★愛欲の施設 - Love Shelter -
□第4話 水音の奏(カナデ)
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《水音の奏》
最近、戒(カイ)が家にいることが多い。
世間では、穏やかな初夏の始まりに長袖から半袖へと衣替えを始める頃だが、戒は大学へも図書館へも行かず、ここのところ毎日家にいた。
今日もよく晴れた金曜日だというのに、朝から戒はリビングで読書をたしなんでいる。
「戒は、勉強しなくていいの?」
ひょこっと、ソファーの背もたれから優羽は戒を覗き込む。
さらさらと音をたてそうなほど、艶やかな戒の髪がゆれ、読書の邪魔をした優羽をゆっくりと見上げた。
「優羽は、意外に失礼ですね。」
率直な優羽の質問に、戒は苦笑の声で答える。
今日も優羽は幸彦から贈られてきたらしいワンピースを着ているが、少し伸びた髪と焼けてない素肌が、ここに来たばかりの頃より、少しあか抜けて見えた。
「優羽こそ、暇そうですね。」
「え?」
「ここ数日観察していましたが、毎日ダラダラ過ごしていたようなので。」
うっ。と、言葉につまるのも無理はない。
パタンとわざとらしく読んでいた本を両手で閉じた戒をソファー越しに見下ろしながら、優羽は一歩後ずさる。
「少しは慣れましたか?」
「えっ?」
「緊張感が消えたみたいですから。」
「ッ!?」
ソファーに腰かけたまま、振り返った戒の視線にやられる。
黒というよりは濃紺にも見える戒の瞳の中に、赤く潤みを帯びた自分がうつってみえた。
キレイ
絵になるその斜めからくる視線に、優羽は射止められたように動けない。
「二人きりで見つめあって、何をしているのかな?」
「あっ、晶。おかえりなさい。」
優羽の金縛りを解いたのは、手を伸ばそうと少し体をひねった戒ではなく、ただいまと笑う晶だった。
ふんっと、どこか冷めたように鼻をならして、戒は本の背表紙をなでる。
ピリッと、ほんの一瞬殺気が交差した気がしないでもないが、優羽は気づかない振りをしてソファーの背もたれに体重を預けた。
「戒がね、最近家にいるから少し心配してたの。」
「戒が心配?」
「うん。だって、大学の単位とるからって毎日のようにいなかったのに、ここ最近家にいるようになったから、なんでかなって。」
晶の疑問に優羽は、素直に首をたてにふる。
そもそも戒に声をかけたのは、何か言えない悩みをかかえているんじゃないかと、少し気になったからだった。
「戒。優羽が心配してくれているよ?」
「心配されるようなことは何もありません。」
ふんっと顔を背けた戒に、優羽は少し悲しそうに口を結ぶ。
ここ二ヶ月あまりで、大分くだけた関係を家族と築けるようになってきたのに、やっぱりまだ上手くまわらないところがある。
特に、普通の兄弟以上でも以下でもない戒と陸は、どこか空気がぎこちない。
「戒。優羽に当たるのはよくないよ。」
「晶のせいですよ。」
「はいはい。講義の調整を頑張った戒の邪魔をして悪かったよ。」
クスクスと笑う晶とどこかふてくされた戒。年の離れた美形兄弟のやりとりは、見ていて飽きない。
少しうらやましいと思う気持ちもあるが、どちらかといえば自分も早くその輪の中に溶け込みたかった。
「晶も戒もすごいね。」
「ん?」
「そんなにカッコよくて、頭もいいならモテるでしょ。」
くったくのない優羽の笑顔に、どこか白けた視線がふたつ向けられる。
たしかに浮き世離れした容姿と雰囲気のせいで言い寄ってくる女は後をたたないが、世間知らずとは実に怖いものだと、晶も戒もそろって息を吐き出した。
「優羽が思うほどモテませんよ。最初は物珍しくても、それが当たり前になれば次第に注目もされなくなります。」
「え。どうして?」
きょとんとして見つめてくる優羽に、晶と戒は顔を見合わせて何と答えればいいものかとお互いに困ったように笑う。
けれど、そのやりとりを見ていた優羽は、たまらなくなって抗議していた。
「だって私は、毎日みんなと一緒に暮らしてるけど、いつもカッコいいなって思うし、ドキドキしっぱなしだよ?」
世の女性たちもきっとそうだと、照れもせずに優羽は晶と戒の間に立つ。
何をどうしてそんなに悔しがるのかわからないが、すねたように口をとがらせて、モテることを認めさせようとする優羽に、晶も戒と同時にクスッと笑い声をあげた。
「優羽は、本当に可愛いね。」
「相変わらずバカですよ。」
「え!?」
どうしていきなり自分の話題になるのかわからない。
晶と戒が二人がかりで頭を撫でてくるが、どうしてそういう扱いを受けているのか理解できない。
「もっもぉ、私じゃなくて!とにかく、私は魅壷家にこれて幸せだし、みんなのこと大好きだから!」
まるで捨て台詞のように、優羽は赤い顔のまま走り去った。
──────……
「い…言っちゃった。」
収まらない動悸を感じながら優羽は、駆け込んだ自室でズルズルと壁にもたれてしゃがみこむ。
そのとき、ふと視線に飛び込んできたベッドに幸彦との情事を思い出して、また違う動機が心臓を動かし始めた。
「もぉ、やだぁ。」
忘れたくても、脳に焼き付いて忘れられない。
嫌だと涙を流しながら抵抗していた自分が過去のものになってしまったかのように、体が熱くなってくる。
記憶以上に、身体が鮮明に男を記憶していた。
囁かれた吐息も交わされた口づけも、強引に突き抜ける快楽でさえ、本人無き今も優羽を犯していく。