おそ松さん

□松ネタ吐き出し
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 この世には、男女の性とは別に第二の性と呼ばれる三つの性種別がある。

 僕達、悪名高き6つ子は中学生に上がるとすぐに性種別を判別するための検査を受けた。それまでは、みんな揃いも揃って同じ顔。同じ体型。同じ性別で、同じ血液型。同い年で同じ生年月日。誰が誰でも同じ6人だった。
  
 しかし、その性種別は違っていた。

 長男のおそ松兄さん、三男のチョロ松兄さん、末っ子のトド松はベータ(β)。

 五男の十四松アルファ(α)で、次男のカラ松はオメガ(Ω)。

 そして、松野家四男である僕は、十四松と同じアルファだ。 


 親の脛をかじって生きている無職の男がアルファだと信じられないって?

 僕も自分がアルファ性だということが未だに信じられない。同じ性別でニートである十四松が、アルファだと言われてもこちらはまだ納得できる。優れた身体能力を持ち、人間離れしたパフォーマンスを繰り広げることができる根っから明るいエンターテイナー気質の弟は、アルファ特有の多くの人から愛されるカリスマ的な魅力を持っている。さらに、あの弟は僕と同じニート暮らしをしながら兄弟には秘密で株を投資してちゃっかり儲けていたり、僕達の知らないところでつがいの彼女の子と運命の出会いを果たして、結婚を前提にしたお付き合いまでしている。表向きはニートの身でありながら、アルファらしく順風満帆な人生を謳歌している。

 そんなアルファの弟に比べて、僕にはアルファの要素は備わっていなかった。人の心を掴むカリスマ性どころか、人間の友達は一人もいやしない。まして、彼女なんてモノも生まれてこのかた出来たことがない。十四松のように株だかネット事業だか知らないけれどそういうものでひと儲けしたこともない。一度だけ十四松に「一松にーさんもやらない?」と誘われて投資について説明を受けたけれどややこしくて途中でやめた。未来に希望もなけれ生きる気力もないし、特にやりたいこともない。兄弟からは闇人形と称されるほど陰気で根暗でコミュ障を抉らせた無職童貞の脛かじりのアルファである。こんなアルファもどきの僕にも運命のつがいなんてものが居るのなら、そのつがい相手には本当にご愁傷さまでしたとしか言いようがない。アルファの風上にもおけない底辺がつがい相手とか、つがい神話もブチ壊しである。僕も運命とかつがいとかそんなモノ全く欲しくはないので、そんな不幸な人間が僕の前につがいとして名乗り出て来ないように祈るしかない。

 社会の下層階級でアルファとして生きてきてはや二十年。同じ六つ子の兄弟で僕の二番目の兄・松野カラ松は運命のつがいに夢見るオメガ性である。オメガ性に生まれついたロマンチストな兄は自身がオメガだとわかった日から運命のつがいを探している。そして、高校を卒業して兄弟仲良くニートになってからも、毎日毎日飽きもせずに逆ナン待ちのような真似をしている。全ては運命のつがいに見つけてもらうためである。本当にアルファの金持ちの美女に養ってもらえると信じているのかは知らないけれど、そんな都合の良いことあるワケねぇだろうと声を大にしてツッコミたい。そもそもオメガ共の幻想をブチ壊すような底辺アルファが弟として身近にいるくせに、なんでそんな都合の良い夢を見ることができるのか。本当、あのクソ次男はおめでたい頭をしている。

 そして、そんな馬鹿に恋をしてしまった僕こそ本当に救えないゴミである。

 とっくに二十歳を過ぎているのに未だに無職で、最終学歴も高卒止まり。さらに、近親相姦のホモ男。僕はアルファとして生まれてきたくせに人生を詰み過ぎている。

 そもそもアルファなんてモノに夢を見る方がおかしいのだ。世のベータやオメガはこぞってアルファを羨ましがるし、つがい神話に夢を見ているけれど、アルファに生まれたからといって良いことなんて何にもない。見も知らぬ他人のフェロモンに振り回されるし、僕なんかはアルファでありながらニートなんてモンをやっているせいで、アルファの面汚しとか馬鹿にされる。ベータやオメガがニートとして生きていても社会の下層民として冷たく受け入れられているのに、アルファ性のニートは極悪人みたいに糾弾されたり、精神疾患か何か患っているのではないかと変な疑いをかけられたりする。成績、学歴、対人関係や仕事の能率など、アルファ性というだけで超えていなければならないハードルや求められるスペックが馬鹿みたいに跳ね上がるし、それに上手く応えられなければアルファのくせにと蔑まれる。非常に理不尽である。オメガへの差別は社会問題としてよく取り上げられるのに、アルファ性に対する逆差別については誰も問題視しない。そして、世間ではニートのアルファなんてものは存在自体が許されないし、そんなアルファは生きている価値も無い。世界はアルファにとても厳しい。

 そんなアルファの面汚しである僕自身は、ニートのアルファで実の兄に恋するクズだけれど、僕のアルファの遺伝子は兄が放つオメガフェロモンに惹かれることはなかった。そして、兄のオメガフェロモンが僕の理性を狂わせることもなかった。繁殖を目的としたαとΩの遺伝子が近親相姦を防ぐために近しい身内が放つ通常のフェロモンに発情しないようになっているのだ。だいぶ昔に、保健体育の教科書で読んだことがある。実の弟に欲情される兄にとっては、不幸中の幸いである。

 近親相姦は許されないものである。僕が兄に抱く劣情は禁忌である。たとえ、オメガとアルファであろうが血が繋がっているもの同士のフェロモンは惹かれ合うことはない。そんなことはとっくの昔からわかっていた。この世に第二の性をつくった神様は近親相姦を許さない。運命の恋人を、兄弟同士にはしない。

 それでも、僕は兄に焦がれ続けた。

 夜毎、同じ布団の中。左隣で横たわる兄のフェロモンに包まれながら心地良い眠りにつく。僕はオメガのフェロモンが大嫌いである。しかし、兄のフェロモンは僕を狂わせることはしない。毒のように甘ったるく誘惑するオメガの匂いとは異なる兄のフェロモンが好きだった。水から生まれた泡のような青さを纏ったみずみずしい香り。優しいフェロモンに包まれながら、寝入るまでの時間は僕にとってまさに至福のひとときであった。

 オメガから見たアルファはいつ襲われるかわからない獣に見えるだろう。しかし、アルファから見たオメガもまた僕達から見たら恐怖の対象である。オメガが垂れ流すフェロモンにアホみたいに振り回されて理性の無い動物に成り下がることが恐ろしくて仕方ない。この世界の大半を占めるベータやフェロモンを撒き散らすオメガ達はアルファ性の人間を優等種としてカースト優位の立場だと認識しているようだが、理性で制御出来ない性欲に支配される側のアルファの何処に優位性があると言うのだろう。フェロモンを振り撒くオメガは僕達アルファにとって、いつどこで遭遇するかもわからない、まさに生きる地雷である。

 近年はフェロモンの影響を軽減するためにフェロモンガードというアルファ専用の抑制剤が普及し始めた。ニートである僕も多くのアルファと同じように(松代から毎月の小遣いとは別にお金を渡されて)抑制剤を服用している。今までは、オメガだけが自身のフェロモンを抑えるために薬を服用していたけれど、アルファの先人たちがアルファがオメガのフェロモンに誘発されないための抑制剤を開発してくれたのだ。まさに、アルファによるアルファのための抑制剤である。しかし、無効化できるのは通常のオメガフェロモンだけだった。ヒート時のオメガフェロモンには全く効果がないらしい。

 数年前、フェロモンガードが世に現れたとき、アルファ専用の抑制剤として大々的に宣伝された。その頃、僕はまだ中学生になったばかりで、自身の第二の性がどういうものなのかもよくわかっていなかった。部活も何も入らずに授業の終わりとすぐに家へ直帰して、居間で興味のないテレビを眺めながら、だらだらと宿題をしていた。薬の開発に関わったアルファの研究者がテレビで「フェロモンガードには、まだまだ改良の余地がある」とフェロモンガードの可能性を長々と語っているのを聞いていた。当時の僕はそれをぼーっと眺めながら、「だったらさっさと開発してくれよ」と思ったけれど、薬ひとつを開発するのに何百億もの資金が必要で、開発期間も十年、二十年と長い歳月を要するらしい。改良されたフェロモンガードが出回るのはまだまだ時間が掛かるだろう。なんやかんやで、偉大なるアルファの先人たちの恩恵にあずかって、僕を含めた多くのアルファ性はオメガが普段から発しているフェロモンに怯える必要が無くなったのである。

 今でこそ、僕はアルファにとってオメガのフェロモンがどんなに恐ろしいものか理解しているが、自身の第二の性が判明した当初はオメガフェロモンがアルファに与える影響がどれほど大きいのか全く理解していなかった。

 学校の先生の説明を聞いたり、セカンド・ジェンダー絡みの本なんかを読んだりして頭では理解したつもりだったけれど、実際に体験してみてそれがどんなに抗いがたく恐ろしいのか身に染みて実感させられた。

 夢精どころか自慰もまだしたことがなかった中学二年生の頃である。中学校の検査で自身の性種別が発覚して二ヶ月が過ぎ、いつもと同じように学校が終わって、猫に会うために寄り道して帰っていたとき、僕は通りすがりのオメガのフェロモンにあてられてしまった。相手のオメガがどんな人物かは全く記憶にない。ただ、今でもはっきり思い出せるのはいるのは目眩がするような甘ったるい匂いだけだ。

 自分の意志とは関係なしに身体の芯が熱くなり、ゾワゾワと肌が粟立って、呼吸も荒くなり、とても立ってはいられなくなった。勝手に膝から力が抜けて地べたに蹲ってしまった。このときは、自分の身に何が起きたのか全くわからなかった。蜜のような甘い匂いにクラクラする。体が熱い。何も考えられない。朦朧とする意識の中で、ジワジワと高まる熱をどうにかしようと手がズボンのホックへとのびた。その時、「ニャー」と鳴いた小さな友達の声で自分が外にいることを思い出した。今、自分は何をしようとしていたのか? 無意識の行動にゾッとした。とにかく、このまま外に居てはまずい。我に返り、脱力した身体を叱咤して立ち上がると、無我夢中で走った。何度も這いつくばりそうになりながら、ひたすらに家を目指した。

 家に着くと、いつの間にか甘ったるい匂いは消えていて、霧が掛かったように鈍くなっていた頭もすっかり元に戻っていた。しかし一度、火が付いた身体の熱だけは鎮まる気配をみせず、ジリジリともどかしく腹の底で燻り続けた。逃げるように子ども部屋に駆け込み、襖を閉める。誰もいない部屋の中で、ズルズルと壁に背中を預けて制服のズボンのホックに手をかけた。思考は冷静なのに、身体は沸騰したように興奮していた。ズボンを押し上げて膨らんでいる下半身を呆然と見つめながら、自分の身に何が起きているのかをようやく悟った。



「クソ……クソッ……! アルファなんて……もう、嫌だッ……」



 フェロモンに煽られて、腹の奥が発火したように熱く、下半身がもどかしく疼いて苦しい。そんな身体とは反対に冷静な自分は、唐突で、あまりに理不尽な状況に苛ついていた。苛々しながら、高ぶった熱を逃がそうと手を動かした。しかし、欲を発散するには刺激が全然足りない。何度も射精しているのに、 身体は満足できないと浅ましく訴えており一向に熱が冷める気配がない。いくら欲望を吐き出しても、静まらない高ぶりに怖くなる。

 今まで、真面目で大人しくていい子だと言われて育ってきた。そして、自慰なんてやったこともなかったのに、見知らぬオメガに無理矢理に発情状態にされて、 本当はしたくもない自慰を必要に迫られながら作業的に欲を吐き出す行為は、自分が酷く惨めな存在に成り下がってしまったように思える。手や衣服に付着した青臭い精液に吐き気がした。

 トットットッと軽い足取りで階段を駆け上がる足音が聞こえた。誰かに今の痴態を見られるという恐怖のあまり身体は強ばり、心臓が大きく震えた。室内でチンコをさらけ出したまま室内で硬直している僕がいることを知らないその誰かは、部屋の前で足を止めたかと思うと、音もなく無情に襖を開いた。ふんわりと優しい石鹸のような香りがした。



「え……一松?」



 そこに立っていたのは、順列的に2つ上のオメガの兄。カラ松が驚いたように目を丸くして立っていた。
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