おそ松さん

□松ネタ吐き出し
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 翌朝、僕は兄弟に揺さぶり起こされた。どうやら昨夜は気が付かないうちに眠ってしまっていたらしい。「カラ松のヤツ脱皮してどっか行ったぞ」と起こしてきた兄弟は、窓辺に脱ぎ捨てられた青いゲルゲの抜け殻の前に僕を引っ張り立てて、皆でその周りをぐるりと囲む。脱皮したカラ松は甲子園に行ったやら、カラ松ガールを探す旅に出たやら、パチを打ちに行ったやら、皆で口々に好き勝手な憶測を並び立てては騒いでいる。僕はひとり話に加わることなく、昨夜のカラ松のことを考えていた。神となったカラ松は海に帰ってしまった。ヤツがこの家に帰ってくることはもうないだろう。確信があった。ツキンと突き刺すような胸の痛みを無視するようにそっと目を閉じて、兄弟の喧騒に耳を傾ける。

 カラ松が海に帰った二日後の朝に、僕達の部屋の隅に放置されていたゲルゲの抜け殻は母の手によって燃えるゴミの日に出された。そして、松野家には以前のようにカラ松の居ない平穏な日常が戻ってきた。カラ松はいても居なくても僕達の毎日は特に変わらない。

 ただ、僕は違った。

 カラ松が消えたことで、不眠症が再発してしまったのだ。

 左隣りのぬくもりの消えた寝床。ほんのりと香る石鹸の匂いもしなければ、澄み切った海の香りもしない。カラ松が消えてしまった。海に帰ってしまった。もう、二度と会えない。その事実に夜毎、心が折れそうになった。あの最後の別れの夜に、もっと何かできたのではないか。カラ松に伝えるべきことがあったのではないか。色々な仮定が頭を巡って眠れなくなる。また、医者から薬を処方してもらって眠ろうとしたけれど、再び悪夢を見るようになってしまった。

 夢の内容は以前と似たような内容である。光の差さない暗い水底に沈んでいくカラ松。以前は傷だらけのパーカー姿だったのに、黄金の装飾を施した鱗模様の露出の多い海神の姿に変わっている。さらけ出された肌には海を蝕む毒素が沢山の痣となって痛々しく浮かんでいる。気を失っているのか力なく沈んでいくカラ松を受け止めるように水底の深淵の奥深くから、紫の悪魔が何匹もの大蛇を従えるように現れて、汚染された腕を絡めるように取り、その体を後ろから抱き締める。



「お帰り。ポセイドン。もうお前を藻屑に帰したりしない。冥界にも渡さない」



 男の背中から大きな紫の蝙蝠のバサリと広がって二人の姿を隠すように包み込む。



「ねぇ、こんな薄汚れた海なんか捨てて、魔界に堕ちてよ」



 それは、まるで愛おしい恋人へ囁く睦言のような甘いさを秘めつつも、懺悔室で赦しを請う罪人のようにも見えた。やがて、目の前の視界を遮るように周囲の潮の流れが急速に渦を巻き始める。そして、洗濯機の中に放り込まれたように高速回転した末、僕の意識は真っ暗な闇の中へ放り込まれた。

 毎晩、多少の違いはあれど、薄暗い水の中、神の姿をしたカラ松と赤目の悪魔の男という野はいつも共通していた。そして、夢の中のカラ松は、いつもあの悪魔に連れて行かれそうになっていた。けれど、僕には兄が海を手放す訳がないというそんな確信があった。何故なら、カラ松は言ったのだ。この世界を守ると。しかし、確信はあれど、力強くで魔界に連れて行かれたらどうしようという一抹の不安は常に頭から離れることはなかった。

 だから僕は神となったカラ松のために、燃えないゴミなりにできることをしようと考えた。そして、十四松にカラ松を見つけた海の場所を教えてもらい、そこで毎日ゴミ拾いをするようになった。毎日、友達にご飯をやりに行ったあとに散歩がてらテクテク歩いて浜辺でひとりゴミ拾いである。中身の入ったペットボトルや空き缶、ハングル文字が書かれた漂着ゴミやライター、色々なゴミを拾った。僕が一人でチマチマとゴミを拾っても海は綺麗にはならないし、カラ松が胎内の毒素も消えたりはしない。やらないよりマシという程度でしかないだろう。海はカラ松に繋がる唯一の場所。そこで今日もまたカラ松に会えるかもしれないと虚しくも淡い期待を抱きながら、海に足を運び、誰も来ない寂しい砂浜でひとりせっせとゴミ拾いを続けるのだった。
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