おそ松さん

□臆病なドライモンスターは未知の核弾頭に怯えている
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 草が生い茂る河川敷の土手に二人で腰を下ろした。



「トド松、はい」

「……ん、ありがと」



 河川敷に向かう途中で、カラ松が自動販売機で買ったホットココアを手渡すと、小さな声でお礼を言って受け取った。



「とりあえず、何かあったんだろ。何でもいいから話してみろ」

「うん。……実は、僕は十四松兄さんのことがわからない。何か、怖いんだ。兄さん達みたいに十四松兄さんを受け入れられない…悪い子なんだ。だから、僕は家を出る」

「え?!」



 唐突な末っ子の家出発言にカラ松はぎょっとしたように隣を見る。



「僕には十四松兄さんも皆も理解できない。昔みたいに共感できない。僕には十四松兄さんが何を考えているのか全くわからない!皆はどうして怖くないの?わからないんだよ。僕一人だけ……」



 トド松が泣いた。正直、カラ松にはトド松が何を言っているのか、何に苦しんでいるのかわからない。しかし、独りにしておけない。
 苦しそうに眉を寄せて涙を流すトド松の隣に寄り添って背中を優しく叩いてやる。



「……ねぇ」

「なんだ」

「……カラ松兄さんは、僕が、付いて来てほしいって言ったら、一緒に来てくれる?」

「は?」

「やっぱり、独りぼっちは怖い……っていうか、さみしい」

「……独りがさみしいなら、皆と一緒にいればいい」

「ひとりになりたいんだよ。でも、カラ松兄さんと一緒がいい」

「……」



 家を出るが独りは寂しい。カラ松に付いてきてほしい。
 それは、ひとりではないのではないか?
 カラ松は口の先から出かけた言葉をぐっと喉の奥に引っ込めて黙った。



「兄さんが付いてきてくれないなら、僕は独りで死ぬ。兄さん達の知らない場所で死ぬから。あと、カラ松兄さんが僕の家出を誰かに話したり邪魔しても死んでやる」

「わ、わかった!誰にも言わない。お前の邪魔もしない。お前と一緒に行く。だから、死ぬとか言うな」



 トド松の両肩を掴んで、顔を青ざめさせるカラ松に、心の中で安堵した。やっぱり、カラ松は弟に甘い。とても、優しい兄なのだ。正直、チョロいなとも思った。誰かにすがられると拒絶できない兄の甘さを利用したのだ。



「……ありがとう。カラ松兄さん」

「ただし、条件がある」

「なに」

「お前の気が済んだら、二人で家に帰ること」

「……なにそれ。プチ家出ってやつじゃん」

「俺は最後まで実家から離れないと、己の魂と約束した。俺は松野家の次男だからな。責任はないし自立もしない。だから、お前と一緒に永遠に家を出ることはできないんだ」

「流石、兄弟!精々しいほど自立精神皆無のクズだね!」

「フッ、互いに手と手を取り合っての刹那の愛の逃避行といこうじゃないか。マイスイートハニー」

「なんかそのイタい言い回しやめてぇえええ!!イタ過ぎる!!そこだけ聞いたら、一卵性ホモの近親相姦の果ての駆け落ちみたいに誤解されるぅ!!!」

「?…よくわからないが、また、なにか俺は痛いことを言ってしまったのか。すまない」

「あぁあああぁ!!何かこう噛み合ってない感じがもどかしい!!」



 自分の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜてキレるトド松を、困惑したように見つめるカラ松。

 その後、二人で家出決行の詳しい日時を決めた。

 話し合いを終えて、二人で家に帰る頃には、辺りはすっかり日が暮れており、見上げた空は綺麗な夕焼け色に染まっていた。





◇◇◇





 家出決行を決めた数日後。休日の日曜日の朝。

 早朝の6時に起き出して、二人でこっそり布団を抜け出した。音を起てないように足音を殺して一階に向かい、あらかじめ、居間に用意していた服に着替える。そして、、物置に隠していた荷物をチェックし、お互いのヘソクリを全て持ち出して家を出た。

 普段なら早朝の6時にニートである自分達には起きられない時間である。しかし、何が起きるかはわからないのが松野家である。あの兄弟達はいつも予想外のことを仕出かすし、特に長男や五男は勘が鋭く秘密の匂いにも敏感であった。誰かが変に隠し事を作ると、いつかのパチンコ警察のように一致団結して秘密のヴェールを暴こうと何処までも執念深く追い掛けてくるのだ。

 とりあえず、早く家を出るのが吉である。

 居間の卓袱台に両親宛ての手紙を置き、音を起てないように家を抜け出した。

 二人は駅に向かい、電車に乗って赤塚を離れることにした。

 トド松が切符を買い、カラ松に渡した。



「お前の行きたい場所に何処までも付いていってやるぜ」

「あ、イタイのはいらないんで」

「え」



 固まったカラ松を置いて、さっさと改札口を抜けると、慌ててカラ松もトド松を追い掛けて改札口を通った。

 とくに当てもなく気の向くままに電車に乗った。二人で窓の外の景色を眺めていると、カラ松が「何だかほんとに駆け落ちみたいだなぁ」とおかしそうに笑うので、「ほんとにね」と答えて、二人してクスクス笑い合った。

 そうして、辿り着いた先は海が見える町だった。

 駅を降りて、すぐ近くの地元のコンビニに入ってフランクや唐揚げを買い、とりあえず海を目指して暫く歩いた。

 目的もないただのプチ家出。泊まる当てもないし、行きたいところもない。なら、せっかくだから海が見たかった。

 目の前に広がる大きな海を前に、何をするでもなく、黙々とフランクやら唐揚げやら食べながらボ〜ッと海を眺める。

 会話は特になかった。ただただ、海を眺めているだけ。二人で釣り堀で魚を待っているときと、同じ空気だった。なんとなく、家に帰りたくねぇなとトド松は考えた。

 トド松の中で十四松はどこまでも天然で幼くて無垢な狂人だった。そして、いざというときはその身にトド松を庇ってくれる優しくて頼りになる兄だった。しかし、今では十四松という存在が全くわからなかった。そもそも、トド松はあの兄のことを理解していた気でいたけれど、今までを振り返ってみると全くそんなことはなかった。

 知らないことだらけだった。

 怖い。わからないことが怖い。知らないことが怖い。十四松が何を考えているのかわからない。彼にいらないと言われたことが怖い。

 十四松とのこれまでを振り返って鬱屈とした気分で海を眺めていると、突然、海面からザバンと水飛沫を上げて人が現れた。

 そこに立っているのは野球のユニフォームを着て野球帽を被った若者だった。彼の手にはべこべこに凹んだ野球バットが握られている。

 見覚えのあり過ぎる黄色いユニフォームに、トド松の顔が強ばり、カラ松は口の中に入っていた唐揚げを喉に詰まらせた。



「カラ松にぃ〜いさぁ〜ん!トド松と一緒にこんなとこでナ〜ニしてんすか〜?」

「ンッ、ンッ、ン〜!」



 唐突に現れた弟の登場に驚いて、口の中の唐揚げを喉に詰まらせたカラ松は、十四松の問いかけに答えられずに身悶えた。



「カラ松兄さん!はいっ!」



 トド松が先ほどコンビニで購入したペットボトルのお茶を渡し、受け取ったお茶を急いで飲む。

 その間、十四松は二人の元へ近付きながら兄と弟を、じっと猫のように目を細めて見ていた。



「なんか、カラ松兄さんらしくないっす」



 ようやっと、お茶を飲んで落ち着いたカラ松に十四松が言う。



「兄さん。どうして、こんな馬鹿げたことに付き合ってんすか?」



 ピタリと焦点の合った瞳はその奥に冷えた闇を湛えていた。

 そこにいるのはトド松の知らない十四松だった。



「……俺も、コイツと一緒にひとときのアバンチュールを過ごすのを悪くないな、と思ったからだ」



 十四松の纏うする威圧的な空気に、カラ松は身構えながら、嘘を吐いた。自分を庇って、泥を被ったことに気付いた。

 優しい兄はトド松にすがられて断れなかっただけだ。そもそもカラ松には家出しようとする発想は全くなかったのだから。すがられると断れない、優しい兄にすがった。ひとりはいやだ死んでやると言うトド松を独りにできないカラ松の甘さ。それを泣き落として、利用した……。



 スッと十四松の目が猫のように細まった。

「……カラ松兄さんて、本当に馬鹿だよね」



 冷めた声音でボソリと呟くと、十四松はカラ松の額に強烈な頭突きを食らわせた。



「カラ松兄さん!!」



 短く苦悶の声を上げたきり、白目を剥いて背中からバタンと倒れた兄に、トド松が膝を付いて兄の頭の看る。額を赤く腫らしたカラ松は完全に気を失っていた。



「十四松兄さん!酷いよ!いきなり何すンだよ」

「酷いのはカラ松兄さんの方だよ。ぼくのトド松を勝手に連れてっちゃうんだもん」

「……は?何言ってンの?」

「カラ松兄さんには他にも弟がいるのに…。どうしてぼくのたった一人の弟を連れてっちゃうかなぁ……」



 淡々と話す十四松はいつもの笑顔に戻っていた。左右で焦点の合わない瞳はそれでもしっかりトド松を捉えていた。黒い瞳の奥が恐ろしい。

 誰なんだ。コイツは……。



「あれ?トド松、震えてんね。ほら、泣かないで!大丈夫だよ!カラ松兄さんはぼくがちゃんと治すから。あと、他の兄さん達もすぐに来るから心配しないで」



 トド松は震えた。

 違う。違うんだよ、と心のなかで叫んだ。



(怖いんだよ。アンタが。この涙はカラ松兄さんを心配して流した綺麗な涙じゃない。この涙はアンタが怖くて泣いている涙なんだ。)



 しかし、心の中の言葉は声にはならなかった。体は勝手に震えるし、目からはポロポロと勝手に涙が溢れるし、十四松が何を考えているのかわからない。

 震える唇からついて出たのは



「……十四松兄さんは、僕のこと……悪い子だから、いらないんじゃなかったの?」



 それは今まで抱えていた純粋な疑問だった。

 しかし、トド松の問いに十四松は「ん?」と不思議なそうに首を傾げる。



「悪い子のトド松はいらないけど、良い子のトド松はいらなくないよ」

「は……な、なにそれ。意味、わかんないし」

「トド松こそ、何で家出するのにカラ松兄さんを連れて行ったの?」


 十四松はスッと腕を上げてベコベコのバットを、倒れ伏せたカラ松の頭に向ける。



「ねぇ、トド松。教えてよ。あばんちゅーるって、なあに?」



 笑顔なのに、氷のような冷たさを感じた。

 やっぱり、この兄が何を考えているのかわからない。

 どうして、カラ松にだけ頭突きを食らわせたのか。自分のことを嫌っていたのではないのか。

 そもそも何に怒っているのかがわからないし、今のその質問にも意味はあるのか、ないのか全く検討も付かない。

 どう答えたら良いのかわからない。

 トド松は歪に凹んだ金属バットを見つめながら、口の中がカラカラに乾いていくのを感じていた。





怖がりなドライモンスター未知の核弾頭に怯えている

(何をそんなに怒ってるのか)
(僕には十四松兄さんのことがわからないよ)
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