おそ松さん
□迷子のアリスと白兎
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俺は松野家の長男の松野おそ松。6つ子の長兄であり、無職ニートの童貞である。
気が付くと俺は少女の格好をしていた。
薄紅色のワンピースにハートマークの入ったエプロン。頭に赤いリボンをつけた少女のような姿である。まるで、不思議の国のナンタラみたいな姿だ。とても二十歳過ぎた男のする格好とは思えない。これならまだ普段のカラ松のギラギラファッションの方が遥かにマシな気がする。誰だこんな肋折れそうな格好をさせた奴は。知らない間に少女趣味の女装男になっていた自分にげんなりしつつ、 辺りを見渡すとそこは森の中だった。
そして、俺の足元には大きな穴がぽっかりと口を開いていた。
底の見えない穴に危険を感じて一歩下がると、突然、背後の茂みからカラ松にそっくりな白兎が飛び出して来た。
白兎カラ松はギラギラ光る青い上着に赤い蝶ネクタイをして、小脇に丸めたポスターのようなものを幾つも抱えて走っており、俺には見向きもせずにピョンと穴の中へ飛び込んでしまった。躊躇いも見せずに、涼しい顔をして当たり前のように飛び込んだのだ。声を掛ける暇もなかった。
「嘘だろ……」
カラ松の姿をした白兎は、地上の光の届かない真っ黒な穴底へと飛び降りてしまった。
散々迷った末に、 俺は穴へと飛び込んだ。
次男に似た兎を追いかけるために。
「待ぁあああああてぇええええええええ!カラ松ぅううううううう!!!」
「ひぃぎやぁあああああああ!!!」
兎は逃げる。追跡者から逃げるために走る。
俺も走る。カラ松に似た兎を追いかけるために走る。
1mほどの巨大な茸があちこちに生えている奇妙な森の中を兎は駆け抜けていく。その背中を見失わないように俺は必死で追い掛けた。ヒラヒラしたスカートの裾を翻してひたすら走った。しかし、なかなか互いの距離が埋まらない。兎の脚は速かった。呼吸が苦しい。ジワジワと足が鉛のように重くなっていくのがわかった。やすやすと前を走る兎に腹が立ってきた俺は足を止めて手頃な石を広い、野球ボールのように大きく振りかぶって投げつけた。
俺の投げた石は見事に兎の頭を強打し、「ギャッ」と悲鳴を上げてバタンと地面に倒れ伏せた。ざまあみろ。
「【アリス】!お願いだから俺を食べないでくれ!」
地べたを這う体勢で、両手で頭を庇うように蹲りながら兎は哀れに震えた声で懇願した。
「いやいやいや、俺、兎は食べねぇし。だから、そんなに怯えないでよー。なんか、お兄ちゃんサビシーヨ??」
「え……本当に?」
「ホントホント」
「アリスは……俺を、食べない?」
「うん、食べない」
笑顔で答えると、白兎の目が大きく見開かれて、それがみるみる潤んできて大粒の涙がぽろりと零れ落ちた。ヒック、ヒックと肩を震わせてポロポロと涙を零して泣く姿はまさに泣き虫の弟そのものだった。
ひととおり泣いて落ち着いたらしい兎は上着の袖で目を擦りながらぽつりぽつりと語り始めた。
「俺、見ての通り兎なんだ」
「うん」
そりゃあ、兎だろうね。ギラついた服を着て泣いていたコイツは、俺の目には松野家の次男そのものに映っているけれど、頭から生えている二つの耳は間違いなく兎の耳である。松野カラ松には付いていなかったものだ。
「それで、俺は肉なんだ」
「は?」
「先代の王様は兎狩りを禁止してくれていたけれど、女王様に代わってからこの国ではまた兎狩りが行われるようになって人間達はみんな俺を食べようとするんだ」
ギュッと自分を守るように自分で自分の体を抱き締めて身を縮こませるカラ松。その声は微かに震えており、泣いているように聞こえた。
「兎狩りが再開されてから、俺は毎日誰かに食べられるようになった」
はぁ?何言ってんだ?お前……。
「幸い、【白兎】である俺には巻戻しの時計があるから、誰かに食べられても勝手に俺は巻き戻されるけど、やっぱり食べられるのは嫌だ。……痛いし、怖い」
正直、コイツが何を言っているのかサッパリわからない。意味がわからない。かなり電波でメルヘンなことを言われてる気がする。俺は女装してアリスとか呼ばれてるし、コイツは頭にウサ耳を付けて自分のことを肉とか言うし、周りはデカイ茸が生えてるし、全く訳のわからない世界だ。こんなふざけた世界に付き合ってられるか。面倒くさい。
しかし、目の前で弟が、俺の一番目の弟が泣いている。兎の耳を付けて電波なことをメルヘンで電波なことを話すバカが、ギラギラした服を着て怖いと言って泣いているから、見捨てることができなかった。
「しゃあねぇから、お前のこと守ってやるよ。【白兎】」
このふざけた世界に付き合ってやるよ。
ポンと頭に手を乗せてそう言うと、【白兎】は真っ赤に腫らした目で俺の顔を見上げてポカンと口を開いたまま固まってしまった。
◇◇◇
肉にされたくなくてニートの国を逃げ回る【白兎】と、白兎を助ける【アリス】の俺。
俺と白兎カラ松は二人でよくわからない国を駆け回った。
肉である【白兎】の追手には色んな奴がやってきた。
ダヨーンの顔をした沢山のトランプの兵士や、
出刃包丁を手にした【ウミガメ】のチビ太。
よくわからない奇怪な巨大魚を手にして振り回すメイド服姿のトト子ちゃん(可愛い!)
カラ松曰く【女王様】の使いだそうだ。
とりあえず、追手を自慢の脚蹴りで見事に返り討ちにしてやった。ついでに、メイド姿のトト子ちゃんにはチューしようとしたら「いや!近づかないで!化け物!」と逃げられてしまった。解せぬ。
昼間は二人で森の中を歩き回り、木の実や果実を食べて、夜は木のうろの中で身を寄せ合って眠った。
白兎カラ松を抱きしめて眠っていると匂い立つような甘く瑞々しい香りが鼻腔をくすぐってくる。その匂いを初めて嗅いだ時は「あぁ、コイツの言っていたことは本当だったんだな」と思った。そして、コイツの甘い嗅ぐたびに食欲が湧いてきてしまうのでとても困った。俺は白兎カラ松と約束してしまったのだ。『アリス』は『白兎』を食べないと。俺がお前を守ると。なので、毎晩、食べ頃の兎の肉を前にしつつも、黙ってコイツを抱き締めて眠るだけにしたのだ。
◇◇◇
【白兎】が死ぬ夢を見た。
大きな猫に食い殺される夢だ。息絶えた【白兎】の体を大きな猫が咥えて連れ去って行った……ところで夢は終わった。
情けなく掠れた悲鳴で目を覚ました。
ゆっくりと重たい瞼を開くといつも腕の中にあった温もりがないことに気付く。慌てて飛び起きると、何処からか野太い猫のような鳴き声が聞こえてきた。見るとうろの外で【白兎】が巨大な猫に襲われていた。
何とか自慢の飛び蹴りで猫の鼻っ面を蹴っ飛ばしてやろうと地面を蹴って飛び上がったが、ひらりと身を捻ってかわされてしまった。飛び出した体は飛び蹴りの勢いのまま着地し、無防備になった俺にすかさず、鋭く爪を立てた巨大な手が迫った。このままネズミのように引き裂かれるかというところで、突然、何処からともなく煙がモクモクとあらわれて猫の体を包み込んだ。
息苦しいとでも言うかのように「フッギャァア」と物凄い悲鳴を上げてのたうち回る巨大猫は、いつのまにか腕に抱えられるほどのごく普通のデブ猫サイズになっていた。ピョコピョコと不格好な動作で飛び跳ねつつも空気に溶けるように姿を消して逃げて行った。
「カラ松、大丈夫か?!どっか怪我でもしたか」
亀のようにうつ伏せになって身を縮めている兎に駆け寄り、震えている背中を擦ってやる。見たところ出血していたり、噛まれていたりしている箇所はない。
「あの化け猫……一体、何なんだよ……」
「アレは【公爵夫人】の子飼いの猫だよ」
背後から声がした。振り返ると緑色の人間が宙に浮いていた不思議な物に座っていた。
「チョロ松!」
芋虫のようなきぐるみを着た松野家の三男がいた。彼は茸をモチーフにした巨大な水煙管の上に腰掛けていた。どういう仕組みになっているのかわからないけれど、謎の水煙管は浮いており、その上に当然のように腰掛けて煙を吸っているチョロ松もまた浮いている。
「チョロ松、お前もいたのか」
「僕は【チョロ松】というモノではない。僕の名前は【芋虫】だよ」
どうやら、この三番目の弟もメルヘンで電波な世界の住人らしい。
「危ないところだったね、【アリス】。いくら【アリス】とはいえ【公爵夫人】の化け猫に素手で挑もうだなんて馬鹿な真似はやめとくんだね。ただじゃすまないよ」
自称【芋虫】のチョロ松は呆れたように半目になりながら、プハーと煙を吐き出した。
「お前が俺達の事を助けてくれたのか?」
「お前たちというより、お前を助けたんだよ。僕は人間じゃないから兎の肉には興味ないし【公爵夫人】に楯ついてまでして、自分から進んで兎を助けようとも思わない」
「じゃあ、何で……」
「僕らの【アリス】が襲われてたからだよ」
「俺が?」
「【アリス】はこの停滞した世界の中の大切な存在なんだ。怠惰で堕落したこの国の元凶でありながらも、救世主でもあり、全て変える変革者でもあり、反逆者でもある。この国の希望でもあり、絶望でもある。悪魔にも天使にもなりうる神のような存在なんだ。吉にも凶にもなりうる種をツマラナイことで潰させる訳にはいかない」
【芋虫】は【アリス】である俺を咎めるように睨みつける。
「【白兎】のことは放っておきなよ」
「は……?」
訳がわからない。
「兎はね、人間に狩られる運命にある生き物なんだよ」
突き放すような物言いにカチンときた。
「ウッセー!俺は……俺は、コイツを連れ帰ンだよ!」
「はぁ?」
訳がわからないと苛立ったような顔で首を傾げる【芋虫】に、ビシッと人差し指を付けつけてやる。
「そンで、テメェも一緒に帰ンだよ!シコ松!」
「……今日の【アリス】はまるで頭が毒にやられてしまったみたいだね」
「誰がイカれ野郎だって!?」
飛び蹴りをかましてやろうと片足を一歩引いて構えると、危険を察知したらしい【芋虫】は、謎の水煙管ごとより高いところへ浮遊した。飛んでも届かない高さである。カンの鋭い奴だ。
「【アリス】、くれぐれも無茶はしないように。何か困ったことがあったらこの森に来て僕を呼んでくれていいからね」
そう言って、プハーッと煙を吐き出すと【芋虫】の姿は煙に巻かれて消えていった。
後には、蹲っている【白兎】と俺だけが残された。
◇◇◇
「カ……【白兎】……。大丈夫か?」
しゃがみこんで【白兎】の顔を覗き込むと、兎はボロボロと泣いていた。
「うっ……うっ……【公爵夫人】……」
顔を覆って泣き始めてしまった【白兎】に、途方な暮れそうになった。
何なんだよ。【公爵夫人】って。
そういえば、あの化け猫の飼主は【公爵夫人】だと【芋虫】も言っていたっけな。
「【白兎】、怖かったな。でも、カリスマレジェンドな【アリス】様がいるからもう大丈夫だ。だから、泣くなよ」
「違う。……違うんだ」
そうじゃないんだと頭を振りながら【白兎】は辿々しく口話す。
「今回も、【公爵夫人】が……俺のことを殺しに来たのかと思うと、悲しくて、悲しくて、胸が苦しいんだ」