その他
□第五人格
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ある日、荘園の主から戦績が良いということで褒美に贈り物が届いた。『月下の紳士』という名前の狼の衣装だ。早速、届いた衣装を身に着ける。紫色のフロックコートに赤いジレ。装飾用の分厚いゴーグルの付いたシルクハット。服を着ると身体中に毛が生えて[[rb:狼男 > Loup garou]]のような出で立ちに変化する。荘園の摩訶不思議な力のせいか主から届いた服を身に着けると髪や目の色が変わることがよくあった。これもその力のせいなのだろう。サバイバー達の中にも傭兵や占い師のように衣装によっては獣に変化する者がいるので、とくに驚きはしなかった。
「……ふぅん。まぁ、悪くないね」
姿見で身なりを確認して、シワがないか、ネクタイが曲がってないかなどをチェックする。
今日は14時からイソップが部屋に来る。午後のゲームの対戦相手にイソップはいなかったので、さっさと試合を終らせてはやく帰ろうと決めた。
待機室でサバイバーの準備が整うのを待ちながら、室内にいた執事に、対戦後に部屋へ菓子を届けてくれるように頼んでおいた。
無事に試合が終わった。
対戦結果は、占い師にハッチ逃げされたものの、三吊りで勝利した。急いで部屋に戻り、姿見の前で身だしなみを確認する。執事が菓子を届けにきたのでテーブルの上に並べて、湯を沸かし、器具やカップを温めてコーヒーを淹れる準備をする。今日のお菓子は貝殻型の焼き菓子で、しっとりと甘く美味しいマドレーヌだ。そろそろイソップが来るだろうなという時間を見計らってコーヒーを淹れているとちょうどノックの音がした。扉を開けて出迎えるとそこには目を丸くしているイソップがいた。
「あ……。こんにちは、ジョゼフさん。一瞬、誰なのかと思いました。とても素敵な衣装ですね。これは……猫さんですか?」
「ふふ、これはね狼だよ。最近、戦績が良いということで、荘園の主からプレゼントとして贈られてきたんだ」
「モフモフで可愛いですね。よくお似合いです」
「……ありがとう」
自分の認識では狼紳士ということで凛々しく決めたつもりだったのだけれど、可愛いと言われてしまった。少し複雑であるもののモチーフが動物なので仕方ない。
「さ、入って。ちょうどコーヒーを淹れたところなんだ」
「ありがとうございます。おじゃまします」
イソップを招き入れて、席に案内し、彼の前にコーヒーカップを置いてコーヒーを注ぐ。ついでに自分の分のコーヒーも用意しておく。
「ジョゼフさんにも、何か叶えたい願いや望みがあるんですか?」
「え?」
いつも通り彼の向かいに座ると、唐突に質問をされる。
「……最近、戦績が良くて荘園の主から贈り物が届いたと仰っていたじゃないですか。それで、ふと気になったんです。やっぱりジョゼフさんにも何か叶えたい夢や願いがあったのかな……と思って……」
「いや、私はそういうのはないかな」
夢なら既に叶えている。
生涯を霊魂学の研究に捧げ、カメラ・オブ・スキュラの技術は完成し、時間と空間を切り取る力を己のものとした。そして、今では死とは無縁の亡者と化した。老いて朽ちていく人の身ではなくなった。
そうして、気が付くと時の停滞した荘園で、殺しても死なない小さなサバイバー達を狩り続ける永遠のゲームに興じることになっていた。
死とは程遠いこの場所で、不死身のサバイバー達と永遠に遊んでいられるのだ。
「そうなんですか。僕はまだ詳しくは知らないのですが、この荘園では勝ち続けていくと荘園の主が勝者の願いを叶えてくれるそうですね。だから、みんな自分の願いのために戦っているんだと聞きました」
そんな話しは初めて聞いた。
カメラ・オブ・スキュラの技術が完成し、ジョゼフ・デソルニエーズとして生涯を閉じた後、ハンターとして荘園に呼ばれた。そして、此処でサバイバーを狩る役目を担った。けれど、願いを叶えるだとか此処から出られるだとかそんなことは言われたこともなければ、聞いたこともない。
もしかするとそれは、生者であるサバイバーだけの話なのかもしれない。
「きみにもなにか望みはあるのかい?」
「僕ですか? うーん……特にないですね」
「ない?」
「はい。僕は……ここがどういう場所なのかよく知らずに来てしまったんです。ただ、僕にはこの荘園で果たさなければならない使命があるんです。願いを叶えたいというよりも、その務めを果たすためにここに来たんです……」
「へぇ。じゃあ、きみはその務めとやらを果たしたら、帰るつもりなのかい?」
「そうですね。僕はそのためにここに来ましたから」
「そう……」
永遠に続くと思っていたサバイバー達とのゲームは、そうではないらしい。実は、サバイバーひとりひとりにゴール地点があるようだ。
その話が本当ならば、目の前のこの子もいつかはいなくなるのだろうか。
己に課した務めを果たしたら、帰るのだと先ほど彼は言っていた。
「イソップ君の務めってなに?」
「僕の務めは彷徨える人を導き、彼らの旅路を手伝うことです」
抽象的な物言いをする。意味はよくわからないけれど、おそらく納棺師という仕事のことを指しているのだろう。
「きみは帰りたいの?」
「帰りたいか、と言われるとよくわからないです。僕には家族や友人の類いもいない天涯孤独の身なので。……ただ、僕には彷徨える人たちが待っているので、ここでの務めを終えたのなら、帰らなければならないでしょう」
「……そう」
やはり、イソップ・カールは将来的にここから出て行くつもりらしい。心が重く、暗くなる。亡者である自分はおそらくこの荘園から出ることはできないだろう。どうすることもできない。
(永遠に、此処にいたらいいのに……)
そしたら、ずっと一緒にいられるのに。
モヤモヤと胸に渦巻く想いを落ち着かせるためにコーヒーに口を付ける。冷めてしまい、芳醇な香りも風味もやや薄れてはいるのものの、ほんのりとフルーティーな口当たりの良い酸味がして飲みやすい。良い豆は冷めても雑味が少ないので、冷めても飲みやすいのだ。チラリとイソップの方をを見ると、彼もマスクを外してコーヒーを飲んでいる。
「ここを出る」と言った彼は、なんとも思っていないのだろうか。私と離れることを……。いや、なんとも思っていないから、平然と「務めを果たして帰る」などと言えるのだろう。
雑味が少ないはずなのに、ほろ苦い何かが舌の上にまで込み上げてきた。
(どうしたら、この子をこの荘園に留めておけるのだろうか……)
目の前でコーヒーを飲む青年の様子を見つめながらそんなことをぼんやりと考えていた。
会話は普段よりも弾まず、何となく空気が重かった。こちらの不穏な心中を悟ったのか相手も積極的には話し掛けては来なかった。コーヒーを飲み、小動物のようにマドレーヌをモグモグと食べながら、不安そうに眉を下げてチラチラと私の様子を伺っていた。
その日のイソップは、日が暮れる前に帰って行った。いつもなら、暗くなるまで二人で過ごしていたのだが、今日は普段よりも少しはやく帰宅した。
彼が帰った後の部屋の中はいつもどこかか物足りないような寂しさを感じる。窓の外ももうすぐ暗くなるだろう。滅入った気持ちを落ち着かせるように、どさりとソファーに身を預けてひとつ溜め息を吐く。
(イソップ・カールをこの荘園から出て行かせないために、どうしたらいいのか……)
サバイバーは勝利を重ねることで荘園の主から褒美として願いを叶えてもらうという。何十、何百という過酷な試合を生き残った勝者のみが、この閉ざされた楽園から解放されるのだ。
ならば、簡単なことだ。
イソップを勝たせなければいい。
いつも通りに戦って、いつものように勝てば良いだけだ。
「あぁ、これは益々負けられないなぁ……」
どうか、いつまでも此処にいてほしい。
この狂った箱庭の中で、私と永遠に遊んでおくれよ。ma poupee(私のお人形さん)。