おそ松さん

□リクエスト
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 僕、松野一松は赤塚中学校の養護教諭である。

 人嫌いで猫好きな三十路前の童貞。過去に中学受験に失敗して、燃えないゴミを自称する自虐的なネガティブ人間になった。以降、周囲の同級生達に溶け込めず、孤立した学生生活を送った。夫婦揃って公務員の親に言われるまま教師の道を選び、養護教諭の道を進んだ。養護教諭を選んだ理由は生徒を指導する教師よりも、ラクそうだからである。

 コミュ障を発症した卑屈な男が生徒と打ち解けるなんてことも出来るはずもなく、生徒どころか同僚達からも壁を作られた。常に不機嫌そうな半目に不機嫌そうな低い声。そして、取り付く島のない無愛想な態度。卑屈を抉らせたペシミストが無意識で発する無言の威圧感もとい心の壁は子供たちを保健室から遠ざけた。厭世的な養護教諭が在室する保健室は闇の保健室と呼ばれて避けられているようだが、そんな保健室にもたった一人だけ毎日のように訪れてくる常連の生徒がいた。

 二年二組。バスケ部所属。松野カラ松。

 コイツはバスケ部だけれども、致命的なほど運動音痴だった。毎日なにかと怪我をしては僕の保健室にやってくる。一生懸命痛みを堪えようとして何でもない顔をしようとしているけれど、涙が滲んだ瞳は全く誤魔化せていないし、毎度毎度泣きそうなのを我慢した顔でやってくる。そんな間抜けな面を前に、必要最低限の質問をして淡々と彼の怪我を手当てをしていた。特に好かれるようなことをした覚えはない。

 しかし、何時頃からかわからないが、気が付くと松野カラ松は僕に懐いていた。「一松ティーチャー」と馴れ馴れしく僕を呼び、泣きっ面を晒したかと思えば、次の瞬間にはヘラヘラと脳天気に笑って「ありがとう。一松ティーチャー」と礼を告げたり。大した反応も返さない僕にカラ松は笑顔で話しかけてきては泣いたり笑ったりとにかく一人で騒がしいヤツだった。

 あるときどんなに怪我をしても泣くのを我慢していたカラ松が、またまた怪我をこさえてやって来た。泣くのを限界まで我慢している幼子のような顔で。黙々と怪我の手当てをしているうちにカラ松が「俺も中華料理食べたかった〜!」と突然泣き始めた。ワケがわからず、喧しく泣き始めたクソガキに舌打ちしたい気分だった。しかし、生徒の心のケアを担当する養護教諭が泣いている生徒を部屋から追い出す訳にもいかない。

 とりあえず詳しく話を聞いてみると、どうやら昨日の夜、家族みんなで外食するつもりだったらしい。しかし、カラ松は宿題を片付けている最中に眠りこけてしまい、家族もカラ松がいないことに気付かずに、皆で食事に出掛けてしまったのだそうな。自分以外の家族が何を食ったアレは美味かったまた行きたいねと話しているのを聞いているとソコに水を差すのも憚られて特に何も言えずじまいだったという。



「俺も肉汁溢れる小籠包食べたかったぁああ"あ"ぁ」

「…………」


 お前、家族に文句のひとつも言えないのかと呆れてつい零してしまうとヤツは「だって……」と鼻を啜って「マミーやブラザーが楽しそうに話してるのに言えるわけない……」とポツリと涙声で呟いた。ポロポロと大粒の涙を零しながらズビッと鼻を啜る寂しげなクソガキが、何だか可哀想になってしまった。

 怪我の手当ては、とっくに終わっていたので、席を立って戸棚に一つだけポツンと置かれている黒猫が描かれている紫のマグカップを取る。もう片方の手で砂糖とインスタントコーヒーを取り出して、安物のインスタントコーヒーの粉と少し多めの砂糖をティースプーンで適当にいれて、部屋のポットから湯を注ぎ、クルクルとスプーンでかき混ぜる。

 必要最低限以外の他人との接触を避けて一人で生きてきた三十路前の童貞男には、どうやって泣いている相手を泣きやませるのかわからない。コミュ障のぼっちが、泣いている人への正しい接し方なんてのも知るわけもない。

 とりあえず



「……飲めば?」



 そう言ってマグカップを差し出すと少年は泣き腫らした目をまん丸に見開いて、涙声で「ありがとうございます」とお礼を告げて恐る恐るとカップを受け取ってゆっくり口を付けた。



「……おいしい」

「そ、良かったね」

「Oh……ファンタスティックな味だ……。こんなに、美味しいものは初めて飲んだぞ! ホットで、優しい味に身も心も温められるようだ……。ありがとう。一松ティーチャー」



 泣き腫らした瞼に、真っ赤な鼻。凛々しい眉は力なく垂れて情けなく、ブサイクなことこの上ない。それなのに、僕はこの泣き顔まじりのブサイクな満面の笑顔にキュンッと胸を締め付けられてしまった。

 さっきまでワンワン泣いてたくせに、僕が適当に作ったホットコーヒーでコロッと機嫌を直した。そして、「セラヴィー」と謎の鳴き声をあげて美味そうに飲む始末。

 初めの頃はコイツの感情剥き出しのテンションがウザくて仕方なかったのに、何時の頃からか僕はカラ松に懐かれて可愛いと思うようになっていた。

 そして、今回の件から何となくカラ松のことを放っておけなくなった。

 翌日。僕は放課後の暇な合間に、気まぐれに体育館はに行ってチラッとカラ松の姿を探していた。松野カラ松という万年補欠のおっちょこちょいは毎日毎日、怪我をこさえて保健室にやってくるのだ。何となく、部活動でのカラ松が気になったのだ。

 部活動でのカラ松はそれはそれはとても浮いていた。

 補欠のくせに体育館の隅で一人で、カッコいいシュートの決め方を練習したり、所々謎の決めポーズが入るヘタっクソなドリブル練習したり、端から見ていると奴の練習は無駄な努力そのものである。

 しかし、それでも仲間から煙たがれつつも一人で楽しそうに部活動を謳歌する少年から目が離せなくなっていた。

 こうして僕は、毎日保健室にやって来ては涙目で怪我を我慢して強がる間抜けな姿に段々と絆されていった。

 一人の生徒にだけ入れ込んでい、依怙贔屓することは教師として良くないことわかっているものの、クズな大人である僕は、すっかり開き直って白猫の絵の入った青いマグカップを用意して砂糖たっぷりのコーヒーを淹れてあげるようになる。



 あるとき、カラ松が大怪我をした。



 猫を庇って事故にあったものの軽傷ですんだらしい。猫の絆創膏を頬に貼り付けて笑顔で昼休みの保健室にやって来た。

 カラ松曰く気難しい二つ下の弟が自分の手当てをしてくれたのだと言った。

 いつも自分のことを嫌っている弟が絆創膏を貼ってくれたこと。
 両親はカラ松のことを心配しないけれど、大切な弟が自分のことを心配してくれたこと。
 いつも床で毛布一枚で寝ている自分を気遣ってベッドにあげてくれたこと。
 朝ごはんにパン耳を食べていた自分に目玉焼きの白い部分とサンドイッチの耳の部分をコッソリ分けてくれたこと。
 他にも、飴玉を一つ貰ったことなどを、猫の絆創膏を指で撫で付けながら嬉しそうに笑いながら話した。

 それからカラ松は変わった。

 休み時間の度に怪我をして保健室に来るようになった。今までは怪我をしていようが、用もなく保健室に来て入り浸っていたのに、必ず怪我をこさえてくるようになりった。そのせいで、僕は休み差時間や放課後の度にカラ松を手当てするようになった。部活動での突き指や捻挫だけでなく、指先を切ったり、膝を擦りむいたり、打撲や火傷、鼻血、身体の部分や傷の大小問わず何かしら怪我をしてやってくる。

 突然、増えたカラ松の傷。

 傷を見せてくるときの誇らしげな、そして何かを期待するような幼い子どものような笑顔。僕はカラ松がワザと怪我をしているのだと察した。

 何が切っ掛けはわからない知らないけれど、ひとつ確かなことは見慣れない猫の絆創膏を付けてやってきたその翌日からカラ松の奇行が始まったということだった。



「あのさ、今まで通り……」

「ん?」

「怪我がなくても、此処に来ていいから」

「……え?」

「お前なら、いつでも来ていいよ」

「……先生」

「俺は、お前に怪我がない方が嬉しいんだよ」



 困惑顔の少年。
 愛に飢えた可哀想なカラ松。

 ヘッタクソに愛を切望する不器用な子供に、なんて言葉を掛ければいいのか。

 とりあえず



「怪我なんか、してんじゃねぇよ。クソガキ」



 そう言って、頬に貼られている薄汚れた猫の絆創膏を問答無用でペリッと剥がした。



end
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