★魔力という名の免罪符
□第一章:魔力なんかいらない
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第一章:魔力なんかいらない
《第二話:優しいだけが男じゃない》
いくら暗闇の中でも自分のおかれている状況がわからないほど馬鹿ではない。
鉄格子越しに重なるキスの相手が誰なのか、麻祐はその性格とは真逆の激しさを秘めた熱に驚いてイヴァンを突き放した。
「イヤッ!」
はぁはぁと、麻祐は唇の感触を確かめるように手の指で唇をなぞる。
心臓が破裂したようにドキドキとなり始めて、かたかたと小刻みに体が震えていた。
「何するの?」
イヴァンだけは違うと思ったのにと、ショックを隠し切れない表情で麻祐はイヴァンのほうへ顔を向ける。イヴァンは突き放されたことに驚いていたが、キスをしたことについては悪びれている様子はない。むしろ理解できないとでもいいたげな声で麻祐の問いかけにこたえた。
「何って、魔力の補給だよ。」
「魔力のほきゅう?」
麻祐は聞きなれない単語を話す子供のようにイヴァンの答えを繰り返す。
「魔力の補給にキスをするの?」
この世界の常識は本当にどうなっているのかと疑えてならない。魔力を与えるために強姦もキスも許されるのであれば、女は守られるどころか、いいように扱われているだけなのではないかと怖くなる。
「キスだけで足りないのなら、麻祐の中に僕の全部をあげてもいいよ。」
「答えになってない。」
「意味が分からないよ。」
自分を犠牲にしてもいいといった風にもとれる言い方で、当然のように性交渉を提案してくるイヴァンのほうが理解できないと麻祐は首をふった。
「イヴァンは女性が求めれば、誰にでもキスをしてエッチなことをしてあげるの?」
答えはノーであってほしい。けれど、非情にも残酷なこの世界の住人は、当然のように首を縦に振る。
「そうだよ。魔法を使うためには魔力が必要不可欠だろ?」
「なにそれ。」
「この世で生きるために必要なものは女の人にしか作れない。魔力が尽きれば女の人は死んでしまうし、求められて断るってことは見殺しにするのと同じ意味だ。女の人の頼みを拒否すれば場合によっては罪にもなる。それに、国のために魔法を使う巫女がいるけど、彼女たちに魔力を奉仕する役は妻のいない男たちの義務でもある。僕たち男は生きたければ、世界の女性を守る義務と責任があるんだ。」
今日一番の衝撃を受けたと言っても過言ではない。麻祐は絶句してイヴァンの言葉を首を振ることでしか聞けなかった。なんてひどい世界なのだろう。
気づけば麻祐は、口をおさえて鉄格子の向こう側にいるイヴァンを憐れみを込めた目で見つめていた。
「そんな顔しないでよ。」
「だって、イヴァンたちにも誰としたいか選ぶ権利があるはずでしょう?」
「選ぶ権利のあるなしに男も女も関係ないんじゃないかな。この国では一部に恋愛の自由は認められているから、好きな女性と結ばれれば最高に幸せだろうね。でもまだ上流階級者や他国では、士族繁栄のために政略結婚が通例でしょ。圧倒的に男の数のほうが多い世の中だし、そう思う通りにはいかないよ。夫をもたない女性への悲劇は容易に想像がつくから、上流階級じゃなくても大抵の女の子は生まれた時には夫が決まっていることが普通だしね。まあ、親としては娘は早く嫁がせておきたいと思うんじゃないの。」
だから、僕みたいに後ろ盾があまりない男は行き遅れる羽目になるとイヴァンは言う。
「麻祐は何歳?」
「え、あ。二十二歳よ。」
「夫も持たないまま、その年まで健康に生きてこれたのは幸せだ。」
国が違えば文化が違うとか、育ってきた環境が違うとかそういうレベルの話ではないのだろう。生きてきた世界が違えば、常識や概念なんて当たり前のように違うもの。麻祐は悲しそうに笑うイヴァンに何も言えずに、ただ黙って沈黙を守っていた。
「郷に入れば郷に従えっていうし、麻祐も早くこの世界に慣れたほうが気が楽になると思うよ。」
「え?」
思いがけない発言に、麻祐は衝撃も忘れてイヴァンのほうに体を寄せる。
「イヴァンは私が別の世界から来たと思うの?」
「うん。ティオから聞いてたって言うのもあるけど、一目見て確信したって感じかな。だって、五歳児でも知ってる常識を知らない二十二歳の女の子なんて、この世界の子じゃないって言われたほうが納得するよ。」
あははと笑う声があまりにも無邪気で、麻祐は少し肩の力が抜けていくのを感じていた。
顔がわからないのもあるのかもしれない。イヴァンのとった行為はこの世界では誰もが当たり前の常識で、非常識な態度をとったのは自分のほうだと麻祐はどこか素直に聞き入れていた。
ここは自分の知っている世界ではない。
彼に詫びてもらえないことを嘆くより、怒りもせずに色々と教えようとしてくれる態度のほうを評価するべきかもしれない。
「ありがとう、イヴァン。」
顔も素性もわからない。牢にとらわれた得体のしれない女の命を心配してくれるイヴァンは本当に優しいと思う。