★愛欲の施設 - Love Shelter -

□第1話 歓迎の悶(モダ)え
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《第1話 歓迎の悶え》

静かな昔ながらの住宅街。周囲の建物は古く、所々新しいのが混ざるものの、ここ数年で目立った開発もない。
平日の昼間に歩く人はおらず、時々どこかの主婦が、買い物に出掛けるために車を走らせる音が聞こえるだけだった。


「ここだね。」


冬の気配は消え、暖かさを勘違いした桜の花が、まだツボミのままの兄弟たちの間で静かに揺れている。
薄い雲と水色の空。
やわらかな春の日差しの下で、周囲に馴染んだ小さな建物の前に、不釣り合いな黒塗りの高級車が止まった。


「魅壷様。お待ちしておりました。」

「学園長だね。」

「はい。お電話いただいたときは、まさかと驚かされました。」


見るからに高そうなスーツをまとった同年代の男を前にして、学園長と呼び掛けられた男は、そのハゲかかった頭に手をおきながら、幸彦を焦燥と疑心の混じった笑みで迎える。


「あなた様ほどの有名人が、本当にあの子を?」


何度聞いても信じられなかった。
最初電話で連絡がきたときも、この児童養護施設の学園長は、どこか嘘だろうと思う気持ちを持っていた。海外でも一目おかれるほどの金持ちが、下手をすればその辺のモデルや芸能人よりも人気の有名人が、なぜこんなところへ。


「きみが深く考える必要はない。」

「しかし。」

「私は早く会いたいのだよ。」


拒否や反論を許さない物言いに、学園長はどこか納得いかない顔のまま、その秀麗な男を学園の中へと案内した。
中は外の静けさと違い、小さな子供の泣き声や駆け回る音などが響いている。


「おや。」


案内されるがままに学園長の背中をついて歩いていた幸彦の足が止まった。


「っ!すみ……」

「すみません!大丈夫ですか?」


何事かと振り返った学園長よりも早く、駆け寄ってきた少女が頭をさげる。
肩より少し長い髪、あか抜けない格好と化粧もしていない素朴な顔立ち。


「優羽。」

「え?」


前方不注意でぶつかってきた子どもの頭を撫でながら、幸彦は頭を下げる少女の名を呼ぶ。
もちろん、会ったこともなければ、見るからに金持ちそうで、カッコいい紳士の知り合いなどいない優羽は、驚いて顔をあげた。


「ちょうどよかった。優羽さんも一緒にこっちきて。」

「え、あ。はい、学園長。」


訳のわからない事態に戸惑いながらも、優羽は、子どもをその場から立ち去らせて学園長の言葉にならう。

誰だろう。

学園長の知り合いには見えない。もちろん、友人なんてことはあり得ないだろう。長年この施設にいるが、今まで見たこともなければ、関わったことのない人種だということはすぐにわかった。
いい匂いもするし、学園長がたまによそ行きで着ていくスーツよりも全然高そうで、なによりその姿が惹き付けられるほどに綺麗で、同じ人間なのかと疑ってしまう。


「学園長、これはいったい。」


流れるまま学園長室に招かれた優羽は、促されるようにして、スーツの美紳士の横に腰かける。
けれど幸彦との間には、なぜか大人一人が座れるほどの間隔があいていた。


「驚かせてすまない。」


学園長が答えるまでもなく、その紳士は優羽の方へと体をむける。
柔らかな声と優しい眼差しに、優羽は顔を赤くしながら、小さく首を横にふった。


「い……いえ……」


うまく声がでない。
妙な緊張感とドキドキとうるさい心臓のせいで、喉が急速に乾いていた。


「はじめまして、優羽。わたしは魅壷幸彦という。」


紳士に握手を求められれば、どうもと握り返すしかない。
大きな手はすべすべで温かく、手入れされているようにキレイなのに、男の人特有のいかつさがあった。
どうしよう。
心臓の音が伝わってしまうんじゃないかという恥ずかしさが込み上げてきて、優羽はギュッと目をつぶる。


「優羽さん。驚くと思いますが、魅壷様は、あなたを家族に迎えたいとおっしゃっています。」

「えっ?」


手を握ったままバチっと見開いた優羽の目に、ニコニコと嬉しそうな幸彦の顔が写る。
驚かない方が無理だろう。


「い、いま、なん…っ…て?」


声がかすれて上手くでない。
けれど、一向に離れようとしない握手が学園長の言葉に真実味を与えていた。


「優羽さん。あなたが望むのなら、養女として魅壷家に入ることができます。」


でも。と、言葉を濁す学園長の気持ちはよくわかる。いきなり現れた得体の知れない男が、あえて年頃の娘を所望しているのだ。
何か裏があるに違いない。
秀麗な雰囲気の表の顔の下は、もしかしたら腹黒い企みで満たされているかもしれなかった。
たしかに、身よりのない優羽は、もうじきこの施設を出ることになっている。けれど、身寄りもなく、先行きが不安なこともまた真実だった。
正直、複雑な心境。
どう答えればいいか困惑する優羽の手から、幸彦の手が離れる。


「わたしと家族になろう。」


胡散臭い。でも、冗談にもみえない。


「本当は、もっと前から家族に迎えたかったのだが、なかなかそうはいかなくてね。」

「優羽さん、無理にとは言わないよ。君にも決める権利があ……」

「何も心配はいらない。それにほら。法律上では、もう家族だ。」

「「はっ!?」」


ポカンと開いた口がふさがらない。
驚いたように幸彦が背広から取り出した紙をひったくったのは、優羽ではなく学園長だった。
紙に記された内容が本物だったのだろう、わなわなと握りしめられた手の中で、戸籍謄本はグシャっとしわを寄せて形を変えていく。


「あとは、優羽次第だ。」


不思議な力をもった声だと思う。
頭では危険だと警鐘を鳴らしているのに、心の奥底から沸き立つ感情がそれを無視させる。
何の取り柄もない自分を引き取ってくれる人なんて今までいなかった。家族が欲しいと何度願ったことだろう。
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