おそ松さん

□リクエスト
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 明らかに堅気ではない雰囲気に放って置こうかと思ったが、聞こえてきた母国語に放っておくという選択肢は消えた。目の前のロクでもなさそうな飼い犬から、ここ最近うちのファミリーで起きた事件について何らかの情報を引き出せるのではないかと考え、自宅のボロアパートまで犬を背負って連れ帰った。

 湯を沸かせていないバスタブに突き落とすように男を入れ、汚れたスーツをちゃっちゃっと脱がせた。厚くて太い首輪は留金部分が溶接されていて外すことは不可能だったので、そのままにしておいた。血と泥で汚れた体にシャワーをぶっかけ汚れを洗い流す。全身から鮮やかな血を流す男の体には、至るところに鞭で打たれてたような痕があった。また、手首や太腿には鎖の刺青がぐるぐると巻き付くように描かれていた。随分と悪趣味なタトゥーだ。

 用意していた大きなバスタオルで大雑把に体を拭いて、傷口に消毒液をぶっかけて軟膏を塗りたくりガーゼと包帯で傷の手当てをする。その際にも男は無抵抗だった。一瞬、死んでいるのかと思ったけれど、呼吸はしているし、掛けられたシャワーや消毒液などには眉根を寄せて「うっ……」と唸っていたので心配はないようだ。多分、途中から目を覚ましていた筈だが、敢えてされるがままに身を任せていたのだろう。

 幸い、見た目ほど傷は大したことはなかったので、闇医者は呼ばずに済んだ。僕自身も医者に頼らずに自分の傷を処置することが過去に何度かあったのでこういう場面には割と慣れていた。

 改めて男の体を見ると酷い有り様だった。全身に散らばる鞭の痕を覆うように散在する黄色や緑、青紫など新旧入り混じった痣だらけの体。何よりも腹の痣が一番目立つ。おそらく、誰かに思いきり殴られたか蹴られたかしたのだろう。……僕には関係のないことだけど。

 検分するように男の体を眺めていると、視線を感じた。見てみると、男が目を開けて、僕を見ていた。



「……君が、俺を助けてくれたのか?」



 男は、流暢なイタリア語で話しかけてきた。どうやら日本語を話せないらしい。頷くと男は安心したように顔をほころばせた。



「ありがとう」

「別にいいよ。それよりも、アンタ何であんなところで倒れてたの?」


 こちらもイタリア語で質問し返すと、男が子供のように目を輝かせてさらに笑顔を明るくした。



「お前、俺の言葉がわかるのか!」

「……俺は、イタリア人と日本人のハーフだからね」



 ローザが考えてくれた終身名誉班長の設定のひとつを告げると、男は信じられないほどあっさり信じて「Destino! 見知らぬ異国の地で心優しき同胞と巡りあえた神のお導きに感謝する」と大げさに涙を浮かべて「 Grazie per aiuto!」と礼を告げ、感動に身を震わせていた。

 とりあえず、いつまでも全裸で風呂場にいるのは良くないので、体を拭いてもらい、用意していた代わりの服であるジャージを着せて、敷きっぱなしの布団に寝かせる。男は、「そこまでしてもらうのは……」と布団から出ようとしたが、睨み付けると大人しく横たわった。押しに弱い……というか、見かけによらず気が弱い質らしい。とりあえず、僕はコイツから話を聞かなければならないので、大人しくしてもらうに限る。

 まずは、適当に班長としての設定を軽く語ってやった。相手から情報を引き出すためには、まずは自身の情報を開示しなければならない。

 名前は松野一松。日本人である父方の松野性を使っていること。外国人と日本人のハーフであるが故に、周囲と上手く馴染めずに生きてきたこと。両親は早々に他界して殆ど一人で生きてきたこと。義務教育を終えてすぐに働くことになったこと。就職先がブラック丸出しのろくでもない工場であったこと。毎日働き詰めで彼女も友達もおらず、頼れる人もいないもけれど、どうにかこうにか頑張って今は班長に昇進して頑張って働いていること。などなどこれでもかとローザが設定した仮初の班長さんについて語った。チラリと横たわっていた男に目をやると、僕の話を鵜呑みにした男はこれでもかと目を見開いてダバダバと涙を流していた。



「他者を助ける心優しい班長さんが、ひとりぼっちで沢山苦労しているなんて……」



 目と鼻を真っ赤にした男は『班長さん』に心から同情していた。



「ねぇ、アンタの話も聞かせてよ」



 そろそろ踏み込んでみても大丈夫な頃合いかと、男に話を振る。



「何で、こんなうす寂れた労働地帯にアンタみたいな身なりのいい輩がボロッボロの姿で倒れてたのか気になるんだけど」



 好奇心を装って率直に聞いてみつつ、十中八九予想はついていた。

 イタリア語しか話せないダークスーツの外国人。首には溶接された首輪。その体には無数の痣と痛々しい鞭の痕が残っている。堅気ではないのは確かだ。となると、コイツは間違いない。マフィアだ。僕を排除しようとするドブネズミの仲間である。おそらく、身を隠した僕を探して遥々海を越えてやって来たのだ。

 万が一に備えて、大きめのサイズの作業服の袖口に仕込んでいたナイフをこっそり触って確認する。至近距離にいるので、いつ化けの皮が剥がれて襲われても、即座に殺すことができる。相手が銃やナイフを取り出す前に殺せる。さぁ、いつでも来いと静かに待ち構えるこちらの緊張など露知らずに男はニコニコと笑っている。



「もしかして、心配してくれているのか?」

「はぁ?」



 思わず、素で低い声が出た。



「班長さんはとっても優しい人なんだな」



 こちらの不機嫌そうな声などお構いなしにポンコツ野郎は照れ臭そうに笑った。



「でも、大丈夫だ! これぐらいの怪我はしょっちゅうだし大したことない。それに、我慢強いのが俺の取り柄なんだ」



 何を言っているんだ。コイツは……。



「この傷はな……なんていうか、その……躾みたいなもので……」

「しつけ……」

「俺がちゃんとしていたら、こういうことはされないんだ」

「へぇ……」



 なんとなく察していたけれど、コイツが組織でどのような立場にいるのか、男の言葉から確信した。少なくともコイツは仲間として扱われていない。



「アンタ、名前は?」

「名前?」



 首を傾げた男は少し考える素振りをする。



「犬……?」

「は?」

「馬鹿犬とか、屑とか、あとなんか色々呼ばれてるぞ。班長さんも好きなように呼んでくれ」



 やはり、目の前の男はろくな扱いを受けてこなかったと見える。でも、そんなことは僕には関係ない。どうでもいい。



「いつ頃、コッチに来たの?」

「一週間くらい前かな? 日本だけじゃなくて、色んな国に行ったことあるぞ。あっちこっち行くのは旅行みたいで俺は結構好きだ」

「へぇ……」


 血生臭い世界に片足突っ込んで生きているくせに、深く考えることもせずに問われるがまま答える男。そういうところが、馬鹿犬扱いされるんだよ。クソ犬。



「何で今回は日本に来てんの?」

「詳しいことは知らない。でも、猫ちゃんを探しているみたいだぜ」

「猫ちゃん?」

「あぁ。白くて小さな猫ちゃんらしい」

「…………」

「どんな猫ちゃんなんだろうな。俺も触ってもいいのかな。でも、多分ダメだろうなぁ」



 コイツは仲間の言葉をそのまま受け取って解釈しているらしい。頭空っぽか。しかし、これで敵がこの国に来ていることが確定した。イタリアからわざわざ海を越えて本物の猫を探しに来る筈がない。白い猫とは恐らく 「Tigre bianca(白い虎)」と呼ばれている僕を嘲弄した言い方なのだろう。 屋敷に爆弾を仕掛けたドブネズミの親玉共が、わざわざ僕を追ってやって来たということだ。ならば、迎え撃ってやろうではないか。

 まさか、自分達が弄んで捨て置いた馬鹿犬が敵のボスに情報を漏らしているとは思わなかっただろう。僕が飼い主なら、犬には首輪を付けた上で口輪も嵌めて鎖に繋いで家から出さないようにしておく。言葉も通じない異国の地で、脳みそ空っぽの馬鹿犬とはいえ、散々痛め付けた末に野外に放置したネズミ共は自業自得である。

 目の前で脳天気にニコニコと笑う馬鹿な犬。自分が何をしたのかすらわかっていない。

 そろそろコイツを言いくるめて帰ってもらおう。ローザと連絡をとってネズミを一掃する手筈を整えなければならない。それに、長々と犬を居座らせるのも良くない。恐らく、コイツの首輪には逃走防止……或いは馬鹿犬の迷子防止用のGPSが仕掛けられている筈だ。万が一、気まぐれなお迎えがやって来ないとも限らない。奴らと接触してしまう前に、とっとと出て行ってもらわなければ……。




「班長さん。俺を助けてくれてありがとう」





 男は布団からと這い出て、四つん這いで身を乗り出すように俺を下から見上げる。何だ何だと思っている間に、眼前に男の顔が近付いてきて唇が塞がれた。初めて感じる誰かの柔らかな感触。そっと唇が離されて青味がかかった澄んだ瞳が、機嫌を伺うように至近距離で首を傾げてこちらの瞳を覗き込んできたのでドキッと心臓が跳ね上がった。近い。近い。近過ぎる!!!


 
「是非、俺にお礼をさせてもらえないだろうか?」



 作業着のズボン越しに手を伸ばされ、ゆっくり撫でられる。
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