★八香姫は夜伽に問う

□第四夜:隠密に舞う床戦
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「何を驚いた顔をしている。そうだ、兼景と戦を交える玖坂元史(クサカモトチカ)とは俺のことだ」
「ッ!?」

まさか、誘拐されてきた先が敵将であったことなど夢にも思わず、雪乃は声を出すのも忘れた瞳を見開いて、目の前の男を凝視していた。見た目は自分より少し年上か、兼景と変わらない年の青年。世の中で言えば端整な美丈夫の部類に入るのだろうが、その目は何度も人を殺めて来たのか、奥底の見えない深い黒を携えていた。

「兼景はここに来る前、貴様を抱いたか?」

その質問は、純粋のようでいて尋問のようにも聞こえた。

「戦神の血をひく八香姫の夜伽を召したものは、必ず勝利を約束されると聞く。応えろ、女」

一瞬、本当に死んだんじゃないかと勘違いした雪乃の声が、はらりと落ちた口枷に混ざって大量の空気を吸い込み、ゲホゲホと咳き込む。荒く変わった呼吸の奥から本当に心臓まで一緒に吐き出してしまうのではないかと疑えるほど、雪乃の心拍は異常に跳ね上がっていた。

「このまま首をはねてもかまわん」

目と鼻の先に、ぬらりと光る銀色の刀が先端をこちらに向いて迫っている。
いつ鞘から抜いたのか。
口は解放されて新鮮な空気と声を得たはずなのに、雪乃はまだその声を出せないまま固まっていた。

「あーあ、やっぱり、こうなってしまうのですね」
「玖吏唐(クリカラ)、誰が入ることを許した」
「許すも何も元史(モトチカ)さま。仮にも一国の姫にそれはないでしょう」

安易に刀を向けて脅すのはどうかと笑っている声の主は知っている。ここまで運んできた人攫い。

「どうして玖坂が、私を」

声がかすれ、少し上ずってしまったのは仕方がない。目の前で刀先を向ける男と、その男を怖がりもせず淡々と近づいてくる優男。顔見知りではないが、さすがに二人並ぶと圧巻ともいえる風貌に、気圧されそうになる。

「貴様の質問に答える義理はない」
「わっ私だってあなたの質問に答える義理はないはずよ」
「そうか」
「そうかって、え、なっ、キャァッ?!」

縛られた体は不便なことこの上ない。暴れることも出来ないまま、雪乃は頭側に回った玖吏唐に手首ごと体を支えるように持ち上げられ、不本意にも立ち上がることを強制される。相対して初めて、雪乃は二人の男が自分よりも背丈が高く、予想以上に大きいことに気が付いた。

「どうしてこんなこと」
「それはあなたが知ることではありません」

淡々と背後から答えてくれる声は相変わらず静かで落ち着いている。それが余計に雪乃の心情を泡立たせ、焦りと不安を連れてきていた。

「元史さまの質問を、代わりに応えて差し上げましょうか?」
「っ…ヤッ」
「拒否は許されません。あなたは志路家から玖坂家への献上品なのですから」
「なっ!?」

背後から囁かれる言葉に驚いた雪乃の瞳が、目の前の元史から後ろの玖吏唐へと流れていく。聞き間違いでなければ、確かにこう言っていた。

「献上品?」

ニヤリと笑われた雰囲気に、思わず顔が赤く染まる。挙句、すぐ近くで刀が鞘に収まる甲高い音が聞こえて、雪乃の顔から血の気が引いていった。

「あ〜〜ッ…やっ」

「来ないで」と、そう言ったはずなのに、逃げようとひねった腰は玖吏唐に抑えられてびくとも動かない。そのまま近づいてきた元史にあごをつかまれ、無理矢理持ち上げられたその先は、想像すらしたくなかった。

「俺は貴様に興味はない」

何度目かの宣告を今度は食われるように告げられる。

「だが、戦の勝利を約束する姫を相対する武将が抱いた場合、その結果がどう出るのか、兼景がどういう顔をするのかは興味がある」
「な〜〜っんッ!?」

深い闇に吸い込まれるように、近づいてきた唇が静かに重なる。あまりにも不意で、自然に重なってきた唇に、雪乃は拒絶する間もなく元史の行為を許していた。

「ッ!?」

割られた唇の中に舌を差し込まれるようになって、ようやく思考回路に回ってきた緊迫感が現実を認識する。驚きのあまり閉じるのを忘れていた瞼にギュッと力が入ると同時に、危険を察知して暴れようとした体が背後の男に食い止められる。

「〜〜〜〜っ…はぁ…ぁ」

頭がぼーっと熱を帯びたように意識を曇らせていく。長時間縛られた体は血の巡りを鈍らせ、正常な思考回路を雪乃から奪おうとしていた。口付は交わるための前戯。甲冑を脱がすことを目的とするならば、八香の自覚が欲望に染まっていく。

「どうした、まるで盛りのついた雌だな」

だらしなく舌をだし、蕩けたように瞳を滲ませる雪乃の中にクスリと笑う元史が映る。

「八香の女は簡単に股を開く浅はかな女だというが」
「っぁ…ぁ」
「どうやら貴様も例外ではないらしい」

くすくすと何がおかしいのかはわからないが、元史はアゴを持ち上げた雪乃の瞳を覗き込むようにしてその双眼の笑みを深めていた。深い深い漆黒の闇。戦乱の時代において、それなりの地位に上り詰め、生き残っているということは、すなわちそういうことを意味していた。
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