おそ松さん

□松ネタ吐き出し
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※カラ松事変ネタ
※カラ松君がミニゲルゲになって帰って来た話




 真っ暗な部屋の中、広い布団に横たわり兄弟のいびきを聞きながら天井を見上げる。眠れない。僕の左隣で眠っていた兄弟がいない。もう二週間近く僕の左隣は不在のままである。いつも僕の左隣で寝ていた兄……松野カラ松は二週間近く家に帰ってきていない。

 二週間前、チビ太に誘拐されたカラ松は海で行方不明になった。その知らせをチビ太から松野家に来て、一応わが家からはカラ松の失踪届をだしたものの僕達の日常は特に変わりはなかった。母はいつもの笑顔で「ニート達ご飯よ」と六人分の食事を用意するし、僕たちはその余りを巡って食事の度に仁義なき戦いに身を投じている。両親も兄弟も普段と何ら変わりない暮らしを送っていた。一度、カラ松の不在について両親がどう思っているのか気になって、兄弟が遊びに出かけている間に二人にそれとなく訊ねてみたことがある。父も母も「雪山の次は海か」「また今度は何を取りに行ったのやらか」「魚でも獲りに行ったんでしょ」と呆れていた。そして、いつの間にか話題はカラ松のことから刺身に移っていた。健康体の成人済みニートが消えようが、穀潰しの一人が記憶喪失になろうが、金食い虫の一匹が家の前でのたれ死んでいようが松野家にとってはたいしたことではない。カラ松のひとりやふたり消えようが僕らの平穏は揺らいだりはしない。

 父は変わらず元気に仕事に行くし、母も変わりなく家事をこなしご近所の人と楽しそうに井戸端会議を繰り広げているし、他の兄弟も競馬やパチスロ、アイドルのライブに野球、合コンなど各々好きなことをして怠惰なニート暮らしを続けている。そして、僕も毎日欠かさずに可愛い友達に会いに行っている。

 カラ松の不在は松野家の住人に何ら影響を与えることはなかった……筈だった。ヤツの隣で眠る僕を除いて。一見、僕も他の兄弟と何ら変わりなく見えるけれど、カラ松が行方不明になったという知らせはしっかり僕に影響を与えていた。カラ松が海に消えたという連絡が我が家に連絡が来た夜から、僕は眠れなくなってしまった。布団に入ってもなかなか寝付けず、眠れたとしても一時間か三十分程しか眠れず、翌朝までに何度も目が覚めてしまう。十分な睡眠がとれないせいか日中も疲れやすく、食欲もなく、最近は頭痛までしてくるようになった。そのせいで、毎朝の日課である十四松の素振りにもろくに付き合ってやることも出来ないでいる。

 とうとうそんな僕を見かねたのか、ある日兄弟全員にしょっ引かれて病院に連れて行かれた。そして、兄弟たちが医者と話をして、いくつか簡単な問診をされて薬を処方してもらった。出された薬を飲んで眠るようにすると、ストンと寝入ることができるようになったものの、今度は酷い悪夢に飛び起きるようになった。夢の内容は毎晩決まって同じ内容のものだった。光の届かない暗い海に沈んでいく傷だらけのカラ松。咄嗟に手を伸ばそうとしてもけして触れることはできない。冷たい深淵から黒紫の大蛇が何匹もあらわれて、その長い体がカラ松の四肢を絡みついて放さない。何匹もの大蛇に囚われたカラ松はより深い闇に引きずり込まれて消えていく。カラ松の姿が闇の奥へ消えたところで、僕は目を覚ます。毎晩、同じ悪夢に飛び起きて、左隣の空っぽの寝床を目にする度に嫌な不安に胸がざわめいて、いてもたっても居られずに苛々して、そこにいないカラ松に向かって舌打ちをする。そんな眠れない夜が何日も続いた。

 ある日、弟の十四松が変なモノを我が家に持って帰ってきた。

 その日の十四松は野球バット片手にいつものようにどこかに出かけていた。僕を含めた残りの兄弟はとくにやるべきことも予定もなかったので四人揃って家にいた。二階の子供部屋で、寝転がって漫画を読んだり、坐り込んでアイドルグッズの整理をしていたり、窓際で遊びに来た猫の相手をしたり、ソファーに腰かけてスマホを弄っていたり、それぞれが思い思いに寛いでいた。夕方ごろになると、突然バタバタと騒がしく階段を駆け上がる音がし、スパーンと大きく乾いた音とともに勢いよく襖が開かれて、十四松が飛び込んできた。



「みんなー! カラ松兄さんが帰ってきたよー!」



 弟は両腕に抱えていた生き物をずいっと突き出しながら元気よく言い放った。ダランと垂れた黄色い袖口に抱えられた生き物は、一見モコモコとした青い毛に覆われた芋虫である。頭には二本の触角を生やし、松野家・次男のパーソナルカラーをした芋虫はカラ松の顔をしていた。 ゲルゲだ。カラ松の顔をしたミニゲルゲ。。カラゲルゲだ。見た目は、暗黒大魔界クソ闇地獄の住人がリア充に嫉妬した成れの果て……ゲルゲそのものである。しかし、サイズが違う。僕が変身した時は人間よりもはるかに大きな体をした巨体のゲルゲだったけれど、目の前のゲルゲは小さな仔犬ほどのサイズで弟の腕にすっぽりと抱き込まれている。そして、なぜだかびしょ濡れの姿で。十四松の服も濡れており、青いゲルゲを抱えている袖口からも吸いきれなかった水が滴り落ちている。そして、何故かところどころパーカーが赤黒く汚れていた。



「ほら、カラ松兄さんだよ」



 十四松がソイツを持って部屋の入り口に立っただけで、古びた油の強烈な臭いと生臭い排泄物のような汚臭がプーンと漂ってきて、ドブのような臭いが部屋に充満した。さらに仄かに漂う潮の香りもブレンドされており、少し嗅いだだけでも吐きそうになる。



「うわっ! ソイツ、クッセーな」



 漫画を読んでいたおそ松兄さんがあまりに酷い悪臭に飛び起きて、鼻を摘んで怒鳴った。



「十四松兄さん、お願いだから部屋に入って来ないで」



 いつの間にか防護服を着て、どこからともなく取り出した火炎放射器を両手に抱えて、部屋の入り口に立つ兄へ噴射口を向けるトド松。どうやら、ある一定のラインを超えると十四松もろとも殺菌消毒する気らしい。



「カラ松兄さん、ヘドロとゴミと廃油まみれで打ち上げられていたからスッゲー臭いッスね。だから、海水と公園の水道で二回丸洗いしたッス」

「風呂場でもういっぺんキチンと洗って来い!!」



 右手で鼻を摘んだチョロ松兄さんが声を荒げながら、左手でシッシッと犬を追っ払うように入り口を指差す。

 臭いがあまりにも酷いので、問い詰めるよりも先に鼻を摘んだ兄弟から「こっちに来るな」「臭い」「何とかしろ」と一斉に苦情が殺到してしまい、とても話が出来る状況ではない。少し首を傾げて思案した十四松は、「わかった! とりあえずカラ松兄さんを洗ってきマッスル!」と人面青芋虫を頭上に掲げてドタドタと騒がしく砂埃を撒き散らしながら階下の風呂場に飛んで行った。

 十四松が階下に去った後、トド松がファブリーズを部屋に撒き散らすのを眺めながら、僕は頭の中で弟の言葉を反芻していた。

 十四松は、カラ松が帰って来たと言った。

 そして、彼の腕にはカラ松と同じ凛々しい眉をした青いゲルゲ。ソイツをカラ松だと言った。

 何でアイツがゲルゲになっているのかとか、どうしてそんな姿で帰ってきたのか、本当にカラ松なのかとか、色々なことが気になって十四松がバスタオルにカラ松を包み込んで部屋に戻って来るまで気持ちが落ち着かなかった。





◇◇◇




「それで、ソイツ何なの?」



 十四松が風呂場から戻ってきて来てさっそく腕に長男が問い詰める。




「カラ松兄さんだよ。なんかカラ松兄さんね、海で溺れて気が付いたら神様になっていたんだって」

「「「「はぁ?」」」」



 訳の分からない返答に、おそ松兄さんと僕を含めた他の兄弟も長兄の声に重なって一斉に声を荒げた。



「何それ!? どーゆーこと!? 意味不明すぎなんだけど!?」

「カラ松兄さんは海で死んで神様になっちゃったみたいッス」

「何アイツ、童貞こじらせて魔法使いになるどころか、童貞のまま死んで神様になっちまったのか! ヒーッ! はッ、腹痛えー! 肋折れる〜!」

「ちょっと! ぜんぜん笑い事じゃないよ! カラ松のやつ、こんな姿で帰ってきたとはいえ、一回死んでんだよ!? おそ松兄さん」



 十四松に詰め寄るトド松に、爆笑するおそ松兄さん。笑い転げる長男にキレるチョロ松兄さん。僕は黙ったまま、弟の腕に抱かれている兄を見つめていた。凛々しい眉毛に、凛とした眼差し。青いパーソナルカラー。じぃっと観察する僕の視線に気が付いたのかカラ松が僕を見た。互いの視線がかち合う。



「せらび〜」



 謎の鳴き声を発しながら、僕に向かってアホみたいに楽しそうな顔で笑いかけてきた。その間抜け面は、僕がよく知っているもので、その不可解な生き物はやはり僕の兄・松野カラ松であった。






◇◇◇





 長姿形が変わろうともカラ松に違いないということで、小さな異形として帰還した兄は、姿形が変わろうがカラ松はカラ松であるとおそ松兄さんが断言したことにより、あっさり松野家に受け入れられた。父さんや母さんなんかも、ただ飯食らいの成人済みニート(♂)がエンゲル係数に優しい松になって帰ってきたと大歓迎していたくらいである。

 兄弟達も小さなゲルゲとなって帰ってきたカラ松に対して以前と全く変わりない調子で接している。おそ松兄さんや十四松は青ゲルゲを脇に抱えて、パチや競馬、釣り堀や公園に連れて行っては、ハタ坊の出店やチビ太の屋台であれこれ飲み食いして帰って来ている。

 チョロ松兄さんやトド松は青ゲルゲを連れ回したりしないけれど、どこかに出掛けた際にはコンビニのお菓子やスターバックスのドリンクなどちょっとした土産を持って帰ってきては、カラ松にあげたりしている。

 僕はそんな兄弟とカラ松を眺めているだけである。ミニゲルゲとして新しく生まれ変わったNEW カラ松とどう接したら良いのかわからなかった。以前はカラ松の優しさに甘えて、カラ松の私物を壊したり、胸倉を掴み上げて脅したり、殴ったりして力ずくでカラ松から反応を引き出しては、泣いたり、怒ったり、困惑する兄の様子を楽しんでいた。

 僕とカラ松のコミュニケーションは主に兄の寛容さによって成り立っていた。なので、僕の兄という立場をやめて、人語も話せない小さな異形に成り果てた兄に、どう接したら良いのかわからない。どうしたら良いのかわからないまま、異形のカラ松が「せらびー」と楽しそうに鳴きながら兄弟と仲良く過ごしているのをただ眺めていた。

 日中はろくにカラ松と関わることはできないけれど、ただ夜に六人並んで眠る時だけ僕はカラ松の隣に寄り添うことはできた。と言っても、その寝顔を間近で見つめるだけである。

 毎晩、皆が寝静まった夜の静寂の中、一人目を開いて、隣で呑気に寝息を立てている兄の寝顔を眺めていた。そして、すっかり変わり果てた姿で帰って来たとはいえ、生死もわからぬ行方不明だった兄が、また自分の隣にいて、安心しきったように間抜け面を晒して寝ている姿を見て、無性に泣きたくなる。そっと手を伸ばして小さな体を引き寄せて、まるで抱き枕かぬいぐるみのようにその体を抱き締める。柔らかな青い毛並に顔を埋めると、優しい石鹸の香りがふんわりと漂ってきて僕の意識を心地良い微睡みへと誘ってきて、ゆったりと瞼をおろす。

 カラ松が行方不明になってから、ずっと眠れない夜が続いていた日々がまるで嘘のように、再びぐっすり眠れるようになった。柔らかな温もりと仄かな石鹸の香り、そして、確かな息遣い。どういう形であれ、生死不明のままだったカラ松が帰って来たという事実は、僕に安寧の夜を与えた。カラ松が帰って来てから僕は昼間は一切カラ松と関わることはしなかったけれど、夜の間だけはすっかり寝入っているカラ松を抱きしめて眠るという、ちぐはぐで一方的な関係を築いていた。そして、当のカラ松はというと自分が抱き枕にされていることも知らずにスヤスヤと眠り、朝も僕より遅く起きるので、自分が眠っている間のことは全く知る由もないのだった。同じ布団で寝起きしている兄弟達は、僕の不興を買いたくないのか、夜の間の僕の行動に関しては我関せずと知らんふりをして、カラ松と僕のぎこちない関係に余計な口出しもして来なかった。触らぬ神に祟りなしの懸命な判断である。

 一度だけ、ひとつ下の弟からカラ松と一緒に遊ばないかと誘われたことがある。

 天気の良い昼下がり、 特に出かける予定もなかったのでいつものように家にいた。そして、二階の子ども部屋で十四松とカラ松が双六で遊んでいるのを、部屋の隅で膝を抱えながら眺めていると、不意に弟から遊びに誘われたのだ。「一松兄さんもカラ松兄さんと一緒に遊ぶ?」と。「いい」と断ると、弟は伸びきったパーカーの両袖で口元を覆いながらコテンと不思議そうに首を傾げた。何かモノ言いたげな猫目に、「何?」と問いかけるも「兄さんが良いならそれで良いッス」とにぱっと笑って背中を向けた。遊びに誘われたのはその一回だけだ。以降、十四松が僕をカラ松との遊びに誘うことはなかった。

 カラ松が帰ってきてからひと月が過ぎた。相変わらず、カラ松は母さんの手料理を食べ、昼間は兄弟のうちの誰かと遊び(と言っても殆ど相手は十四松である)、夜は僕の抱き枕として寝る日々を送っていた。

 いつものように、眠るカラ松を抱き締めて目を瞑ったとき、カラ松の匂いがいつもと違うことに気付いた。微かに匂い立つような潮風にほんのり交じる甘い香り。いつもの優しい石鹸の香りではない。 どうして。どうして、いつものカラ松の匂いがしないのだ。 一瞬、香水やコロンの類いを付けているのかと思ったけれどソレはすぐに違うと打ち消した。そんな、あからさまな人工的な匂いとは違う。仄かに匂い立つ海の香りはカラ松自身が発せられていた。海で行方不明になり、再び海で発見されたカラ松。人外に成り果てたカラ松。控えめに香る潮風の香りに何だか不吉な予感がした。

 すっかり変わってしまったカラ松の匂いが気になって、その日の夜は一睡もできなかった。
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