おそ松さん

□リクエスト
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 親の顔は知らない。物心ついた頃には血の繋がりのない売春婦に育てられていた。育ての親が性病で亡くなると、浮浪児として寒空の中ひとり放り出された。それからはドブネズミのようにしぶとく生きようと足掻いた。食うものを買う金欲しさに盗みをした。寒さに震えずに眠ることができる寝床欲しさに体を売った。その日、その日を生きるために何でもした。

 そうやって生きているうちにろくでもない奴らとつるむようになり、気が付くとそのグループのボスとして祭り上げれていた。ならず者のボスになる気などサラサラなかったけれど、あれよあれよと担がれて、いつ間にかの仲間内での派閥争いの火種がアチコチに勃発し始めたため、早急に自体を治める必要があった。望みもしない屑共の頂点に君臨し、多くの荒くれ者達をまとめ上げていって早五年。

 薄汚れたモッズコートを着て、路地裏で野良猫と身を寄せあって飢えと寒さに震えていたクソガキは、真っ白なお高いスーツを着て、 ブガッティヴェイロン、フェラーリ、ロールスロイスファントムやその他多くのスーパーカーなど膨大なコレクションを所有し、二千を超える部下を従え、国内外に百を超える犯罪組織をまとめ上げるボスとなった。

 生きるために何でもやってきた結果、いつしか世間から僕は、世界的にも名高い犯罪組織のリーダーとして 「Tigre bianca(白い虎)」 と呼ばれるようになった。

 背負い込んでしまった重責に耐え切れずに唐突に便意を催してところ構わず脱糞したくなることも多々あったが、その度にストリートチルドレン時代から僕を慕ってくれている双子の弟分ローザとジャッロが泣き言を聞いてくれたり、人間バットにしてくれたり、叱咤激励して支えてくれている。そして、メンタル面だけではなく仕事の方でも二人はばっちり僕を支えてくれた。

 情報通で機転が利き、頭の回転の速いローザには表向きの商売を任せている。また、裏ではコンシリエーレとして僕に多くのアドバイスを与えてくれたり、敵対組織の情報を事細かに調べてくれたり、これから起ころうとしている不穏な出来事をいち早く察知して知らせてくれたり、組織の有能なブレーンとして働いている。

 ローザの双子の兄・ジャッロは身体能力が高く、接近戦では敵なしの最高のボディーガードだった。また、五感が優れており食事に仕込まれた毒を口にする前に察知して何度も僕を助けてくれたこともある。普段は明るく子供っぽく振舞っているが、いざという時は敵を容赦なく排除するし、味方に紛れた鼠を察知する勘も鋭い。僕が表向きの仕事で海外を飛び回っているときはたいていジャッロに留守を任せており、アンダーボスとしてもかなり頼りにしている。

 主に表向きの仕事はローザに支えられ、裏の仕事はジャッロに支えられている。

 弟のように可愛く有能な双子は、僕が信頼がしている数少ない仲間だった。

 日々、プレッシャーに潰されそうになりながらも、ヨーロッパやアジアを飛び回る忙しい日々を送っていた。

 ある時、僕の屋敷に爆弾が仕掛けられた。誰が仕掛けたのかわからないまま、立て続けに僕が所有している別邸が爆破されたり、食事に毒が仕込まれていたり、不審な出来事が連発した。今まで命を狙われることは多々あり、人の道を外れた行いをして生きてきた身としては、今更取り乱すこともないけれど、可愛がっていた白い子猫が生きた爆弾として贈り届けられた時は酷くショックを受けた。ショックのあまり傷心のまま暫く部屋に引きこった。ジャッロやローザが心配して、数多くのお菓子や瑞々しい果物なんかを持ってきてくれたけれど、どれも食べる気にはなれずテーブルの上に放置していると、部屋にやってきた二人が片付けてくれた。その後、二人は僕に東のとある島国に身を潜めるように勧めてきた。「最近、西に東にと色々と飛び回って大変だったでしょ。ヴィオラ兄さん。そんな働き者の兄さんに一ヶ月のバカンスをあげるね」と、いつの間にかまとめられていた荷物とパスポートを手渡された。あれよあれよとローザに連れられて飛行機に乗せられてシートに座ってから、命を狙われている僕は一時的に外国に身を隠すのだと伝えられた。「ネズミの素性は9割方わかってるんだけどね。でも、駆除するのに一ヶ月のくらい掛かりそうだから、兄さんにはその間、一般人として過ごしてもらうね」とのこだそうな。

 そうして、極東にあるファミリーの管轄である工場に連れてこられた。「此処での兄さんは、ボスじゃなくて終身名誉班長として働いてもらうよ」と、言われて鼠色の作業着を手渡された。隠密に事をすませるためにくれぐれも気を付けるようにアレコレと注意事項を伝えられ、工場の中を案内された。その際に、事情を唯一知っている工場長にも顔を通した後、仮住まいとして木造のオンボロアパートに案内された。通された部屋はこざっぱりとした狭い部屋だった。家具は卓袱台とテレビとタンス。押し入れの中には真新しい布団が一式。「必要なものがあればいつでも連絡してね。それじゃあ、僕はもう帰るよ」と言ってそのままローザは帰って行った。

 終身名誉班長の仕事はパイプ椅子に腰掛けて、延々と単調な作業を繰り返す社畜ゾンビを眺めているだけであった。

 日本には仕事の都合で何度か足を運んだことがあり、その際にローザと一緒に日本語を勉強をしたものの、簡単な挨拶程度の日本語しか理解できなかった。そんな日本語不自由な自分には何も話さずにただ見ているだけという状況は大変有難がった。工場長との会話はスマホの翻訳アプリを使えば難無くやり取りできるので特に問題もなかった。また、上手い具合に躾けられたゾンビ共はサボるようなことはしなかったし、工場長が監視カメラできちんと見守っているので、業務上の僕の役目は実質あってないようなものである。朝から夜まで何をするでもなくパイプ椅子にふんぞり返っているのはとても暇である。工場長もおそらく突然押し付けられた僕の存在を持て余しているのだろう。下手に仕事をさせて僕の身に万が一のことがあったら、工場長の頭に風穴が開くことになるのだから慎重にもなるのかもしれない。しかし、こうも毎日やることがないと時間が過ぎるのも遅いもので、これはコレで辛い。おまけに現場は重機の音がかなりうるさく、機械油や野郎共の体臭など悪臭も酷い。そんな場所にただ何もしないで座っているだけというのはまさに苦行そのもの。しかし、路地裏で残飯を漁っていた元ストリートチルドレン上がりの僕には、優秀な双子を両脇に従えて柔らかな肘掛け椅子に腰掛けているよりも、光の差さない墓場のような工場のパイプ椅子にふんぞり返っている方がずっとお似合いなのかもしれない。

 終身名誉班長として特にやることもなく、平穏に日々が過ぎて行った。

 あるとき、一匹の犬と出会った。

 きっかけはなんて事ない猫の餌やりだった。

 数少ない工場勤務が休みの日に、やることもなくアパート周辺を散歩がてらふらついているとボサボサの毛並みの野良猫を見かけたので、近くのコンビニに入って電子マネーで猫缶を3つ購入し、路地脇にいた猫に与えた。やせ細った野良猫はガツガツと餌に食らいつき、あげた猫缶をあっという間に平らげる。美味しそうに餌を食べる猫の姿を眺めながら、かつて自分が可愛がっていた白猫を思い出して少し目頭が熱くなった。それから、僕は仕事帰りにコンビニで自分の弁当を買うついでに猫缶も一緒に買い、野良猫に餌として与えるようになった。どの国であろうと猫という生き物は可愛い。

 朝早くに起きて、薄暗い工場で何をする訳でもなくただ機械的に働くゾンビを一日中眺めて、夜遅くに帰宅する。帰途を辿る道すがらコンビニによって自分の晩飯と猫の餌を購入し、路地脇の野良猫に餌をやる。仕事終わりの餌やりが僕のささやかな楽しみとなった。

 そうして、いつものように弁当と猫缶を手に路地裏に向かうと一匹の犬を見つけた。路地裏の壁に崩れ落ちるようにもたれて血を流している男は、明らかに堅気の人間ではなかった。ところどころ血と泥が付いてグチャグチャに乱れたダークスーツに、血が滲んで色が変わり、所々裂けた青いシャツ。コレだけでも普通ではない。しかし、何よりも真っ先に見る者の目を奪い、絶句させるのは、首元のゴツい首輪だった。

 猫に餌をやりに来ただけなのに変なものを見つけてしまった。

 男は小さく何かを呟いていた。



「 Mi……perdoni……」



 許しを乞う言葉は、最近まで僕が聞きなれていた国の言語だった。
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