★提供人形 -Donor Doll-

□第一章 先祖返り
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第一章 先祖返り
《第二話 恐怖の洗礼》

ボーン、ボーンと低い重点音が体の奥を震わせる。
時刻は夜中の二時を知らせ、丑三つ時の怪しげな雰囲気が漂っていた。


「っん」


少し眉をしかめてから沙耶は薄目を開ける。視界の端がほのかに明るく、オレンジ色の柔らかな光がぼんやりとした室内を映し出していた。
ここはどこだろう。
うまく機能しない脳が疑問を頭に浮かばせる。
見覚えのない薄暗い部屋、カウンター越しに二人の男性が向かい合っているが、絵のように雰囲気のあるその姿に、ここはまだ夢の中だろうかと沙耶は覚めない意識の中で思う。


「目ぇ覚めた?」


おでこに触れるひんやりとした手のひらが心地いい。


「だ、れ?」


想像以上にかすれた声しか出せなかったが、夢の中のその男性は囁くほど気持ちいい声色で「冴鬼 霧矢(サエキ キリヤ)」だと名乗った。
どこかで聞いたことがある気がする。
どこだったかとぼんやりと働き始めた記憶をたどったところで、沙耶はバチっと勢いよく瞳をあけた。


「ここ、どこ…っ…ですか?」


思わずゴクリとのどを鳴らしてしまったのは、先ほど夢の中では少し離れたカウンター先にいた男性が二人ともそろって目の前にいたからに他ならない。
タイプの違う綺麗な容姿は、間近で見ても想像以上に格好良くて少し焦る。


「覚えてへん?」


にこりと微笑む男性の顔には見覚えがある。冴鬼 霧矢という名前でどうしてすぐにわからなかったのか、その類を見ない色気をまとった雰囲気と独特の話し方に沙耶は昨夜の出来事を思い出した。
いや、少し自分の記憶がところどころ怪しい。
どうしてここにいるかがわからない。ここがどこかも見当がつかない。夢の中では何か怖い思いをして誰かと一緒に走っていたような気もするが、沙耶にはそれが何かが思い出せずにいた。


「大丈夫?」

「え?」


まだ自分の記憶が思い出せる範囲での霧矢という人物の認識は、「昨夜、大学からの帰宅途中で変質者に襲われそうになったところを助けてくれた人」だった。あの時は暗がりにある電灯だけが頼りでその顔はよく見えなかったが、今あらためて目の前にいる彼を見て、沙耶の顔は赤面する。


「可哀想に、怖かったやろ。」


首筋にのばされた霧矢の腕に、沙耶の肩がピクリと震える。
なぜか彼から目をそらせない。
青い瞳に見つめられていると何か大事なものをすべて見失いそうになる。


「名前、なんていうん?」


心地よくて柔らかい問いかけに、沙耶の思考回路は停止していた。
どこかうつろに変わり、光を見失ったようにボーっと遠くを見つめる沙耶の視界には、今は何も映っていない。


「沙耶。」


沙耶は無機質な感情のまま、自分の名前を口にする。


「沙耶ちゃんは、何歳でどこから来たん?」


隣にどさっと名前の知らないもう一人の男性が腰かけた気がしたが、沙耶は無抵抗に霧矢の瞳を見つめたままでいた。優先するのは、抵抗ではなく回答。
霧矢「様」が私に答えを求めている。


「私は十九歳で、大学に通うために東京から来ました。」

「そうなんや。お父さんとお母さんも一緒に?」

「いえ、家族は東京にいます。今はマンションを借りて、一人で暮らしています。」


首筋を霧矢の指が優しくなぞる。
隣の男性に腰を引き寄せられた気がしたが、沙耶はまるで人形のように力なくされるがままでいた。
ふわふわと気持ちいい。
夢から覚めたはずなのに、また夢の中に帰ってきたみたいだった。


「沙耶ちゃんはバーサーカーって知ってるん?」

「バーサーカー?」


その名前は聞いたことがない。
もともと流行や世間に詳しいほうではなかったので、誰もが聞いたことのある単語以外で説明を求められてもこたえられる知識を持っていなかった。もちろん沙耶は素直に、その疑問を表情に出す。


「知らねぇわけねぇだろ?」


今度は隣から抱きしめるように顔を寄せてきた男性の目に沙耶の意識は吸い込まれていく。
知らないものは知らない。わからないものはわからない。
けれど彼はその答えに納得できないようだった。


「人間になったのはいつからだ?」


その質問を聞いた瞬間、沙耶の指先がピクリと強い反応を見せた。


「っ…にんげ…ん?」


走馬燈のように記憶がよみがえってくる。十日前、東京から大阪にやってきた沙耶は、まだ人鬼だった。まだ牙があり、血を飲んで寿命と若さを保ち、未来への希望に満ち溢れていた。
その兆候が表れたのは約一週間前。
はじめは、慣れない生活のせいで体が血を受け付けなくなったのかと思った。そして徐々に空腹感を感じ始め、二日後、今度は血を完全に必要としなくなる。両親からの仕送りで非常食を買いあさり、人目を避けるようにして空腹をしのいでいた。そして今朝、沙耶は完全な人間に変化していたのだ。
体ごと。
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