おそ松さん

□カラ松Rat事変
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 最後に部屋を出たチョロ松は顔を洗いに洗面所に行き、居間にいるのはトド松と十四松と一松だけであった。

 とりあえず、取り込み中の長男と次男、顔を洗っている三男を置いて、弟たち三人で先に食事を始めることにした。



「いや〜それにしても闇松兄さんさぁ。やり過ぎじゃない?」

「……は?」



 ご飯を食べていると、突然、末っ子のトド松が一松に噛み付いてきた。

 いきなり何なんだと一松が面倒くさそうに眠たげな半目を向けるが、トド松はいつものようなアヒル口で可愛らしく笑っている。口調もからかうように軽いものだが、目だけは全く笑っておらず、どこか軽蔑の色を含んで、一松を見ている。



「いくらカラ松兄さんのことが嫌いだからって、アレは人間的あるいは道徳的にどうかと思うよぉ?」

「あぁ?」



 突然、あらぬ疑いを掛けられた一松が不穏な雰囲気を纏う。眠たげな半目が剣呑な色を帯びて声も低く凄むが、トド松は顔色を変えずに、スッと目を細めて言葉を告げる。



「どーせ、夜中の内に猫に食べさせたんでしょ?」



 その瞬間、一松は箸を置いて立ち上がり、向かいに座っているトド松に迫って胸ぐらを掴み、無理矢理立ち上がらせる。
驚いた十四松が箸と茶碗を置いておろおろと兄と弟を見ている。



「……ふざけんなよ。トド松!」



 唸るような低い声。憤怒を露にした険しい顔で迫られ、一瞬、トド松の顔が怯む。しかし、彼の口は止まらない。



「だって!一松兄さんは猫と仲良しで、カラ松兄さんのことが嫌いなんでしょ!? カラ松兄さんのサングラスとか勝手に猫に壊させたりしてんじゃん!」

「っ!」



 確かに、その通りである。普段からカラ松に対してキツく当たっている自覚があるだけに、トド松の言っていることは当たっている。

 一松は自分のことを燃えないゴミと自称し、兄弟からも犯罪者予備軍扱いされているが、まさか実際に容疑者扱いされることになろうとは……。

 普段の行いが行いなので、自分が疑われても仕方ないなと思う反面、身に覚えのない罪を糾弾されて胸糞悪いし、腹が立つ。正直、何言ってんだてめえ、あぁ?という怒りで腹の底がぐらぐらと煮立っている状態である。

 一松を睨むトド松と目が合う。ギラッと一松の目が光り、険しく細まった。

 両手で胸倉を掴んでいた右腕が大きく振り上げられる。条件反射でビクリと肩を震わせて、トド松はすぐに迫り来る衝撃にギュッと目を閉じて備えた。しかし、想像していた痛みが襲って来ることはなかった。

 閉じていた瞼をそっと開くと、振り上げられた一松の拳を、十四松が手首を掴んで止めていた。



「離せ、十四松っ!てめえもぶっ飛ばすぞ!」



 吼えるような怒声に怯むことなく、十四松は首を振った。



「だめだよ。一松兄さん。今は食事中だよ。席に着いて」



 顔はいつものように笑っているが、有無を言わせない淡々とした声音で制止される。さらに、十四松は言うことを聞けと言わんばかりに、一松の手首をより一層強く締め付けてきた。こうなると一松にはどうしようも出来ない。



「……チッ」



 仕方がないので、左手で突き飛ばすようにトド松の胸倉を解放すると、十四松もあっさり一松の手首を離した。

 トド松がキッと睨むように一松を見上げ、一松はトド松を脅すように見下ろす。両者ともに無言の睨み合いである。十四松は再び自分の席に座って食事を再開する。

 ちょうど、その時。居間の出入り口が開いてチョロ松が入ってきた。

 チョロ松は末っ子と四男のただならぬ不穏な空気に首を傾げた。しかし、パクパクとご飯を食べる五男の姿に「ま、大丈夫だろう」と、触らぬ神に祟りなし、と敢えて何も触れずに、用意された自分の席に座って、いただきますと手を合わせた。

 その後、一松とトド松もチョロ松に続くように自分の席に座り、中断していた食事を再開した。

 チョロ松達が食事を終えた頃に、おそ松とカラ松が居間にやってきた。



「お〜!腹へったぁ!飯だ。飯!」



 いつもと変わらない笑顔で入ってきたおそ松。しかし、続いて入ってきたカラ松は…。

 散々泣いて真っ赤に腫れ上がった瞼。
 覇気のない眉。
 生気のない半目。
 俯いた視線。
 赤い鼻。
 落ち込んだように力ない猫背。
 寝起きのようなボサボサ頭。

 格好付けでナルシストなカラ松とは思えない姿である。寧ろその姿は、カラ松というより……。

 トド松とチョロ松と十四松の視線が、ほんの一瞬だけ、居間の隅にいる四男に向かい、すぐに逸らされる。一松は鬱陶し気に舌打ちをした。

 チョロ松とトド松は心の中で叫んだ。



(一松二号!!)
(病み松兄さん!!)



 さすがに、今この場で口に出すのは憚られたので声には出さなかった。状況に合わせて適切なツッコミができる三男・六男は空気が読める人間である。

十四松は何でもないようにいつも通りの笑顔でおそ松とカラ松に「おはよー」と挨拶している。一松は部屋の隅で膝を抱えて複雑そうに眉をしかめながら、兄二人の様子を伺っている。

 卓袱台の上には、おそ松とカラ松の食事が置かれていた。おそ松は「お前も早く座れ」とカラ松を促し、席に座らせる。お互いに箸を取り、「いただきます」と手を合わせた。



「……」

「カラ松。箸動いてね〜ぞ。食わねーの?」

「すまない、兄貴。今は腹が空いてないんだ……」

「え〜。お前、ちょっとは食えって」

「……」



 カラ松は黙って首を振るだけで、朝食には手を付けず、結局、その殆どをおそ松と十四松にあげた。空になった食器を前に「ごちそうさま」と手を合わせると自分の食器を持って早々に居間から引き上げようとする。



「カラ松、待て」



 居間を出ようとしたカラ松をおそ松が引き留める。



「俺、もうすぐ食い終わるから、そこで待っとけ」



 ちらりと虚ろな半目で振り返る。カラ松は言われた通りに食器を卓袱台に置いて再び自分の席に座って待機する。

 大人しくおそ松を待つ幽霊のようなカラ松を、チョロ松と一松、トド松の三人がチラチラと様子を窺っていた。チョロ松は暇潰しに新聞を広げ、一松は部屋の隅で膝を抱え、トド松はスマホを弄っていた。十四松だけはカラ松のことを気にする素振りは一切見せずに、カラ松から貰ったおかずを喜んで食べていた。

 おそ松は宣言通りに急いでご飯を腹に掻き込み、あっという間に食事を終えると「ごちそうさま!」と言って立ち上がった。卓袱台に二人分の食器を残して、幽霊のように生気のないカラ松の腕を引いて居間を出て行った。

 部屋には、チョロ松、一松、十四松、トド松が残される。

 チョロ松はやれやれと溜め息を吐いて、新聞を畳むと長男と次男が食べ終えた食器を台所へと持って行き、十四松も自分の使った食器を持って黙ってチョロ松を手伝いに後に続いた。

 トド松は、先ほどの食事の時のやり取りのせいか卓袱台越しに、部屋の隅で膝を抱えている一松を警戒したように睨んでいたが、一松は突き刺すようなトド松の視線を涼しい顔で受け流す。正直、トド松の相手をするのは面倒だった。

 そもそも、頭と口がよく回るチョロ松やトド松と口で喧嘩するのは自滅行為に等しいことである。言葉の暴力では恐ろしい程のえげつなさを見せるのがチョロ松とトド松である。この二人を本気で怒らせた口喧嘩では100%言い負かされる自信があるし、対抗したり受け流すだけでもごりごり精神を削られるのであまり相手をしたくない。面倒事は避けるのが一番である。

 トド松の視線に気付かない振りをしていると、トド松は睨むのに飽きたのか再びスマホを弄り始めた。

 しんと静まり返った居間の中、ふと部屋の前を誰かが通りすぎる気配を感じ、一松は入り口の襖に目を向ける。二人分の足音だった。どちらも十四松のように騒がしくない足音だったので、十四松とチョロ松ではないなと判断した。そもそも、十四松もチョロ松も遅れて出た兄二人分の食器を、母親の代わりに洗ってくれているはずである。チョロ松が率先して食器を洗い、隣で十四松が拭いて食器棚に片付けているだろう。その二人はまだ台所にいる筈なので、部屋の前を通ったのは十中八九が二階から降りてきたおそ松とカラ松だろうと推測する。

 一松は立ち上がるとそっと入り口に身を寄せて、襖の外の気配を窺った。そんな一松をトド松が不審そうに眉を寄せて見ているが無視した。廊下の気配はそのまま玄関へと向かい、やがて玄関の引き戸を開けて外へ出て行った。

 一松も兄二人の後を追って、居間を出て玄関に向かった。

 靴を履いて外へ出ると、庭の方で二人の気配を感じた。一松は二人に気付かれないように死角となっている壁に身を隠して二人の様子を窺う。

 二人は一松のいる方向に背を向けてしゃがみこんでいる。傍らには例の水槽が置かれていた。



(ネズミの埋葬か……)



 庭に来た時点で、薄々察していたがやっぱりそうか、と納得する。

 おそ松が園芸用のスコップで穴を掘り、カラ松が泣きながら水槽からラットの死骸を素手で取り出して穴の中へ入れる。

 一松はカラ松が、ゴム手袋なり軍手なり着けていないことに少し驚いた。

 あのラットの死骸は頭も腹もぐちゃぐちゃに食い荒らされて見るに耐えない酷い有り様なのだ。正直、自分ならけして素手で持とうとは思わない。しかし、優しい兄にはそのこと自体が耐えられないのだろうなと思い直した。昨日まで、カラ松はあのラットを素手で触っていたのだ。それを何かに食い殺されて酷い有り様だからと、汚い生ゴミを扱うように触りたくなかっただろう。もしかすると、カラ松の中には助けることができなかった負い目もあるのかもしれない。血で汚れても良い。最期の埋葬をする時も自分の手で埋めてやりたいと、そう思っているのだろうか…。

 おそ松もカラ松に手袋を付けろと言わず、カラ松のしたいようにさせている。

 カラ松がラットを穴に置くとおそ松が土を被せて墓穴を埋めた。カラ松は大粒の涙をポロポロと溢して泣いていた。おそ松は墓の土を山盛りにして、その上に墓石代わりに大きな石を乗せる。そして、庭に咲いていた花を何本かカラ松に渡して墓に供えさせた。



「ごめん、な……」



 ラットの墓に花を供えて謝るカラ松。いよいよしゃっくり上げて本格的に泣き始めたカラ松の頭を、おそ松がポンポンと叩いて慰めていた。



「……」



 一松は二人に気付かれないように、そっと家の中へ戻っていった。
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