おそ松さん

□死んだのに死ねない死体カラ松の懺悔
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 その日のチョロ松は、朝からハローワークに行くために他の兄弟より早く起きていた。職業安定所が開く時間は10時からなので、それに間に合うように9時に起きて朝食をすませて、家を出ようとしていた。

 靴を履き、玄関を開くとそこにはパジャマ姿のカラ松が立っていた。

 とても驚いた。そして、こいつは家にも帰らずに、こんなところで何をしているんだと不審に思う。

 カラ松は手で頭部の右側を押さえてうつむいている。一瞬、泣いているのかと思った。



「……お前、何してんの?」

「いや、気が付いたら昨日から外で寝てたらしくてな……。それで、困ったことになっていて、このまま家に帰っていいものか悩んでいたんだ」



 どこか虚ろな口調でカラ松は言う。



「知らない間にちょっと怪我をしてしまったみたいで」

「怪我?」



 そう聞いては悠長に話などしていられない。チョロ松は慌てて、カラ松の体をチェックする。確かにカラ松は怪我をしていた。パジャマの上に点々と飛び散っているのは血だ。頭を押さえているカラ松の手も血で汚れている。



「カラ松。どっか打ったの?」



 カラ松は小さく頷いた。

 近くで見たカラ松の顔は真っ青だ。頭から流れていたであろう血の量といい、ちょっとの怪我とは思えない。大至急、救急車を呼ぶべきだとチョロ松は思った。



「とりあえず、はやくあがって。すぐに救急車呼ぶから」



 チョロ松は下駄箱の上の受話器をにぎったものの何番に電話していいものかど忘れしてしまって焦っていた。



「110番?104番?119?カラ松!救急車は何番だったっけ?」



慌てるチョロ松にカラ松はゆっくりと首を横に振る。



「落ち着けチョロ松。俺は全然痛くないし、それに、多分、俺は……」



頭を押さえていた手をゆっくり下ろす。



「もう死んでるんだと思う」



 カラ松の頭の右半分が潰れて凹んでいた。腕で隠れていた顔の右側は血で汚れている。右の眼球が視線があらぬ方向を向いて焦点があっていない。血濡れの異様な顔だった。チョロ松は受話器を握ったまま硬直した。凍り付いたように相手の尋常ならざる血まみれ顔を凝視する。



「な?だから、そんなに慌てる必要はないぜ。ブラザー」



 カラ松は弟を安心させようと思ってか、パチンと不器用にウインクをしてみせた。



「……ハッ。いや!いやいや、そういうわけにいかねーだろ!」



 我に返ったチョロ松は大声で怒鳴った。



「お前は、怪我のショックで痛みを感じていないだけだ!」

「……手首を、触ってみてくれ」



 カラ松がスッと右手を差し出した。チョロ松は受話器を持っていない方の手で恐る恐るカラ松の右手首に触れた。冷えた皮膚の下に、脈は感じられなかった。



「な?」



 歪に凹んだ頭を傾げて笑う兄に、チョロ松の顔が歪められる。

 今度は、目の前のカラ松の胸に手を当ててみる。



「………」



 納得したくはなかったが、救急車を呼ぶのはあきらめざるをえない。救急車より、霊柩車を呼んだ方がいい状況だ。とりあえず、霊柩車の前に家族に知らせるべきだと判断した。

 チョロ松はそっと受話器を置いた。そして、大きく息を吸った……ところで、慌てたカラ松に口を塞がれてしまった。



「ストップ!ストップ、チョロ松!クールになれ、ブラザー。すまないが、皆に知らせないでくれ。いきなりこんな姿をマミー達に見られるのは物凄く抵抗があるというか……その……まず、お前に聞いてほしいことがあるんだ。少しだけ時間をくれないか?」



 眼前に迫る血濡れの顔。凹んだ頭。あらぬ方向を向いた右の眼球が怖い。乾いた血が付いた手で口を塞がれたまま、チョロ松はコクコクと頷いた。とりあえず、手を引かれるまま玄関先に二人で腰掛ける。

 現在、父は仕事に出掛け、母は午前中はパートに行っている。兄弟は昼前にならないと起きてこない怠惰なニート達なので、玄関にいる限り二人の会話は誰にも聞かれることはない。



「気が付いたら俺は家の前で死んでいた」

「何で?おかしいでしょ」

「俺も昨日の記憶がなくて何も覚えていないんだ。だから、自分に何が起きたのかわからないんだ」

「マジか」

「マジだ」

「もしかすると、俺は夢遊病だったのかもしれない。とりあえず、死んだ原因は考えても仕方ないと思って……」

「いやいやいや!そこは仕方なくないでしょ!何言ってんの?頭ピーマンなの?サイコパスなの?!」

「え、ピーマン?いや、だってもう死んでるし。今さら死因を考えたってどうしようもないだろう」

「お前、頭潰れて中身どっか吹っ飛んだの?脳味噌なくなって完全にピーマンになっちゃったの?」

「?俺は死んでもピーマンにはなれないぞ。……それで、昨日はゾンビ……生ける屍と化した俺が家に帰ってもいいものか一日中庭の茂みで考えてたんだ」

「スルーかい!そんで昨日一日庭に死体がいたとかホラー過ぎるぞ!何なのお前?やっぱりサイコパスだわ」

「それで、今朝は父さんと母さんが仕事に行って、お前が来るのを待ってたんだ」

「……僕を?」

「兄貴でも良かったんだが……にゃーちゃんのライブやらハローワークやら、お前が兄弟の中で一番の早起きだからな」

「……」

「こうして、お前が一番に家を出て来てくれると思っていた。ありがとう。チョロ松」



 にこりとカラ松が笑って礼を言われる。正直、あまり嬉しくない。何故、カラ松が死んでいるのかチョロ松は納得がいかなかった。



「それで、俺の話を聞いてもらおうと思っていたんだ」

「……話?」

「ちょっとした懺悔みたいなものだな。俺の今の状況について昨日丸一日かけて考えてみたんだが、これはもしかすると天罰なのかもしれないと思って」

「は?」

「俺は悪い子だったんだ。死んでも死なせてもらえないギルトガイ。だから、きちんと懺悔してからじゃないと普通に死なせてもらえないのかもしれない」

「……カラ松兄さんが悪い子?何で?」



 信じられないとチョロ松は大きく目を見開いてカラ松を見る。
 カラ松は無事な方の左目でじっとチョロ松の顔を見つめた。



「俺は……実の弟を、好きになってしまったんだ」



 カラ松に懺悔の聞き役に選ばれたチョロ松。とんでもない告白を聞かさされてしまった。ある日、突然兄がゾンビになって帰って来ただけでも驚いているのに、さらに一卵性ホモの近親相姦を打ち明けられたのだ。チョロ松の頭は真っ白である。カラ松の告白はさらに続く。



「……あいつ……一松のことが、好きだったんだ」

「……は?何で?お前、いじめられてたじゃん!」

「?別にいじめられていたわけじゃない。アレはな、あいつなりの不器用な甘えだよ。一松は根がとても優しいいい子なんだ。確かに、俺に対してはちょっと手厳しいけど、あいつは自分よりも弱いものを守ろうとするし、トド松や十四松達の面倒見も良いし、とても家族想いの可愛いやつなんだ」

「……可愛い、か?」



 同じ顔をした同い年の男だぞ?と、そう言いたげなチョロ松に笑顔を向ける。



「あぁ、可愛いぞ。不器用なところも、臆病なところも、優しいところも、ちょっとひねくれたところも全部好きだ。……ずっと、ずっと前から好きだったんだ」

「……」



 気丈に明るい声を出しているけれど、その言葉尻は微かに震えていた。チョロ松は敢えて気付かないふりをしてやった。



「ニートな兄貴が実の弟に懸想しインセスト・タブーを犯そうとするんだ。……わかっていたんだ。これは許されない想いだってことはわかっている。ギルトガイ。はぁ……救いようがないぜ」

「………」



 本当に救いようがない。救いようがなさすぎて、チョロ松には掛けてやる言葉も見つからない。



「さて、懺悔もすませたし、俺はもう行かなければならない」

「……どこへ?」

「海だ」

「海?」

「ここから一時間ほど歩くと海に出ると十四松から教えて貰ったことがあってな。知ってたか?」

「知らなかった。……あ、そうだ!ちょっと、ちょっとだけ待って」



 チョロ松は慌てて二階に掛け上がり子供部屋に向かう。そして、押し入れからカラ松の帽子とマフラーとコートを引きずり出して、一階に戻り、カラ松にそれを押し付ける。

「これで顔と服を隠せ」

「あ……ありがとう」



 カラ松は渡された防寒具を身に付けると、下駄箱から自分の靴を取り出して履いた。



「それじゃあ、もう行くな」

「……海に?」

「こんな醜い罪科は全て水に流して洗い清めなければならないからな」

「……だから、海?」

「あぁ。それに動いているとはいえ、死体だからな。生きている死体がいつまでも家に長々と居座って迷惑を掛けるわけにはいかない。あまり時間をかけるとそのうちこの体も腐敗してくるだろうしな。安心しろ、チョロ松。清めがうまくいかなかったとしても、俺はもう家には帰らないから」



 気にするな。いつでも帰ってこい。とは言えなかった。確かに、土左衛門状態で松野家に帰ってこられても困る。



「……成仏できるといいね」

「大丈夫だ。成仏できなかったとしても、俺の体は魚や海老などの海の生き物達が食べてくれるだろう」

「……やめろ。飯が食いにくくなる」



 オェッと舌を出して吐く真似をすると、カラ松はけらけら笑った。



「じゃあ、もう行くな。色々とありがとうな。チョロ松」

「……いってらっしゃい」

「いってきます」



 コートを羽織ったカラ松は笑って出て行った。

 その顔はこれから海に身投げしに行くとは思えない明るい笑顔だった。



「さよなら、カラ松」



チョロ松はもう帰ってくることのない次男の背中を見送った。
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