おそ松さん

□松ネタ吐き出し
34ページ/38ページ


 人外だろうが、神だろうが、まがりなりにも相手はあのクソ松でしかないのに……。声を掛けることも出来ないなんて。

 こんなのらしくない。全然らしくない。



「一松」



 黙っていたら声を掛けられた。青みを帯びた瞳が静かに僕を見下ろしている。



「起こしてしまったか……。すまない」



 露出の多い扇情的な服に、浮世離れした雰囲気を纏っているせいか、申し訳なさそうに伏せられた睫毛がどことなく色っぽく見える。コイツはあのクソ松なのに……。



「本当は起こすつもりはなかったんだ。しかし、最後に愛するブラザーの一人に別れの挨拶ができて嬉しいぜぇ」



 は? 最後? 別れの挨拶?



「ありがとう、一松。マミーやパピー、他のブラザー達のことをよろしくな」



 クソみたいに低い声で、クソみたいな笑顔で一方的に別れの言葉を告げてくるコイツはやっぱり僕の気持ちなんて全く考えてもいない。



「よろしくって……。お前、一体どこに行くんだよ。この家に、帰ってきたんじゃなかったのかよ」

「一松。今の俺はもう人ではない。俺は、海を司る神として生まれ変わったんだ」

「神……」

「あぁ。海の平和を守る神だ。そして、海を司る神である俺には、俺の海を荒らそうとする邪悪なる化身から、大事な海を守るという役目がある。その神としての責務を果たさなければならない」



 お気楽な次男という立ち位置に甘んじていたコイツが、『責務』という重たい言葉を自分に課するとは思わなかった。そして、海を守るという言葉にいつか路地裏で会った面妖な男の発言が頭を過ぎった。



『さっさと帰って来ないとお前の大事な海がめちゃめちゃになるぞ』



 神となったカラ松が、守ろうとする海。その海を荒らそうとしているのは、やはり……。



「アイツ……あの紫の悪魔みたいな男が、お前の海を荒らそうとする敵なのか」

「え、お前……イッチーと会ったのか?」

「は?」



 パチクリと驚いたように瞳を瞬かせて質問に質問で返してくるカラ松。



「……イッチーって何」



 敵に対して親しげ名前を呼ぶ物言いに引っ掛かって、グッと眉間に皺が寄るのが自分でもわかった。しかし、相手はポンコツ。僕の不快そうな表情に気付きもしない。



「ソイツ、赤目に紫の姿をした悪魔だろ? ソイツ、イッチーって言うんだ。嫉妬を司りし、海の悪魔。古の海獣レヴィアタンのイッチーだ」

「ソイツさ、お前の敵なんでしょ」

「あぁ。イッチーはどんな悪魔祓いも通用しない大悪魔で、大嘘つきで、すっごく強いんだ」


 何故か満面の笑みを浮かべて敵の強さを得意気につらつらと語るカラ松の頭の中を理解できない。どうして、自分の領域を荒らす輩を明るく語れるのか。コイツの脳内は糖分過多のゆるふわパンケーキで出来ているのか。



「何でお前、ソイツのことそんな親しげに話してんの? ソイツにヤラれたせいで、お前は神としての力を失ったんじゃねぇのかよ」



 問われたカラ松は一瞬、何を言われているのかと、きょとんとしたような顔になった。しかし、すぐに柔らかな表情に戻って優しい眼差しで僕を見つめる。



「お前の言うとおりだ。でもな、イッチーは何だか憎めないんだよなぁ」



 兄の白い手がソッと頭に伸ばされる。まるで、親が子を宥めるように、あるいは弱い者を慈しむようにゆっくりと撫でられ、反射的には体が石のように強張った。しかし、カラ松はお構いなしで頭を撫で続ける。



「アイツ、どこかお前に似ているんだよ」



 その愛おしげな物言い。それはまるで、僕が特別扱いされているようではないか。一瞬、ドキッと心臓が大きく高鳴った。



「まぁ、と言ってもアイツは悪魔だからちゃんと応戦したさ。しかし、流石ギルティ・デビル。……コテンパンにやられて手も足も出なかった。この、カラ松が、だ。しかし、皆マミーやダディー、ブラザー達の愛のおかげで怪我も治り、愛というスープで煮込むようにゆっくりと神としての力も戻っていった。皆のラブが、カラ松に再び力を与えてくれたのさ。あぁ、愛に満ち溢れた世界は、何て美しいのだろう…」

「……はぁ?」



 愛だぁ??

 人が真面目に話を聞いているのに、また勝手にイタイことを言い始めたのか。このクソ松は……。

 腹が立って、パシンと頭を撫でていた手を払いのける。さらに睨み付けようとして、カラ松の澄み切った瞳と視線が交差する。



「だから、俺は海に帰らなければならない」



 凛とした口調ではっきり別れを告げられた。



「海を支配する神である俺は、人々の愛と信仰が力の源なんだ。しかし、信仰が薄れ、海も汚染されたことにより神としての力が弱くなった」




 僕の頭を撫でているカラ松の腕に赤黒い痣が薄っすら滲み出てきた。



「は……」



 みるみるうちにカラ松の全身に痣が広がっていき、露出してている皮膚を埋め尽くすように至るところに青や紫、黒っぽい赤などの色鮮やかな痣が痛々しく浮かんでいる。思わず、ついさっきまで頭に触れていた手を掴んで、その腕をまじまじと見てしまう。



「ねぇ、何なのこれ……」



 そんなつもりはなかったけれど、問い詰める口調が勝手にキツい物言いになってしまった。



「汚染だ」

「……汚染?」

「海の汚染。人間達の活動によって排出された廃棄物による汚染だ。海の神である俺は海の穢れを毒素としてこうやって取り入れてしまうんだ。おそらく、先代海神もこの毒素を受け入れ過ぎたせいで消えることになったんだろう」

「アイツは? 海の悪魔であるアイツは汚染されないねぇの?」

「うーん……悪魔であるイッチーには信仰は関係ないし、アイツは魔毒に覆われた魔界の海が本拠地だからな。人間世界の海が汚染されても特に何らダメージはないなぁ」



 なんか、それってコイツはかなり不利過ぎやしないか?

 しかも、汚染を受け入れすぎると、消えてしまうって……。

 そこで、ふと思い出した。



『カラ松兄さん、ヘドロとゴミと廃油まみれで打ち上げられていたからスッゲー臭いッスね。だから、海水と公園の水道で二回丸洗いしたッス」』



 十四松によって連れて来られたときのコイツは、鼻がもげそうになる程の生臭い排泄物と古びた油の強烈な臭いを漂わせていた。



「しかし、俺の場合は先代と違ってブラザーが俺を見つけて連れ帰ってくれた。そして、皆の愛によって俺は、身の内に溜まっていた毒素を浄化し、神としての力を取り戻すことができたんだ。だから、俺は今度こそ、負けない。マミーやダディーやブラザー、そして世界中のカラ松ガールの為にも俺は海の平和を守ってみせる」



 グッと拳を握り締めて力強く言い放ったカラ松は、不意に長い髪を靡かせて、勢い良く背後を振り返った。直後に、騒がしく唸るバイクの音が窓ガラス越しに叩き付けるように飛び込んできた。



「出て来い、クソゴッド! テメェが完全復活して其処にいるのはわかってンだよ。十秒以内に出て来ないとこの町をアクア・アルタにするぞ」



「さてと、厄介なデビルボーイも来たことだし、そろそろ帰るとするか」



 困った生徒に手を焼く教師のように肩を竦める横顔がとても穏やかで、今からすぐ外で待ち構えている敵の元へ向かおうとしているようにはとても見えない。




「それではアデュー、一松。マミーやダディー、ブラザー達をよろしくな」



 クソみたいな凛々しいキメ顔で「俺はいつまでも皆を愛してるぜぇ」と歌うように愛と別れを告げながら、ガラッと窓を開いて、フワリと舞うように窓の外へ飛び出していく。呼び止める間もなかった。布団から身を起こして硬直したように見上げる僕を、アイツは振り返ることもなく、窓の向こうへと姿を消した。慌てて、布団から飛び出して窓の外へ身を乗り出すようにカラ松の姿を探したけれど、そこには既に誰も居らず、妖しく輝く満月と夜の静寂が広がっているだけだった。
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ