その他

□第五人格
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 この城から出るための出口を探さなければならない。

 おそらくこの城は先ほどの桃色の髪をした不思議な男と、その彼が言っていた吸血鬼が棲む城だ。

 見つかれば直ちに再び狭い檻の中に閉じ込められるか、その場で食い殺されるか。どっちにしろ遅いか早いかの違いだけで行き着く先はどちらも魔物の腹の中。

 あの怪しい麗人自身は、食い殺すつもりはないと話していたが、あきらかに彼は自分に何かを仕掛けようとしていた。偶然、持っていた魔除けのお守りのおかげでなんとか逃げられたものの、二度目も助かる保証はない。養父がくれたお守りは今はもう粉々に砕けて失くなってしまったのだ。

 誰にも見つかってはならない。

 あの変な男にも。そして、この城の主だという吸血鬼にも。



(魔物に見つかって、散々いいように弄ばれた末に食い殺されるなんて嫌すぎる)



 深い霧の中、茂みや石像、木などの物陰に身を隠しながら石造りの城に向かって歩く。城に近づくにつれて地面が土から石畳へと変わる。しばらく城の壁に沿いながら石畳を歩いていくと正面玄関から城門へと続く長い石造りの橋を見つけた。



(あれは!)



 外への出口だ。

 脱出への手掛かりを見つけて、長い石橋を走る。しかし、大きな門は堅く閉ざされており、押しても引いてもビクともしない。


「開かない……」


 堅牢な城門を前に、大きな南京錠をガチャガチャいじっていると、目の前に赤い文字が浮かび上がってきた。



『子羊の運命は腹の中』



 血のように真っ赤な文字が嘲笑うように表れて、煙のように消えていった。



「……ッ!」



 捕らえた獲物が檻から抜け出したことは、既にこの城の主に伝わっている。

 それでも尚、すぐに捕まえることをせずに、非力な獲物の抵抗を愉しむように高みの見物をしているのだ。

 そして、今もどこかでこちらの様子を見て嗤っているのだ。



「いやだ! 開いてよ! 僕をここから出してッ!」



 どれだけ力いっぱい叩いても、無駄だとわかっていた。

 ジェイに会いたい。帰りたい。

 でも、それは叶いそうもない。

 ここから出る方法もわからない。

 喉の奥が震える。眼球の奥が焼けるように熱くなる。



「ヒック……助けてぇ……。ジェイ、怖いよ……」



 不安と恐怖に押しつぶされて、頭の中がぐちゃぐちゃだった。

 膝から力が抜けて崩れ落ち、堅牢な城門の前で跪くようにうつ伏せの姿勢になる。込み上げてくる感情のままに涙を流す。

 軽やかに石畳を蹴る足音がした。



「ワォッ!」

「え?」



 驚いて振り向くもそこには先ほど助けた灰銀の巨犬がいた。



「きみ、逃げたんじゃ……? うわっ……な、何?」



 涙で濡れた頬をペロリと舐められた。そして、僕の服の裾を咥えて、布が千切れない程度の力でクイクイと引っ張られる。

 もしかすると、これは『立て』と言われているのかもしれない。

涙を拭い、促されるまま立ち上がると、彼は咥えていた裾をあっさり放した。ジッと僕を見下ろしている



「えっと……ありがとう……」

「ワン」

「あの……少しきみに……触っても、良いかな?」

「ワン」



 承諾するようにひと声鳴いて頷かれる。ソッと銀色の毛に手を伸ばす。相手は避ける素振りを見せずにジッとしている。そのまま、伸ばした手を頭にやりゆっくりと耳のあたりを撫でる。触り心地の良い柔らかい毛並みをしていた。



「てっきり、きみはもうどこか行ったんだと思っていたよ」

「……」

「きみは、ここで飼われているのかな?」



 ゆっくりと首を左右に振って否定される。



「そっか。じゃあ、僕と同じだ……。ここに迷い込んで帰れない迷子……」

「……」



 獣はなんの反応も示さなかった。ただ、こちらを静かに見つめている。



「ここは、吸血鬼のお城なんだって」

「……」



 彼はジッと僕の言葉を聞いている。



「きみがまだいてくれて、良かった……。僕は、このままひとりぼっちで、魔物に食べられて死ぬんだと思ってた……」



 柔らかな毛並みを撫でながら、ぽつり、ぽつりと弱音を漏らす。すると、彼がこちらの頬を慰めるようにまた舐めた。



「……だから、きみがいてくれてよかった」



 ひとりじゃない。

 なんとなく、この犬がそう言ってくれている気がした。



「この城門は鍵が掛かっていて開かないんだ。だから、こっちからは出られない」

「ワンッ」


 スッと彼が立ち上がって歩き出す。



「あ、待って!」



 また、ひとりになってしまう。

 思わず、呼び止めてしまうと、灰銀の巨犬は足を止めてクルリと振り返って僕を見た。青く美しい、けれどどこか険しい獣の眼差し。

 彼の瞳は雄弁に語っていた。

 『行くぞ』と。



「あの……僕も、ついて行って良い?」



 問いかけると彼がコクンと頷いた。



「ありがとう。僕の名前はイソップ。きみの名前は?」



 名前を問うと、巨犬はクイッと顎を上げた。首元にぶら下がっている紫水晶のようなブローチ。ソッと手を伸ばして調べるとブローチの裏に名前が彫られていた。



「……Joseph?」

「…………」

「きみの名前、ジョゼフって言うの?」

「グルルッ……」



 不機嫌そうに唸られてしまった。

 眼つきが怖い。あきらかに機嫌を損ねてしまっている。ブローチは普通に見せてくれたのに。戸惑いながら、必死に考える。何が気に入らなかったのだろうか……。



「えっと……ジョゼフ、さん?」

「ワンッ」



 よろしいと言わんばかりに返事が返ってきた。大きな尻尾がユルリ、ユルリと揺れている。機嫌を直してくれたようでホッとする。

 どうやら、この不思議な獣は非常に知性が高く、気位もかなり高そうだ。



「これからよろしくお願いします」



 ペコリと頭を下げるとフワリと何かが頭に触れる。灰銀色の大きな尻尾がこちらの頭を撫でていた。彼は満足そうに青い目を細めてこちらを見下ろしている。

 この気高い魔獣がなぜ、自分を助けてくれるのか。その理由はわからないけれど、今の自分はひとりではない。その事実があるだけで、それだけで充分だった。
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