進撃の巨人
□砕けた恋の後には
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「…おい、こんな所で何やってんだよ」
夕食も終わり、誰もいなくなった食堂にぽつんと人影があって…俺はその人影に声をかけた。
最小限の灯りしかないその空間での人影は正直驚いたが、今はそれどころじゃねぇ。
少し前、同期の奴らがナマエがいないと騒いでいた。
俺かミカサかアルミン…俺達三人がいなければ必ず他の同期の誰かと一緒にいて、一人でいる事なんて滅多にないナマエがいねぇなんて只事じゃない。
同期でナマエと仲の良い奴ら全員で探して…ようやく見つけたのが、俺ってわけだ。
「………エレン」
ナマエは俺の声に俯いていた顔を上げた。
いつものこいつの声じゃない…こいつのこんな声は初めて聞く。
今にも消えそうな…頼りない声。
「皆お前の事探してるぜ?あんま心配かけんなよ」
「………ごめん」
イスに座ってるナマエの隣りに座ると、近くなった事でこいつの顔がよく見えるようになった。
まだ俯き加減のナマエの顔を覗き込むと…俺は目を丸くした。
「ナマエ…お前、泣いてたのか?」
腫れぼったくなったナマエの瞼、赤くなった鼻、頬には薄っすらと涙の跡が残っていた。
小さく頷くナマエの目からまた涙が流れ落ちて、俺はどうしていいか分からなかった。
アルミンなら頭でも撫でて優しく理由を聞くのか?ミカサなら、どうするんだ?
俺は焦る気持ちの中で必死に考えた、半端な優しさや下手な慰めをこいつにしたくねぇ。
ナマエには、一発で元気になってほしい。
こんな…泣いちまうぐらい悲しい気持ちのままで明日を迎えてほしくねぇんだ。
……俺は、こいつの事が…好きだから。
「……ふられたの」
「ふられた…?」
「……うん、付き合ってた人に」
ぽつぽつと話すナマエの涙がテーブルに落ちる。
俺は頭に一気に血が上った。
ナマエが付き合ってた奴といえばあいつだ…俺達より少し年上で、一応俺達の先輩にあたる奴。
実力はまぁまぁだが、見るからに軽そうで口が上手そうで…俺達同期はどうしてナマエがあんな奴を好きになったのか分からなかった。
アルミンなんか、ナマエは純粋でいい子だからあいつの口車に騙されてるんじゃないかって言ってたぐらいだ。
実際声かけてきたのもあっちからだったみてぇだし。
「他に好きな子ができたって…まだ付き合ったばかりだったのに…なんで…っ」
軽い男の典型じゃねぇか…やっぱり俺達の考えは間違ってなかったって事か。
頭に血が上りすぎて気のせいか頭が痛くなってきた、手も痛ぇ…何でだ?
下を見ると膝の上に置いた自分の握り拳が白くなっていた。
ああ、そうか…力任せに握り過ぎて手に血が回ってねぇのか、痛ぇのは爪が食い込んでるからだ。
次々に流れ落ちる涙を拭うナマエの手を、俺はあまり回らねぇ思考のまま強く掴む。
驚いてこっちを見るナマエに…俺は衝動のまま、叫んだ。
「あんな奴忘れろ!あんな奴の為にお前が泣く必要ねぇよ!今すぐ忘れちまえ!」
「そ、そんな…今すぐ忘れるなんて無理だよ…っ」
「なら俺を好きになれ!!俺があんな奴の事なんか忘れさせてやる!!!」
叫んだ後は俺の興奮した息遣いだけが聞こえた。
普段からでかい目を更にでかくしているナマエの瞳に、俺の怒り狂った顔が映っている。
叫んだおかげで幾分か下がった頭の血が一気に心臓に流れたみてぇにドクドク脈打った。
すると暫く硬直していたナマエが少し顔を顰めて俺が掴んでる手を引こうとした。
「痛……っ」
「え?あっ…わ、悪い!」
急いでナマエの手を離すとその手は赤くなっていて、かなりの力で掴んでしまっていた事が分かった。
キレてたとはいえ、力加減をしなさ過ぎだ。
「本当に悪い!大丈夫か!?」
「う、うん…大丈夫だよエレン」
ナマエの白い手が痛々しく赤くなっている事に罪悪感を感じているうちにすっかり頭の血は下がった。
……というか正直…あの時頭に血が上りすぎて…自分が何を叫んだのか覚えていない。
本当に衝動のまま行動して、何かを口走った。
なんとなくとんでもねぇ事を口走ったような気がするんだが…どうしても思い出せない。
「……ありがとうエレン…何だかあの人の事、忘れられそう」
「え……ほ、本当か!?」
「うん…」
「そ、そうか…!よかったじゃねぇかナマエ!」
自分が何を口走ったのか分からねぇが、いつの間にかナマエの顔には笑顔が戻っていて俺は心の底から安心した。
まだ少し残っているナマエの頬についた涙を指で拭いてやると、またナマエは笑った。
ナマエが笑ったから、俺も笑った。
やっぱりナマエにはいつでも笑っていてほしい。
いつでも笑顔で、俺の横にいてほしい。
「もう大丈夫そうだな、皆まだお前を探してるだろうから行くぞ」
「うん」
ナマエと一緒に食堂を出る。
すると不意にナマエが俺の手を握ってきたから、俺も握り返した。
今度こそ、力加減に注意しながら。
「チッ……てめぇ…こんな簡単な事もろくに出来ねぇのか?」
「も、申し訳ありませんリヴァイ兵長…!!」
「あ、そこの君〜丁度よかったぁ!これ倉庫まで運んどいてくれる?」
「うぐ…!!は、はいっ…了解しました…!!」
次の日の朝、食堂へ向かう俺とナマエとミカサとアルミンが見たのは、昨日ナマエをふった野郎がリヴァイ兵長とハンジさんにこれでもかってくらいこき使われている光景だった。
なんか失敗でもしたのか恐ろしく不機嫌そうなリヴァイ兵長に頭下げてたと思えば、わざとらしくにこにこ笑ったハンジさんからめちゃくちゃ重そうな荷物を容赦無く持たされていた。
するとアルミンが笑いながら俺に耳打ちしてくる。
「昨日僕がリヴァイ兵長とハンジさんに、ナマエの事を言っといたんだ」
「なるほどな…さすがアルミンだぜ!」
リヴァイ兵長とハンジさんはナマエを気に入ってるからな…あの二人も相当怒ってるわけだ、ナマエを弄んだ事。
アルミンと拳と拳をぶつけ合うと、ミカサもあいつを睨み付けてフンと鼻を鳴らした。
「いい気味、なんなら私がもっと痛めつけてやってもいい」
「え、痛めつけるって???」
「ナマエは分からなくていい、行こう」
「う、うん」
ミカサに手を引かれて食堂に入るナマエは何の事だか分からねぇみたいだったが、お前はそれでいいんだよ。
お前が笑顔でいられるように、俺達がお前を守るから。
ハンジさんから持たされた重そうな荷物を抱えたまま今だリヴァイ兵長に捕まっているあいつを横目に、俺とアルミンも食堂へ入る。
二人の前に俺達も座ると、ミカサが自分のパンを半分ナマエに分けてやっていた。
「ナマエはパンが好き、だからこれをあげる」
「え、ミカサが少なくなっちゃうよ!」
「私はあまりお腹が空いていない、だからいい」
「ほ、本当?なら貰おうかな…ありがとう、ミカサ」
「気にしなくていい…私があげたかっただけ」
ナマエの笑顔が…俺とミカサとアルミンを笑顔にする。
すると不意にこっちを見てきたナマエと目が合うと、ナマエは頬を赤くして何故か慌てたように朝食を食べ始めた。
その理由は分からなかったが…ナマエが元気になって、本当によかった。
「俺達も食べようぜ、アルミン」
「うん」
食堂の外でまだリヴァイ兵長に捕まっているらしいあいつの必死に謝る声を聞き流しながら、俺はパンを口に放りこんだ。
(砕けた恋の後には、新たな恋が待っている)
2016.2.29