おそ松さん
□リクエスト
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先日の出来事である。
カラ松は道端で車に跳ねられそうになった。
それはいつも通り、カラ松ガールとの運命の出会いを求めて町に出掛けた帰りの時のことだった。歩行者信号が青になり、横断歩道を渡っていたときに、信号を無視したスポーツカーがカラ松目掛けて突っ込んできた。
あわや、カラ松が轢かれるというところで、背後からおそ松が飛び出すように現れた。
パチンコの帰りに偶然弟の危機に居合わせたおそ松は、猛ダッシュで駆けていき、そのままの勢いに任せてカラ松の背中に飛び蹴りをかました。背中を蹴り飛ばされたカラ松は跳ねるように向かい側の歩道へ転がり込み、続いておそ松も飛び蹴りをかました勢いのまま転がるように歩道へとゴロゴロ突っ込んだ。
信号を無視した車は二人を跳ねることなく、走り去って行き、カラ松はたまたま居合わせたおそ松のおかげで命拾いをした。
パチンコ帰りのおそ松に助けられてから、カラ松はおそ松のことをカッコいい兄貴として意識するようになった。
そして、おそ松をカッコいい対象として観察するになったのである。
これが、カラ松の奇行の始まりであった。[newpage]
年がら年中祭日のニートである松野家の六つ子達は、本日も二階の子供部屋で各々が好きなことをして過ごしていた。
トド松は十四松の盤上遊びの相手をし、一松はソファーの上で猫と戯れている。その隣でチョロ松は求人雑誌を読んでいた。
松野家の長男であるおそ松も、ゴロゴロと床に寝転がって漫画を読んでいた。
次男であるカラ松は、以前ならば手鏡をもって決め顔練習をしていたのだが、今は窓辺に座っておそ松を見ている。ここ最近のカラ松は暇さえあれば長男の様子を観察するように見ているのだった。
兄弟はそんなカラ松を不審に思っていたが、当のおそ松本人が苦情を申し立てたり、何も言わないのでそのことについては誰も触れずにいた。
しかし
「なぁ、カラ松」
「ん?何だ、兄貴」
「最近さ、お前お兄ちゃんのことば〜っかジロジロ見てくるじゃん?」
漫画から目を離さないまま何てことない風な軽い口調で聞かれた。カラ松は気まずそうに下を向く。
「……う……すまない」
「いや、別に怒ってねぇけど……。それより、どうかしたのかと思ってな。何?もしかして、カッコいいお兄ちゃんに見惚れてるだけとか?」
「あぁ、その通りだ」
さらりと返された答えに、さりげなく耳をすませていた兄弟の視線が次男へと集まる。おそ松もガバッと身を起こして、窓辺にいる次男を驚いたように見つめ返す。
「え、マジ?」
「え?……あ、あぁ、マジだ」
「……は〜。ンだよ。お前、カリスマ級にカッチョいいお兄様に見惚れてただけかよ。そっかそっか。てっきり寝首を掻こうと隙を狙ってンのかと思ったじゃねぇか」
ガハハとひととおり笑うと、そのままゴロッと寝転がってまた漫画を読み始めた。
カラ松は兄をじっと見つめる。
十四松の相手をしていたトド松は『何がそっかそっかなのさ!それで流しちゃうの!?』と内心ツッコミを入れてプルプル震えており、そんな弟を十四松が「どうした、トッティ。大丈夫か!」と声を掛けて心配していた。チョロ松は『ブラコンか!』と叫びそうになるのを、求人雑誌を握り締めて耐えており、隣にいた一松は猫の相手をしながら、おそ松を見つめるカラ松を何とも表情の読みにくい半目で見つめていた。
◇◇◇
兄弟から兄として頼られるおそ松。
カラ松は子供の頃から、自由奔放に我が道を行く兄に憧れ、いつもその背中を追い掛けていた。そんな兄は時に子供らしい残酷さで、喧嘩してはカラ松をぼこぼこにして泣かせたり、カラ松を騙しては自分が引き起こしたトラブルの身代わりをさせたりした。しかし、カラ松はどんなに兄に騙されても、喧嘩して泣かされても、憎めなかった。おそ松の後を追い掛けることをやめられなかった。
それは全く今も変わっていないのである。
◇◇◇
カラ松はおそ松のことを観察し続けていたが、ある朝、突然おそ松の模倣を始めた。
いつもより少し早い時間におそ松は目を覚ました。隣で何かが動くのを感じて目を覚ましたのである。そっと右に寝返りをうつと、そこにはトド松ではなく悪戯っぽく笑う自分がいた。
「よっ。おはよ〜さん」
弟達を起こさないように小さな声で挨拶をされる。
「……お前、カラ松だろ?何やってンだ。こんな朝っぱらから」
「おそ松な」
「はぁ?」
「俺はお前でお前は俺でお前も俺もおそ松な」
そう言って、にひひっとはにかんだ笑顔はおそ松の笑顔そのものだった。どうやら、カラ松はおそ松と一緒におそ松に成りきるらしい。
「へぇ……面白そうじゃん。じゃあ、よろしくな。おそ松」
布団の中で額をくっつけ合って二人で子供のように声を殺して笑い合う様子を、隣の空っぽの布団に気付いた四男が、布団に横たわりながら静かに聞いていた。
◇◇◇
朝、兄弟が目を覚ますと、松野家の長男が二人になった。
「「おはよ〜う!寝坊助共!本日はなんとお兄様が二人になりました!」」
弟達は困惑した。
チョロ松とトド松は呆然となり、
十四松はキョロキョロと二人を見比べ、
一松は眠たげな半目をさらに鋭くして不機嫌丸出しの剣呑な眼差しを向けている。
互いが鏡合わせのように向かい合い、じゃ〜ん!と弟達に紹介し合うように対称的に片手を広げて笑っている。
同じ服装で同じ表情で全く同じ動きして同じ台詞を話す。
おそ松は遥か昔の懐かしい感覚…もう一人の自分がいるような不思議な感覚を思い出していた。
「朝っぱらからクソ兄貴共、何ややこしいことしてくれちゃってンのさ!」
寝起きとは思えない張りのある声でチョロ松が怒鳴った。
「別に良いじゃん。こんなのただの遊びじゃんかよ〜」
「面白いし、良いじゃんかよ。な〜?」
互いに顔を見合せてニヒヒと笑い合う兄二人。
六つ子故に同じ顔で、おそ松の観察をしていたカラ松が赤パーカーを着ておそ松の真似をするとおそ松そっくりになる。些細な仕草や笑い方、話し方まで何から何までおそ松そのものだった。
ニヤニヤと兄弟を見下ろす二人のおそ松。
弟達にはどちらがカラ松でどちらがおそ松なのか、まるで見分けが付かなかった。
その日、弟達は二人の兄に声を掛けることができなかった。
おそ松は、もう一人のおそ松となったカラ松を一日中連れ回していた。
競馬に行き、パチンコに行き、当てもなく町をブラブラしては、たまに町で見かけた弟を冷やかして、夜にはチビ太のおでん屋で二人で飲み合った。
誰もおそ松とカラ松の見分けがつかなかった。
親も兄弟もチビ太も。
おそ松となったカラ松はおそ松らしくよく笑い、おそ松のように愚痴や文句を漏らしては怒り、また気分を切り替えて笑ったりした。
おそ松も、もう一人の自分となったカラ松と一緒に笑ったり怒ったり楽しく一日を過ごした。
しかし、夜寝るとき。
「は?お前何してんの?」
おそ松は、カラ松が当たり前のように隣に潜り込もうとしてきたので、驚いた。
「は?お前こそ何言ってんの。そこは長男様の寝床だろうが」
カラ松がおそ松の顔で当たり前のように言う。
「いやいや、俺の隣はトド松とチョロ松だから。お前はとっとと一松の隣に戻れ」
「はぁ?だから、長男様の寝床はそこだって言ってンだろうが」
「いや、お前長男じゃねーし、次男だし!ア〜もう面倒クセェ!!お前とっととカラ松に戻れ!」
おそ松がそう言うと、一瞬、カラ松の顔が強張った。しかし、それもほんの一瞬のことですぐに口を尖らせておそ松の表情に切り替える。
「ちぇ〜!何で俺が戻らなきゃなんねぇンだよ。意味分かンねぇし!」
弟達は兄二人のやり取りに誰も口を挟まなかった。各々の布団の中から長兄二人のやり取りに耳をすませて静観の構えである。
「大体、何で長男様である俺がお前に」
「それ以上、何か言ったらぶっ飛ばすぞ。カラ松」
おちゃらけた兄の真似をして誤魔化そうとするカラ松に、問答無用の低い声音で牽制する兄。
兄弟の視線が一斉におそ松に集まる。
カラ松も目の前の兄を凝視する。
「別にな、俺の真似しても良いけど、寝るときはちゃんとカラ松に戻れ」
「…………」
「寝るときに戻る気ねぇなら、明日から俺の真似するの禁止」
「…………」
「わかったら、今すぐカラ松に戻れ」
真剣な顔で自分を見る兄。もう、何も言えなかった。蚊の鳴くような声で「わかった……」と呟いて下を向いた。
パジャマのポケットから小さな手鏡を取り出して自分の顔を覗き込む。そこに映っているのはごっそりと表情が抜け落ちた虚ろな顔だった。自分の顔に戻ろうと顔を動かすが、ふと普段の自分の表情が思い出せないことに気付いた。試しに口元を動かしてみるが、どうしてもおそ松としての自分が抜けない。
鏡を見つめたまま首を傾げるカラ松を、目の前のおそ松が怪訝そうに見つめる。
すると、鏡を見つめていたカラ松が突然、兄弟の顔真似をし始めた。
ニカッと笑うおそ松。
眉尻を下げたへの口のチョロ松。
眠たげな半目の一松。
大きく目と口を開いて満面の笑顔を浮かべる十四松。
くるりとした瞳にあひる口のトド松。
くるくるくるくると兄弟の顔を切り替えて、時折首を傾げながら様々な喜怒哀楽を表現していく。
カラ松を除いた全員が、鏡を前に百面相するカラ松の姿に不穏なものを感じるが、何と声をかけていいかわからない。
唐突に、カラ松が手鏡を下ろして顔をあげる。
困った風に眉と口の両端を下げたチョロ松の顔でおそ松を見る。
「ごめん、カラ松ってどんな奴だっけ?」
首を傾げてそう問い掛けた。
次男を除いた兄弟全員が、部屋の空気が凍り付くのを感じた。
その瞬間、おそ松はカラ松の顔にビンタをかました。乾いた音が大きく響き、叩かれた勢いでカラ松の体が横に倒れ込む。
いきなり、張り手を食らってきょとんとおそ松を見上げる。叩かれた頬は真っ赤に腫れていた。カラ松は大きく目を見開いており、その目にはじわじわと涙が込み上げている。どうして自分が叩かれたのかわからず、不思議そうにおそ松を見て首を傾げている。
「ばーか。カラ松はお前だよ」
ビンタの勢いで手放してしまった手鏡を手渡される。鏡を覗き込むと、そこにいたのは普段の素のカラ松だった。
おそ松は、赤くなった頬を押さえて涙目のカラ松の頭を撫でる。
「とりあえず、グーじゃなかったし、だいぶ手加減してやっただろ?」
そう言って、くしゃくしゃとカラ松の頭を撫でながら、にかっと無邪気に笑ってみせた。
End.