その他

□第五人格
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「ハア……。また、ジョゼフさんに負けちゃいました」

「そりゃあ、私もきみたちに負けないように頑張ってるからね」


 
 ふわりと漂う香り甘く優しい薔薇と紅茶の香り。マスクを外したイソップ・カールが、甘やかなローズティーと白いミルフィーユを前に項垂れている。

 本日も朝から試合があった。そのときのメンバーに納棺師であるイソップも参加していた。結果は三吊りで、敢えて最後に残していた彼も失血死し、こちらの完全勝利で終わったのだ。そして、今日も対戦後に負けた彼を部屋に呼び、イソップのためにケーキとお茶を用意したのだ。サクサクのパイ生地と濃厚なクリームを重ねたミルフィーユ。そして、甘く芳しいローズティー。これはイソップが以前に一度飲んでみたいと言っていた紅茶である。



「それにしても、きみはかくれんぼが本当に上手くなったね」

「……でも、今日も勝てませんでした」

「そうだね。今日も、失血死するきみは可愛かったよ」

「……そんなことを言われても、全然うれしくありません」



 正直に思ったことを述べると、気分を害したのかジロリと睨まれてしまった。でも、ちっとも怖くない。



「あ、失血死といえば……前々から気になっていたんだけど、きみはいつも投降しないよね。どうして?」

「え?……ジョゼフさんは、僕に投降してほしいんですか?」

「いや、別にそういうわけではないよ。時間が惜しいときや、さっさと投降してほしいときは椅子に座らせるし。……ただ、ジワジワと失血死するのは辛いだろう? なのに、どうしていつも投降しないのか不思議でね」

「確かに失血死は辛いですが、でも……僕はその時間、嫌いではないんです。……あなたに限ってですけど」



 イソップがほんの少しだけ口元を緩めて、小さく笑う。



「ジョゼフさんはいつも、僕が死ぬまでの間、色々話しかけてくるじゃないですか。あとで何が食べたいかとか、コーヒーと紅茶どっちが良いかとか、豆はどれがいいかとか、茶葉は何がいいかとか……。だから、つい……投降するのをやめてしまうんです。あ、でも、ジョゼフさん以外のハンターのに失血死させられたときは、ちゃんと投降しているので安心してください」



 なんだその嬉しそうな笑顔は……。

 私に話し掛けられて嬉しいと……。

 私以外のハンターのときはちゃんと投降しているのに、私と話しをしていたいから投降しないのだと彼は言った。

 この子は、自分がどれだけ可愛いことを言っているのか、自覚しているのだろうか。



「……ねぇ、ちょっと今からきみのこと抱き締めても良い?」

「え?」

「ちょっとだけだから」

「な、なんでですか? いきなりどうしたんですか?」

「だって、きみがあんまり可愛いことを言うからギュッってしたくなったんだよ。少しだけだからさ」

「えっ、か、かわいいッ? あ、ジョゼフさん?!」



 席から立ち上がり、戸惑う彼を無視して自分よりも小さなサバイバーの身体を引き寄せて、己の胸に抱き締める。あぁ、可愛い。この子の存在をまるごとすべて自分の物にしてしまいたい。



「私もきみと、こうやってのんびり過ごす時間が好きだよ」



 肩に顔を埋めるとほんの微かに石鹸と薬品の匂いがした。胸の内から愛おしさが募って、堪らなくなる。己の腕の中にある細い身体を渾身の力を込めて抱き締めたくなったけれど、ハンターである自分が全力でそんなことをするとサバイバーの小さな身体はいとも簡単に壊れてしまうかもしれない。頭の片隅に残っていた理性が溢れる衝動に蓋をする。



「あ、あの……ジョゼフさん、僕のことをペットやぬいぐるみと勘違いしてませんか?」

「きみはサイズ的にも体温的にも抱き心地が良いからね。それに可愛いし」

「わ、訳がわかりません。離してください」

「だぁめ。もう少しだけ、このままでいさせてよ」



 腕の中でイソップが身を捩って抜け出そうとするけれど、こちらは逃がす気はサラサラないので、腕の力を緩めることなく、さらに身体を密着させて抵抗を封じ込める。



「恥ずかしいです。……一応、僕も大人なので、こういう子供扱いは……」

「私達から見ればお前たちサバイバーは小さな子供みたいなものなんだけどね。……ゲームのときは憎たらしいけど」

「うぅ、ジョゼフさんだって、ゲームのときはとっても怖いですよ。……でも、ゲーム以外だと……」

「ゲーム以外だと?」

「……優しかったり、優しくなかったり」

「おやおや、それは聞き捨てならないね。ゲーム以外では、私はいつでもきみに優しいでしょ」

「優しくないときもあります。今も僕が嫌だって言ってるのに離してくれません……」



 社交恐怖のイソップにとって誰かとの身体接触は好ましいものではない。それはハンターが相手だろうと身体接触は苦手なのだろう。

 本当はもう少しこの小さな身体を腕に抱いていたかったのだけれど、本人が拒否しているため、そろそろ離してあげなければならない。

 しかし、離れがたい。このまま身を離すのもなんとなく惜しい。



「じゃあ、今度またりんごのケーキを作ってきてくれる? 約束してくれたら離してあげよう」

「え?」



 ずっと胸に秘めていたささやかな願望が、口からポロッと出ていた。

 イソップはぽかんと口を開けて私を見上げている。



「……美味しかったから、また食べたくなっちゃったんだよね。きみのアプフェルクーヘン」

「別に、構いませんけど」

「え、本当?」



 あっさり了承の返事がきたのでパッと身体を離して解放してあげる。



「それでは、明日か明後日あたりでいいですか?」

「いいよ。あぁ、嬉しいな。また、きみの作ったケーキが食べられるなんて」

「食べたければいつでも作ってきますよ」

「イソップ君は優しいね」

「……ジョゼフさんも優しいです。いつも僕のために美味しいお茶やコーヒーやお菓子などを用意してくれて、マップの散策にも付き合ってくれますし、色々なことを教えてくれます。……こんな僕にも、とても優しくしてくれて……まるで、ジェイみたいだなぁって……」

「……ジェイ?」



 誰だ、そいつは……。

 突然、出てきた聞き覚えのない男の名前に首を傾げる。



「僕の義父です。普段は口数も少なくて、一見気難しそうなんですが、本当はとても優しい人なんです。彼は毎日僕の勉強を見てくれたり、納棺師としての仕事を教えてくれたんです。彼は僕の父であり、師匠でもあるんです」

「へぇ……」

「ジェイもよく休みの日には僕の分のコーヒーを作ってくれて、二人で一緒に飲んだりしたんです」



 彼の父親と同列にされてしまった。

 自分の中にはこの子のことを心配する気持ちや、従順にこちらを慕う様子を可愛らしいと感じる気持ちもある。しかし、別に私は彼の優しい保護者になりたいわけではないので、少し複雑である。

 試合中に三吊りし、彼の生殺与奪を支配した際に湧き上がる荒々しく高揚とした感情や、ハンターである自分が彼の仲間であるサバイバー達よりも信頼されているという密かな優越感や独占欲。それらは彼が私に投影している義父の優しさや愛情からは程遠いものだ。

 己を幾度も失血死させてきたハンターに父親の影を重ねてしまうなんて……。

 あぁ、本当になんて愚かで哀れな子なんだろう。



「あ、でもジョゼフさんは、たまにほんのちょっとだけ意地悪になりますね。さっきみたいに」



 頬をりんごみたいに赤く染めて、まるで、怒っていますよとアピールするようにムッとしたように上目遣いで睨んできた。でも、ちっとも怖くない。逆にその拗ねた顔が愛らしくみえる。



「ふふ、怒らないでよ。ほら、紅茶が冷めちゃってるよ。甘いミルフィーユを食べて機嫌をなおして」



 自分も席に戻ってお茶を促すと、彼も促されるままカップを手に取る。紅茶を飲むイソップを眺めながら、冷めてしまった紅茶に口を付ける。ふんわりと甘い薔薇の香りがした。

 悲鳴と鮮血によって幕を閉じた朝の試合が、まるで嘘のように穏やかに時間が過ぎていった。
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