おそ松さん

□リクエスト
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「クソ松。お前、あの時……何を見てたの?」



 その日の夜、すっかり兄弟が寝入った布団の中で、隣で寝ているカラ松に聞いてみた。



「ん? あの時とは?」



 キョトンとした顔で首を傾げて、逆に質問されてしまった。察しが悪いのか寝ボケているのかわからない返答にイラッとして、思わず睨みつけてしまう。



「お前、ライブで倒れる前に上を見上げてただろうが」



 イライラして剣呑さを声音に滲んでしまった返答に、カラ松の体がビクリと震える。



「あン時にお前が何見てたのか正直に答えろよ。クソ松。すっとぼけたり、変に誤魔化そうとしたりしたらトラの餌にするからな」

「ヒェッ……」



 血の気が引いた顔でカラ松が僕を見る。灯りを消した闇の中、カラ松には僕がどんな顔をしているのか、わかりづらいだろう。しかし、猫目の僕にはカラ松の怯えた顔が実にはっきりとよく見える。あの時のコイツは何を見ていたのだろう。あるいは、何かが見えていたのかもしれない。僕には見えなかった何かが……。




「ライブの時に何を見てたのか正直に言えよ」

「…………」



 正直に話せと脅すように睨み付けると、カラ松は思案するように黙り込んでしまった。やがて、しばしの沈黙のあと、凛々しい眉を不安げに下げて僕の様子を伺うように上目遣いで僕を見る。



「あのな……別に、隠していた訳ではないんだが、実は俺はちょっとしたギフトを神から授かったんだ」

「……何それ。またレーシックで雷に撃たれて一時的に透視能力に目覚めたとかその類い?」

「いや、違う」


 ぽつりとこぼされた声は、どこか心もとなげに小さなものだった。



「実は、俺、ゴーストが視えるんだ」




 やっぱりな、と思った。



「何、また最近、雷に撃たれたとか滝に打たれたとかしたの?」

「いや、ゴーストが視えるようになったのは最近ではない。前からだ」

「は?」

「この力は一時的なモノでもないんだ。ゴーストたちとはかれこれ三年近く付き合っている」

「……何それ」



 全然、聞いてないんですけど。

 三年……ということは、コイツは三年前から幽霊が視えてたってことだろう。逆に言えば、三年前まではカラ松にはそういう霊感がなかったということだ。そして、三年前にカラ松が霊感に目覚める何かがあったのだろう。



「何かそういう力に目覚めるようなアホなことしたの? 滝に打たれたとか、雷に撃たれたとか」

「何か、やたら滝やら雷やら推してくるな……。特に何かをしたという訳ではないのだが、しいて言うなら、おそらくチビ太に誘拐されてうっかり死にかけくらいか」

「は……」



 それって……もしかして、例の誘拐騒動? ということは、ソレは……僕達のせい?



「あの誘拐騒動の後に病院で目覚めてから、ゴーストが視えるようになったんだ。死に瀕したことにより授かった特別なギフト……。フッ、神に選ばれし……俺!」

「マジでぶっ殺すぞ。クソ松」

「ヒェッ……」



 思わず、暗い感情がジワッとした痛みと共に胸の内から滲み出そうになったけれど、クソ松のクソみたいな自己陶酔クソ発言によって、泥のように滲み出かけた重苦しい何かは四散してしまった。いつ如何なる時もクソ松がクソ松のままで奴を心配するのも馬鹿らしくなってくる。



「それで、お前は一度死にかけて、霊感に目覚めたというワケね」

「ザッツライト」

「それで今はその幽霊に呪い殺されようとしてるとか、ざまぁねぇな。クソ松」



 そう言うと、得意げな笑顔で強がっていたカラ松の顔がヒクリと強張った。




「でも、危害を加えられたのは今回が初めてなんだ。ゴーストたちは基本的に誰彼構わず生きている人間を襲うなんてことはしないんだ」

「そして、実際にお前は襲われて殺されかけたのが、今日だった」



 夜目にはっきり見えるカラ松の首の痣。忌々しい他人の手痕。



(汚え痕を残しやがって、ふざけんなよ。クソ松。)



 目の前の首に両手を伸ばして触れると、まるで首を絞める体勢に怯えたのか、カラ松の体がビクリと身じろぎする。



「一松? ……どうかしたか?」



 不穏な雰囲気を醸し出していたのか、カラ松が恐る恐る聞いてきた。 暗闇の中、澄み切った瞳が不安げに僕を見つめる。



(コイツを、僕以外の何かに殺されるくらいなら………)



 グッと両手の指に力を込めると、「ウッ」とカラ松の口小さな呻き声が漏れた。



「ムカつく」



 その首の痣が、ムカつく。僕が、コイツの醜い痕を上書きしてやる。

 気が付くと、衝動的な勢いのままカラ松の首に噛み付いていた。「ギャッ」とカラ松が悲鳴を上げたが、ライブやゴタゴタとしたトラブルですっかり疲れきって熟睡している兄弟達が起きることはなかった。元々、寝汚いヤツラである。一度、寝ると滅多なことでは起きてこない。なので、僕はカラ松の悲鳴も無視して、右に左にと忙しなくガブガブと食らいついて痣の上に歯型を残す。本当は首を絞めても良かったけれど、コイツの首に痕を付けた怨霊の真似をしているみたいになるのでやめた。



「いたいッ、いたいッ、いたたたたッ! 一松ッ! ウエイト! ウエイトだ! 一松ッ!」



 痛みに泣きながら必死に僕を引き剥がそうとするカラ松の体を上から体重を乗せて押さえつけて、真下の首筋にガブガブと遠慮無く噛み付いては強く吸いついてを繰り返す。まるで、痣を塗り替えようとするかのように。或いは、その身に僕を刻みつけるように。何度も、何度も、喰らい付くようにその肌を思う存分に蹂躙した。

 その間、カラ松は「何で噛み付くんだあ……」と掠れたような声で鼻を鳴らしてずっと泣いていた。




◇◇◇



 翌朝、僕はカラ松にくっついて目を覚ました。他の兄弟達はみんな先にご飯を食べに行ったらしく、布団の中にはカラ松と僕しかいなかった。

 カラ松は真っ赤に腫れた瞼を閉ざし、苦しげに眉を寄せながら「俺は……美味しくないぞ……」と苦しそうに寝言を漏らしていた。首元に目をやると、そこにあった筈の手形の痣が綺麗サッパリ消え去って、代わりに僕が付けた沢山の噛み跡がくっきりと残っていた。

 その後、カラ松をひとり部屋に残して朝食を食べに降りると、他に起きていた兄弟が黙々と飯を食いながら出迎えてくれた。

 まるで、氷のように冷えきった突き刺すような視線を僕に向けて。



「いやぁー、お兄ちゃんはさ兄弟がホモでもゲイでも受け入れるけどさ、おんなじ布団の中でおっぱじめるのはどうかと思うんだよねー」

「そうそう、一松兄さんがイッタイクソ松兄さんとくっつこうがどうしようがどうでもいいんだけど、朝起きて隣で寝てた実兄二人が昨晩に近姦ホモしていたとわかった弟の気持ち、ちょっとは考えてよね」

「セクロス! セクロス! おめでとー! 一松兄さん」

「いや、全然めでたくないから! 6つ子の一卵性ホモカップル誕生とか地獄でしかないし、僕はオーソライズしてないから! てゆーか、何でお前らはあっさり受け入れてんの?! 何、僕以外の松にもうコンセンサス取り付けていたとか? 朝起きてこんなビッグイシューにぶち当たってもうキャパ超えだよ」



 正直、兄弟が何言ってるのかよくわからない。



「何? 俺、腹減ってるんだけど……」



 とりあえず、そのままギャンギャン文句を言う兄弟を無視して朝食を食べた。





◇◇◇



「そういえば、昨日の夜にスタッフの■●さんからラインが来ててね、何か昨日のライブのアンケートに変なのが混じってたらしいよ」



 僕より先に食事を終えていたトド松が、パジャマのポケットからスマホを取り出して言った。



「へぇ、昨日あんな騒ぎで解散することになったのによくアンケート取れたね」

「まぁ、出入り口にご自由にどうぞって設置してあるからね。流石にいつもよりアンケートもかなり少なかったみたいだけど」

「それで、変なのって何だよー」



 腕を組みながら感心するチョロ松兄さんに、だらんと甘えるようにもたれ掛かってトド松に続きを促すおそ松兄さん。



「昨日、カラ松兄さんがライブ中に倒れたでしょ。そのことで何枚かアンケートのフリー欄に変なことが書かれてるんだって」



 そこにいる兄弟全員がトド松に身を乗り出す。僕もいったん箸を止めてトド松の話を聞く。



「何か、昨日のライブ中に天井のパイプから誰かが覗いていたとか、ソイツがカラ松兄さんに向かって飛び降りたとか」



 ぎこちなくスマホを弄る弟の指先は微かに震えている。



「それで、昨日の夜に寝る前にあそこのライブ会場のことを調べたら、七年くらい前にとあるバンドのファンの子が自殺したんだって。どうやら、その子が追いかけていたバンドのギターに遊ばれて捨てられちゃったんだとか。……なんかこういう業界ではよく聞く話だよねぇ」



 何でもないふうに無理矢理に笑顔を作ったトド松の顔色は心なしか青褪めて見える。他の兄弟達も微かに体を震わせたまま、誰も何も口を開かない。恐らく昨日見たカラ松の首の痕を思い出して背筋を震わせているのだろう。

 しかし、僕は違う。僕の体を震えさせているのは確かな優越感と薄暗い興奮だった。



(ーーーー勝った。)



 僕の長年の執念が、ギターとあれば誰彼構わず襲いかかる無節操な怨念を凌駕し、兄に付けられた忌まわしい呪いのマーキングをかき消したのだ。

 ブルブルと恐怖に身を振るわせる兄弟を尻目に、黙々と二人分の朝食を胃袋におさめていった。

 カラ松はまだ起きてこない。

 僕たちの平和で賑やかな一日はまだ始まったばかりである。




End
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