おそ松さん

□迷子のアリスと白兎
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「おい、【芋虫】。【公爵夫人】の家とやらはどこにあんの?」

「公爵夫人の家?僕は森から出たことがないからわからないけど、ここで聞いてみたら良いんじゃない?」



 【芋虫】が泉を指差すとまた水面が揺れて紫色の屋根の大きな洋館が映し出された。



「コレが噂に聞く公爵夫人の猫屋敷だね。ほら、道順が映されるからよく見ときなよ」



 森から【公爵夫人】の館への行き方を【芋虫】に解説されながら何とか把握した。どうやらここは【女王様】の居る城から見て東に位置しており、この森でしか採取できない特別な茸などが多く生息しているとか微妙な豆知識も教わった。【公爵夫人】はこの東の森を出て広い丘の上にあるお屋敷が【公爵夫人】の屋敷がある。

 【芋虫】は「【アリス】に幸がありますように」とまだら模様の謎の茸をくれた。【芋虫】曰く体が大きくなれる不思議な茸らしい。

 【芋虫】と別れてから泉に映し出された道順や【芋虫】の言葉を頼りに森の中を進んで行った。

 長い長い茸の森を抜けて、何にもない広い丘を歩いて行くと紫色の屋根が見えてきた。大きな門の前に立ち、ベルを鳴らすと猫耳のメイドが出てきた。



「……レイカ」



 桃色の髪に緑のメッシュが入った少女は、チョロ松が追い掛けている地下アイドルだった。



「ようこそ、私達の【アリス】。何か、御用かニャ?」

「あ〜……俺、ちょっと【公爵夫人】に会いたいんだけど」

「ご主人様は不在だニャ」

「……何処行ったの?」

「いつものお茶会だニャ」

「お茶会?」

「美味しいパイを作って西の森に出かけたニャ」



 門越しにそれだけ言うと猫耳メイドはさっさと屋敷の中に戻ってしまった。

 俺はひたすら西に向かって歩いて行った。やがて少しずつ森が見えてきてそのまま森の中を進んで行く。西の森には巨大茸など生えておらず、木々がしんと沈黙した不気味な静寂が広がっていた。しかし、別に怖くはなかった。俺は、【白兎】を助けに行かなくてはならない。速く速くと焦る気持ちのまま、生き物の音が一つもしない森の中を足音荒く駆け抜けた。

 小さな小枝などで腕を引っかかれながら走っていくと、目の前の道が少しずつ開けてきた。そこではお茶会が開かれていた。

 白いテーブルクロスが敷かれた丸テーブル。テーブルの上には巨大なパイがデンッと陣取っており、隣には花柄のティーセットや赤い薔薇が生けられている花瓶がちょこんと置かれている。

 御茶会には【公爵夫人】がいた。そして、【白兎】の話にもちょろっと出ていた【帽子屋】と【ドードー鳥】も。

 紫のドレスを着て濃い化粧をした【公爵夫人】もとい一松。彼は膝の上の猫を撫でている。

 一松の向かい側では、黄色いスーツにティーポットのような帽子を被った【帽子屋】もとい十四松が座っている。紅茶を飲みながら耳から紅茶を噴出する水芸を行っており、十四松の右隣りの【眠りネズミ】もとい三つ編みの少女が楽しそうに笑っている。ネズミの耳を頭からチョコンと生やして楽しそうに笑う少女は、いつか弟が恋をした相手だった。まさか、彼女までこのおかしな世界にいるとは思わなかった。

 十四松の左隣では、桃色の鳥の姿の【ドードー鳥】もといトド松が呆れたように二人を見ている。ヤレヤレと言いつつ、二人を見つめる目は見守るように温かい。

 四人でテーブルを取り囲んで和やかに森の中でお茶会が繰り広げられているが、そのお茶会から外れて一人だけ「シェー!」と発狂したように叫んでひたすらポーズをとっている兎がいた。イヤミだ。



「シェーッ!シェーッ!シェーッ!シェーッ!」

「【三月兎】、うるっせぇいやぁ!」



 水芸をしていた十四松が、イヤミに向かってテーブルの上の赤い薔薇が生けられている花瓶を投げ付けた。ゴツンと花瓶がイヤミの頭に直撃しそのまま沈黙した。十四松は何事もなかったように三つ編みの彼女と笑顔で話をしている。

 可哀想だけれど、俺もイヤミの存在を無視させてもらおう。スッとイヤミの横を通りすぎてテーブルの前まで近付くと、【公爵夫人】がゆっくりと手元の猫から顔を上げる。紫のアイシャドウを塗りたくった眠たげな半目が俺を鋭く貫いた。



「おやおや、我らが【アリス】様がこんな所にまでおいでになるとは珍しい」



 ヒッヒッヒッと目を細めて笑う【公爵夫人】は我が家の闇人形そのものだった。俺を見る【公爵夫人】の視線が毒を含んでいるように見える。似合わない女装をして凄味が増したせいか見に纏う闇オーラも三割増しだ。



「あのさぁ、俺の【白兎】どこ?」



 得体のしれない闇の威圧感に気圧されそうになりながらもできるだけ軽い口調で問いかける。口元に飄々とした笑みを浮かべて、にやりと見下ろせば、【公爵夫人】の前に置かれていたティーカップにピシリとヒビが入った。何で割れたの……。闇の力?お兄ちゃんコイツに勝てる気しないよ……。



「キッヒッヒッヒッ」



 低く嗤いながら【公爵夫人】がテーブルの上を指差した。テーブルの上には切り分けられた大きなパイが置かれている。



「それ」

「……は?」

「そこにいる」

「いや、コレ……パイだろ」

「そ。【白兎】のミートパイ」

「は?」



 公爵夫人の向かい側で【帽子屋】と【眠りネズミ】が美味しそうにミートパイを食べている。【ドードー鳥】も食べている。

 【白兎】もとい肉食系肉、松野カラ松はミートパイにされてしまったらしい。



「肉余ったから、シチューにもしてるんだけどうちに食べに来る?」



 ヘナヘナと膝を付いた俺に、ニヤニヤと問いかける【公爵夫人】。こんなときに限って俺のお腹がグーと鳴った。かっこわるい。目の前の【公爵夫人】の笑みがより一層深まった。まるで俺がパイを欲しがっているように見えただろう。だって、仕方ないだろ。昨日、カラ松が拐われてから何にも食べてないのだ。腹が減った。何か食べたい。でも、【白兎】……カラ松は食べたくない。【白兎】は確かに美味そうだけど、俺の中での【白兎】はカラ松なんだ。俺はアイツの唯一の兄貴で、アイツは俺の一番目の弟なんだ。それに、俺は【白兎】と兎を食べないと約束をしたんだ。俺だけは絶対にアイツを食べるわけにはいかない。



「うっ、うっ、うぅぅ!絶対に、行かねぇよ!バァーカ!!!」



 俺は泣いた。ポロポロ涙を零して嫌だ嫌だと駄々をこねる子供のように泣いた。声を上げてわぁわぁ泣く俺を気にする素振りもみせずに、【ドードー鳥】はのんびりと紅茶を啜っているし、パイを頬張っていた【帽子屋】は俺をまじまじと見下ろしているし、【眠りネズミ】なんかは困った顔でオロオロしている。【帽子屋】は隣の彼女をチラリと見て、モグモグと口を動かしてゴクンと嚥下した。



「大丈夫だよ。【アリス】。泣かないで。【白兎】とはまた明日会えるマッスル!」

「へ?」

「こんな暗黒大魔界糞闇地獄みたいな世界でも、【白兎】はまた巣穴から生まれて来マッスル!」

「……あのギラついたイタい服着た馬鹿とまた会えんの?」

「うん。また会えマッスルハッスル!」

「マジか……」

「マジマジ」



 ブンブンと首を縦に振る【帽子屋】を、信じられないという驚きと奇跡のような期待の入り混じった想いで見返す。そういえば、【白兎】は魔法の時計を持っていると言っていたっけ。



「でも、【白兎】は美味しいから毎日が兎狩りで明日も会えるかどうかわからないッスヨ」

「え?」

「先代の王様は兎狩りを禁止していたけど、女王様に代わってからはこの国では兎狩りが再開されて白兎は毎日逃げ回ってるッス。だから、また【アリス】と巡り会えるかはわからないよ」

「へっ。俺がまた仕留めて、シチューにしてやるよ」



 【公爵夫人】がギザギザの歯を見せて挑戦的に瞳を光らせた。



◇◇◇



 俺はすぐさま御茶会から抜け出して東の森の【芋虫】の元へ向かった。【芋虫】のいる泉に【白兎】が産まれたという巣穴の場所を聞き出した。東の森の中にその巣穴はあった。そこにはうつ伏せで背中を丸めて眠る白兎がいた。【白兎】は小さな声でやだやだやだやだと言って首を振って魘されていた。



「【白兎】……起きろ、【白兎】」



 嫌がる体を無理矢理に抱え起こしてやった。



「俺が、俺が守ってやるから。だから、泣くな。……カラ松」



 ギュッと抱きしめると兎がゆっくりと顔を上げて俺を見た。



「……【アリス】」



 目許を真っ赤に腫らして泣いていた瞳が再び潤んでぽろりと涙が零れ落ちた。

 コイツを守る。

 何者からもお前を守ってやる。

 それで、アイツらもお前も皆連れて元の世界に帰るんだ。

 そのためにはまず、俺に何ができるんだろう……。

 【芋虫】は言っていた。



『【アリス】はこの停滞した世界の中の大切な存在なんだ。怠惰で堕落したこの国の元凶でありながらも、救世主でもあり、全て変える変革者でもあり、反逆者でもある。この国の希望でもあり、絶望でもある。悪魔にも天使にもなりうる神のような存在なんだ。吉にも凶にもなりうる種をツマラナイことで潰させる訳にはいかない 』



 【アリス】である俺は、特別な存在らしい。

 しかし、俺には自分の何が特別なのかわからないし、どうやったら元の世界に帰ることができるのかもわからない。明日からずっと【白兎】が殺されないように気を付けなればならない。大抵の奴ならどうとでも返り討ちにできるけれど、狩りの名手で飛び道具を使ったり、巨大猫などの動物を使役する【公爵夫人】から【白兎】を守り切るのは難しいかもしれない。

 【公爵夫人】だけじゃなく、世界中が【白兎】の敵だった。そんな世界で森の中を只逃げ回るだけの日々が続いていくのだ。

 【赤い女王】のひと声で【白兎】の世界が一変した。まるで、鬼か悪魔みたいな【女王様】だ。どうして、兎狩りが始まったのかわからない。気まぐれか、それともそれ以外の思惑があってのことか。どちらにしろ、それは【白兎】とっての地獄の始まりであっただろう。さしずめ、俺は【白兎】にとって世界で唯一の味方である。しかし、一人だけの力には限界がある。

 さて、どうしたらこの終わりの見えない珍妙な悪夢に終止符を打てるのだろう。

 急に色々な不安が込み上げてきて心細くなった。目の前で 震えている哀れな兎の体に縋るように強く抱き締めた。奇妙な世界に放り出された俺と、世界中から逃げ惑う哀れな兎。縋るものが互いしかない者同士、身を寄せ合って目を閉じた。

end
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