おそ松さん
□リクエスト
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それはライブハウスの地下で演奏している最中の出来事であった。順列的に二つ上の兄の異変に気が付いたのは、兄弟揃ってステージの上で演奏しているときだった。
観客達の歓声と熱気。僕はベースを使って激しく叩きつけるような音を奏でながら、隣のギターの音が止まっていることに気が付いた。何をやってんだ、クソ松の野郎と舌打ちしながら兄を睨みつけてやると、彼の視線は不自然に天井を見上げていた。凍り付いたように、天井に釘付けになっている様子が明らかに不自然で、僕も同じように上を見る。すると、そこには空調やら照明やら色んなパイプがむき出しになっているだけで何もない。なんの変哲もないいつもの地下ライブ特有の天井だ。
突然、観客席から悲鳴が上がった。「架羅ッ」「架羅様!」と何人かが切羽詰まったように金切り声でカラ松の名前を叫んだ。直後、真上を見上げていた兄の体がグラリと後ろに傾いて、まるで背中から床へ叩きつけるように倒れた。
「カラ松ッ」
僕は、すぐ隣で倒れたカラ松に駆け寄り、意識を失っている兄の体を抱え起こした。他の兄弟達やスタッフ達も慌ててカラ松の元へ駆け寄る。瞳を閉ざしたカラ松の顔はまるで死人のように血の気が失せており、酷く顔色が悪い。
つい数分前までの熱狂的な空気は四散し、客席が悲鳴に包まれた。そして、その日の、ライブは中止となった。
◇◇◇
倒れたカラ松を控室のソファーに運び、衣服を緩め、鬘も取り、ライブ用の衣装として付けていた首輪も外して、横向きに寝かせた。顎を上向き加減にした状態で、上側の手を首の下に支えるように入れて気道を確保し、下側の腕は体前方に投げ出させる。そして、上側の膝を軽く曲げて前に出させ、姿勢を安定させる。いわゆる、回復体位と呼ばれる姿勢である。車の免許をとった時に教わった応急処置の知識が思わぬところで役に立ってしまった。
カラ松の顔色は悪いものの、脈もあり、呼吸もちゃんとしているので、一先ず救急車を呼ぶのはやめにして、10分ほど様子を見ることになった。その間、スタッフの一人が近くのコンビニまで買いに行ってくれた体温計で熱を測りながら、チョロ松兄さんやおそ松兄さんが声掛けをする。名前を呼びながら肩をポンポンと叩いて声掛けをしていると、やがて、カラ松の瞼に力が入り、ゆっくりと開かれていった。
「ん、んん……チョロまつ?」
「カラ松! 大丈夫? どっか痛いとか気持ち悪いとか苦しいとかある?」
「……いや、大丈夫だ」
よっこらしょと怠そうに上半身を起こしたカラ松は、「せっかくのライブを台無しにしてしまってすまない」と申し訳なさそうに僕達に頭を下げた。その際に、緩められた衣服の隙間から、カラ松の肌が見えた。見えてしまったソレに思わず、目が奪われる。
「……おい、クソ松。ソレ、何だよ」
先程まで、存在しなかった筈の痣が、兄の首元にくっきりと残っていた。
僕の指摘に、他の兄弟達もギョッとしたようにカラ松の首元を見る。
「え、カラ松兄さんいつそんなモン付けたの!?」
「さっきまで、無かったよね!? 」
「うわぁ……オカルトだよ。マジで、オカルトだよ。背筋凍り付いちゃったよ〜。チョロちゃん、ちょっと暖めて〜」
「こんな時にふざけてんじゃねーよ! クソ長男! ていうか、抱きついてくんな! きっもちわるい! 十四松、卍固め!」
「ハイハイハーイ!」
「ぎゃああぁあああ!! てめ、じゅうしまぁぁつ!」
「十四松兄さん、そこはチョロ松兄さんじゃなくておそ松兄さんでしょ」
「アハッ。間違えちゃったぁ。ごめんね。チョロ松兄さん」
おかしくなりそうな雰囲気を変えようとしたのかおちゃらけた長男の態度にツッコミむチョロ松兄さん。意図的なのか天然なのかわからない十四松のボケ。すっかりカラ松から話題が脱線し、いつものようにふざけたやり取りに和んでいる兄弟達。そこには先程の不穏そうな雰囲気は消えていた。そして、当のカラ松もわざとらしいほど気障な笑みを作ったかと思うとおもむろにポケットから取り出したサングラスを掛ける。そして、ローテーブルに置かれていた首輪を手に取って、 首元を覆い隠すように素早く装着した。
「心配かけてすまなかったな! 心優しきマイブラザー達。蒼穹の翼を纏いし堕天使✝架羅✝此処に復活! 全架羅ガールズへのお詫びに今回来てくれたファンへ架羅のブロマイドと愛を認めた手紙を送り届けてやりたいと思う」
口元に不敵な笑みを浮かべて、クソみたいな口調と作為的な低音ボイスで、何でもなかったかのように兄弟に話し掛ける。
「ソレ、お前が決めることじゃないから」
「でも、何かお詫びとかしないと流石にまずいっしょー」
「手紙って、もしかして手書き? そんなモンをファンひとりひとりに書いてたらカラ松兄さん腱鞘炎になるよ」
「サインボールでも贈る!?」
「いや、僕たち野球選手じゃないから」
カラ松の身の上に起きたことなど忘れたかのようにわいわいと盛り上がる兄弟とその当人。僕だけがその輪の中に入れなかった。つい今しがた目にしたカラ松の首元の痣が脳裏にくっきり焼き付いて離れない。カラ松の首元に絡みつくように残されたその痣は、まるで誰かに首を締められたかのような手痕だった。