おそ松さん

□リクエスト
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 松野カラ松は、中学生になった頃から不思議な夢を見ることがあった。

 兄弟が死ぬ夢である。
 やけにリアルな夢だった。

 初めてその夢を見たのは十四松がトラックに轢かれて死んでしまうという酷い内容のものだった。

 とても現実味のある夢だったので、目覚めたときカラ松はヒグヒグと泣いてしまい兄弟から、かなりからかわれてしまった。しかし、目を覚ましてもいつまでも夢の内容が頭からこびりついて離れず、その日は一日中、十四松にくっついて過ごした。

 そして、学校からの帰り道。

 二人で歩いているとトラックが突っ込んできた。夢で見たものと同じ光景に驚きつつ、カラ松は咄嗟に、隣を歩いていた十四松を突き飛ばして自分がトラックに轢かれたのだった。

 幸い、夢の中の十四松とは違い、カラ松は一命を取り留めた。

 十四松に身体能力は及ばないものの、生命力だけはゴキブリ並にしぶとかったらしい。そして、事故の後遺症も特になく怪我はひと月程で完治した。あまりに速い怪我の治りに医者も「君は化け物か」とかなり驚いてた。

 その後、カラ松は兄弟が死ぬ夢を何度か見た。

 喧嘩をしているおそ松がリンチに遭う夢や、刃物で刺される夢。
 チョロ松が事故に遭う夢。
 一松が投身自殺する夢。
 十四松が海で溺れる夢。
 トド松が階段から滑り落ちる夢。
 などなど。

 それらの悪夢を見る度にカラ松は己の身を挺して兄弟を助けた。

 リンチに遭いかけたおそ松の危機には兄弟を収集して駆けつけ、刃物を持った敵に狙われれば、自分の身を投げ出して身代わりとなった。チョロ松の事故も十四松の時と同じように助けた。一松が投身自殺しようとした時も、必死に一松が身を投げ出すのを止めようと揉み合っている時に誤ってカラ松が落ちてしまったものの、一松の自殺は阻止できた。十四松が海で溺れるのも救ったし、トド松が階段から落ちるのは、自分が下敷きになったことで何とか助かった。

 何度も予知夢を見て、カラ松は確信した。

 これらの予知夢は兄弟を愛するカラ松に、神から特別に与えられたチャンスなのだと。愛する兄弟を失わないための、チャンスを神が自分に授けてくれたのだと思った。

 やがて、大人になるにつれて予知夢もなりを潜めていた…のだが、ここ最近になって再び予知夢を見るようになった。

 一松が自殺する夢である。

 毎晩、夢の中で一松が自殺をする。

 そして、あるときの夢の中で、一松は虚ろな瞳で言った。



「所詮、生きる価値のないゴミは死ぬしかない」

「こんな汚らわしいゴミは生きていても無駄だ」



 カラ松は夢の中で「そんなことはない!」と叫んだが一松には届かず、一松は呆気なく死に、カラ松は夢から覚めた。

 目覚める度に、体はびっしょりと汗で濡れて、弟を失う恐怖と緊張にカタカタと小刻みに震えていた。






◇◇◇




 夢の中で一松がいた。

 オレンジに染まった空。

 彼はどこかのビルの屋上にいた。柵を乗り越えて下を見下ろしている。その顔はいつものように無表情で、しかし目だけはどこかを睨むように鋭かった。一体、彼は何を見ているのだろうか。

 ゆっくりとした動作で、一歩、足を踏み出した。

 グラリと倒れるように一松の体が落下し、呆気なく地べたに叩き付けられた。

ただの傍観者でしかないカラ松は、弟の名前を絶叫することしかできなかった。

 その日もまた最悪の目覚めだった。



「カラ松兄さん、大丈夫?」

「あぁ、もう大丈夫さ。心配かけたな。ブラザー」

「あー……そういうのイラナイんで」



 悪夢を見た日の朝は、たいてい左隣のトド松がハリセンで頭を叩いて起こしてくれるのだ。魘されるカラ松の声で目覚めるトド松は、初めは苛立って花瓶の底で殴って起こしていたのだが、カラ松が毎日のように魘されいるのでトド松はトド松なりに心配して花瓶からハリセンに切り替えてあげたのだ。しかし、そんなトド松の然り気ない優しさなど、カラ松には与り知らぬことであった。

 そして、今回もまたいつものようにトド松のハリセンで頭を叩かれて起こされたのだった。



「さて、僕もそろそろ下に行かなきゃなぁ。あ、そうだ。カラ松兄さんが最後だから布団片付けといてね」



 ヒラヒラと手を振ってトド松は一階へ降りて行った。

 部屋にはカラ松一人と六人分の布団が残された。





◇◇◇





 夢を見た日のカラ松は出来る限り一松と一緒に過ごすようにしていた。

 そんな時の一松はカラ松を鬱陶しげに扱うけれど、大切な弟の命が掛かっているカラ松としては、けして引くことができなかった。

これまでの経験から言うと基本的に、カラ松の目が届く範囲にいれば一松は自殺をすることはない。稀にカラ松の目を盗んで自殺しようとすることもあったけれど、カラ松はそれらを全て阻止してきた。

 この日の一松は、皆で少し遅い朝御飯兼昼御飯を食べ終えるとすぐに猫の餌やりをしに出掛けていった。

 皆より遅れて居間に出てきたカラ松は、慌ててご飯を胃に掻き込むと一松の後を追って家を飛び出した。

 普段、弟が猫との密会場所に使っている裏路地に行くと、予想通りそこには猫に囲まれている一松の姿があった。一松はカラ松の気配に気付くと嫌そうに顔を歪めた。



「何でまたクソ松が此処に居んの?」



 両手をポケットに突っ込んで気に入らないと言わんばかりの口調で、質問される。しかし、カラ松は一松の不機嫌全開の態度に呑まれてしまい、思考がまとまらない。ろくな受け答えもできない。口の中がカラカラに乾いていく。

 目の前で睨むように見つめる弟が怖い。



「あ……」

「ここ最近のお前、本当うざいよ。マジで何なの?」



 容赦ない言葉に傷付きながらも、カラ松は納得していた。一松の言う通りだった。最近のカラ松は一松が死ぬ悪夢を見るので、ずっと一松に付きまとって大切な弟が死なないように監視していた。しかし、何も知らない一松からすると鬱陶しいだけだろう。



「もしかして、前のこと気にしてくれてんの?」



 前のこととは、「稀にカラ松の目を盗んで自殺しようとした時」のことである。



「そういうの余計なお世話なんだけど」

「いちまつ……」

「スッゲー目障り。とっとと失せろ」



 ゆっくりと歩み寄られて、ドンと肩を突き飛ばされる。ヨロッとよろめいてカラ松は尻餅をついた。何の感情も浮かばない無関心な瞳を呆然と見上げる。

 一松は踵を返すと、猫達を引き連れて裏路地のもっと奥へと消えて行った。



「い……一松!」



 カラ松は慌てて消えた一松の背中を追い掛けた。しかし、一度見失った一松の姿を見付けることはできなかった。







◇◇◇








 カラ松は夢で見たマンションの屋上にいた。

 夢で見た景色を思い出して、一生懸命その場所を探し当てたのだ。そして、辿り着いた場所はとある廃ビルの屋上だった。

 カラ松はそこでひたすら祈った。

 どうか、一松が来ませんように。ただの思い過ごしでありますように。

 しかし、辺りが夕陽に染まる頃、屋上の扉が開いて、紫のパーカーを着た弟が現れた。

 一松は、屋上に佇むカラ松の姿を目に入れて、眠たげな半目を大きく見開いた。



「何で……またお前が此処にいるんだ……」

「フッ、それは美しい夕陽に誘われて……」

「誤魔化してンじゃねーよ!クソ松」



 荒い足取りで近づいて、胸倉を掴まれた。間近に、迫る無慈悲な殺人鬼のような瞳に、思わず、ヒッと情けない声が漏れてしまった。



「何でテメェはいつもいつも……」



 そこで不自然に途切れた言葉。



「いちまつ?」



 胸倉を掴んだまま、下を向いて動きを止めたを弟を、恐る恐る呼ぶと、虚ろな半目がカラ松を見る。



「……お前も死にたいのか?」

「え……」

「だから、毎度毎度邪魔しに来るんだろう」



 胸倉を掴まれたまま、後ろに押され、背後の柵に背中を押し付けられる。



「そんなに死にたいなら、お望み通り道連れにしてやるよ」



 胸倉を掴んでいた手が首元に伸ばされる。

 恐ろしく仄暗い瞳がカラ松を見つめていた。その目の奥に宿る禍々しい狂気にカラ松は戦慄した。



「や、やめろ!」



 気付くと、目の前の弟を力一杯突き飛ばしていた。



「あ……」



 突き飛ばされた一松が尻餅をつく。一瞬、体が一松に駆け寄りそうになるが、拳を握って止まる。きゅっと口元を引き締めて弟を睨み付けた。



「何で。……何で、お前は、死のうとするんだ!」



 顔は怒ってはいるが、思わず泣きそうになって声が震えてしまった。



(コイツは俺が来なければ、人知れず死んでいたのだ。夢の通りに。一人きりでひっそりと。)



 それはカラ松にとって、とても恐ろしいことだった。想像しただけでゾッとする。

 一松は答えない。

 何とも感情の窺いにくい半目で、じっとカラ松を下から見つめるだけだった。



「何か悩みがあるなら言ってくれ。俺は……俺は、お前の力になりたい。俺だけじゃない。おそ松兄さんや父さんや母さんや家族みんなお前のことを大切に思っているんだ」



 何とか、自殺を思いとどまらせようと言い募るカラ松に、一松は小さく首を振りながら、深い溜め息を吐いた。



「……別に。生きようが死のうがどうでもいい」

「え……」

「ンなことより、テメェこそ、何で俺が死ぬのを先回りして止められんのか、毎度毎度ふしぎなんだけど?」



 ふらりと幽霊のように立ち上がる一松。

 向けられた薄暗く濁った瞳に、まるで此方が責めるようなられているような気がした。

 ゆらりゆらりと力ない足取りで、一松はカラ松に近付いてくる。



「中学生の時も……大人しく死のうとしたのに、今も昔も……お前は……俺を、僕を……絶対に死なせようとはしない」



 ギリッと忌々しげに歯を食いしばるのが聞こえた。



「お前のせいで、俺はとんだ自殺志願者だよ。クソ松」



 ヒヒッと一松の乾いた自嘲が聞こえる。

 一松はカラ松の眼前まで来て立ち止まり、顔を除き込む。

 底無しの深淵がカラ松を見つめていた。








(いつだって僕を殺すのは兄さんで)
(俺を生かすのもアイツなんだ)
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