おそ松さん

□カラ松Rat事変
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 ラットがやって来た翌日、カラ松はペットショップで大きめの水槽と給水ボトル、床材に使うおがくずに動物用の消臭スプレー、ネズミ用のペレットとおやつをどっさり買ってきた。

 カラ松が帰ってきた時、家にはカラ松以外の兄弟は誰もいなかった。

 おそらく、おそ松は競馬。チョロ松はハローワ―ク。一松は猫探しで、十四松は野球。トド松は女友達と買い物だろう。

 昨夜のうちに、カラ松はスマホでラットの飼育に必要な情報を調べていた。そして、服やオシャレに費やしていた小遣いを全てラットの飼育費用にすることに決め、翌日にはラットの飼育に必要な餌や道具を一通り買い揃えたのである。

 カラ松は松野家に連れてこられたラットに同情していた。

 昨日から、段ボール箱の中で怯えたように縮こまっているラットが気になって気になって仕方がなかったのである。

 全身を強ばらせて小さく震える体。
 尻尾の先っぽを掴まれて宙吊りにされて、もがく哀れな姿。
 力強く握り潰されそうになってか細く助けを求める声。

 あの小さな生き物はどんなに痛くても苦しくても、誰にも噛み付かなかったのだ。

 怯えて逃げて、恐怖のあまり脱糞・失禁はしたものの、兄弟の誰かを噛んだり傷付けたりすることはしなかったのだ。

 ろくな抵抗もできずに、強大な人間にただ翻弄されるしかない小さな小動物。見ていてカラ松の心に同情心がわき起こってしまった。我が家に連れてこられてしまった以上、あのネズミは松野家で生涯を終えることになるだろう。ならば、せめて少しでも快適に過ごせる環境を作ってやりたい。

 カラカラ空っぽと自称していたカラ松は、思い立ったら即行動する男だった。さっそく朝から、ペットショップを訪れてはラットの為に必要なものを買い揃えたのだった。

 カラ松は買ってきた大きめの水槽におがくずを敷き、給水ボトルと餌箱を設置した。そして、段ボール箱を開いて中にいるラットをそっと両手で優しく捕まえて水槽へと移動する。



「お前、優しいやつだな」



 初めて連れて来られた知らない場所。

 段ボール箱の糞尿の汚れは凄まじい。きっと不安でいっぱいだったのだろう。
 昨日はたくさん怖い目にあわせてしまった。しかし、この小さなラットは兄にも弟にも噛み付かなかった。

 ハムスターやリスなどといった小動物は気に入らなければ、飼い主相手にも容赦なく噛み付くと聞いたことがある。しかし、人間の為に改良された実験動物であるラットは自身を守るために必要な攻撃性をほとんど削ぎ落とされているらしく、よほど酷いことをしない限り、人に噛み付くことはないのだ。現に、このラットは尻尾一本で宙吊りにされ、不安定で苦しい目にあわされても、力強く握りしめられても、人間に噛み付くことをしなかった。

 また、先ほども段ボールから水槽に移動する際に、カラ松の手が伸びてきてその体を両手で包み込むように捕まえても、隅っこに身を寄せて体を固くするだけだった。



「大丈夫。俺も俺の兄弟もお前を傷付けたりしないから」



 とりあえず、この小さな生き物が今の環境に馴れるまではむやみやたらに触れようとするのは良くないかもしれない。

 不安を紛らわせようとするように必死に毛繕いをするラットを見つめながら、カラ松は十四松にもラットに触らないように伝えないとな、と考えていた。





◇◇◇




 ラットが松野家に来てから一ヶ月。

 ラットはカラ松に非常に懐いていた。



「あはは、可愛いな―!お前」



 部屋の窓際に座り込んで手鏡を見つめていたカラ松の背中を、ラットがチョロチョロとよじ登り、肩の上に上がる。

 カラ松は擽ったそうに笑い声を上げて笑った。



「フフン。カラ松Rat。そんなに俺のことが好きか?」



 「俺もお前のことを愛してるぜ☆」とイタイ決め顔を作って、肩を行ったり来たりするラットを撫でるカラ松。

 ネズミに愛を囁く次男を、十四松とおそ松を除いた他の兄弟達が凍りつくような冷たい瞳で眺めていた。



「カラ松Rat!?カラ松Ratって何!え、もしかしてあのネズミの名前!?あいつ自分の名前をネズミに付けてんの!?」

「イッタイよねぇ!ネズミ相手にキザったらしい成人男性ってホンっト、イッタイよねぇ〜」

「うぜぇ…」

「カラ松だけズリ―ぞ!」

「ハイハイハ―イ!カラ松兄さん!俺も触りたい!」



 チョロ松、トド松、一松は心底嫌そうに顔を顰めている。しかし、メンタル小学生の長男は、カラ松だけ肩に登られるほど懐かれていることに不満そうに抗議し、十四松は自分もカラ松Rat(カラ松命名)と遊びたいと挙手する。

 カラ松は隣にやってきた十四松にラットを手渡すと、ラットはスルスルと十四松の腕を伝って肩に移動した。十四松は自分の肩にラットが移動してきたことに「おお!」と声を上げて喜び、ラットを掴もうとしたが、ラットは十四松の手から逃れるように背中へ移動して、そこから服を伝うようにして畳に落ちた。そのまま、畳の上を走って胡座を組んでいたカラ松の足元へ避難する。

 どうやら、初日に十四松に力任せに握り締められたことを忘れていないらしい。

 おそ松がカラ松の足にいるラットへ手を伸ばすが、ラットは避けるようにカラ松の足から腹へとをよじ登り、肩へ逃げる。



「もう、本っ当お前だけズリ〜ぞ!」

「兄貴もカラ松Ratの世話をすれば良い。おやつをあげると喜んでなついてくれるぞ」

「おそ松兄さんも俺達と一緒に餌上げたり、おやつあげたり、遊んだりしよ―よ!あ、でも、尻尾掴むのはナシねー」

「えぇ〜!」



 カラ松の体の上で、逃げ惑うラットの尻尾を捕まえようとしていたおそ松は、十四松の言葉に不満そうに声を上げる。



「だめかぁ?」

「うん、ダメ―!」

「ちぇ、つまんね―!やっぱり、コイツ、クソネズミだわ」



 つれないネズミと弟にすっかり臍を曲げてしまった長男は、不貞腐れたように床に寝転がった。

 次男と五男はいじけた長男を無視してネズミと遊ぶ。

 他の兄弟達もアイドル雑誌を読んだり、スマホを弄ったり、部屋の隅で膝を抱えたり、各々が好きなことを再開する。









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