年前まではそこかしこに見られていたカミの姿も、年がたつにつれて減り続け、今では自分達しか残っていない。


「次の女が最後だろうな。」


輝の言葉に、戒と晶はそろって顔をあげた。すでに眠りについている涼も喧嘩しあう陸と竜も気づかない振りをしているが、本当はずっと感じている。


「親父も永く生きすぎた。」


細められた銀色の視線の先では、かぼそい呼吸を繰り返す七つの尾を持った巨大な狼がいた。白銀に毛をなびかせ、命の灯火がちらついている。
そこから視線をそらせると、大きな伸びをしてから丸まった輝に、晶と戒は顔を見合わせてそれにならう。ふと見ると、陸と竜も折り重なるようにして眠っていた。


「また一年が始まる。」


空に一筋の星が流れる頃、七匹の孤独な神を見守るように、誰ともなくつぶやく声が聞こえた。

──────Prologue end.
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