その他
□第五人格
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翌日、互いに午後から試合がなかったので新入りのイソップがハンターのスポーン位置を覚えるという名目で彼とフィールド探索に出掛けることにした。向かう先は、自分も苦手な雪のフィールドにした。このフィールドはとても広い上に薄暗く、どこを見ても似たような景色なので慣れないうちは地形を把握するだけでも一苦労だったりする。
そして、今回はイソップと一緒に出かけるので、うろ覚えだったスポーン位置をチェックして改めて覚えてきた。
(別に、これはアイツのためではない。今回はちょうど良い機会だから、これを機に覚えようと思っただけだ……)
覚えたことを忘れないように何度も頭の中でシミュレーションしながら、マッチングルームに向かうと、イソップがサバイバー用の席に着席しているのが見えた。約束の時間よりも早めに来て待っていてくれていたようだ。マップを雪の降る工場にセットすると、硝子のひび割れた音がして視界が切り替わる。
雪のマップはとても広いので、すれ違い防止のために、イソップには初期位置から移動しないようにあらかじめ言っておいた。
フィールドに着くと自分の位置は東の小屋外。工場が見える小屋の西側からだった。
(すると……イソップ・カールのいる場所は、南コンテナ付近か、工場の一階、北東広場近くか、北側ゲート付近のどれかだな)
とりあえず、すぐ近くの工場に向かうことにした。
工場へ向かうと、そこに重そうな鞄を胸に抱えて下を向いているイソップがポツンと立っているのを発見した。周囲が薄暗いせいか、鞄を両手で胸に抱えている後ろ姿が、何となく心許なさげにみえた。
「やぁ、イソップ君」
「あ、写真家さん……」
声を掛けると、下を向いていたイソップがパッと顔を上げて駆け寄ってくる。
「さて、イソップ・カール君。突然だけど質問です。私はどこから来たでしょうか? 五秒以内に答えよ」
「え……? えっと、あ……ま、待ってくださいっ」
唐突に出された問題に、面食らって必死に答えを考えるイソップの様子が何となく可愛らしく思いながら、無情に秒読みを始める。
「五、四、三、二、一。はい、時間切れ。答えは、東の小屋の西側でした」
「うぅ……」
「すまない。ちょっと意地悪だったね」
何が、何だかわからないと困惑したように眉を下げてこちらを見上げるイソップに謝る。
彼は新入りのサバイバーで、まだマップの構造自体を覚えていないのだ。答えられるはずもない。しかし、それは百も承知である。故に、正しい答えなど全く期待していなかった。
「今の質問は、ハンターである私がどこから来たのかという内容のものだよ。お前たちサバイバーにとってハンターがどこから来るのかという情報はとても重要なことだ。たとえば、イソップ君が工場の外の西南側にいた場合。ハンターはそのすぐ近く工場外の北側にいる。すると、大抵のハンターはすぐ近くにいるサバイバーを捕まえるために近くの暗号機に向かう」
「……」
「もしも、ハンターの位置を知らなかった場合、すぐ近くにある暗号機を解読するために工場内に行く筈だ。すると、そこでハンターと鉢合わせすることになるだろう。と言っても、工場内なら少しは時間を稼げるかもしれないけれど、やっぱり初めはハンターに見つからないというのが大切だと思うよ。……私はね」
そう言いながら、何試合か前に最初のサバイバーをなかなか見つけられなかった苦い記憶が脳裏に蘇る。あの試合も確かこの雪のフィールドだった。その時のスポーン位置もよく覚えていなかったため、初めの写真世界で鏡像を見つけられずに終わってしまったのだ。その後も存在感が溜まっていない状態で、サバイバーを探して歩き回ったなんとも苦い記憶である。最初のサバイバーも見つけられずにしっかり解読が進んでいくというのはハンターにとってはなかなか厳しい状況である。
「ハンターに、見つからないこと……」
「そう。初期スポーンを覚えておくとハンターの位置から遠くへ逃げたり、隠密したりしてファーストチェイスを避けることもできる。もしも、逃げ回るのが苦手ならしっかりスポーン位置を覚えておくと良い」
「はい」
「あと、工場内から試合が始まったときは、ハンターは東の小屋外の西側以外にも、北東の広場や南中央の戦車付近にも現れるから気を付けるように」
「はい……」
「そして、もう一つ良いことを教えてあげよう。もしも、イソップ君が工場の二階から試合が始まったとき。そのときはハンターは小屋の中から現れる」
「うぅ、はい……」
「……まぁ、口で説明しても実際どうなのかは理解できないだろうし、このマップの地形を知るために少し歩いてみようか。まずは、私がいた東の小屋に行ってみよう」
「はい!」
その後、実際にイソップを連れて小屋に行き、小屋から再び工場一階へと戻った。一度に複数のスポーンを覚えることはできないので、とりあえず工場の一階に現れたときのハンターのスポーン位置である東の小屋と北東の広場、南中央の戦車付近の場所と、それぞれのゲートの場所を案内した。
「とりあえず、最後にゲートの方向がわからなくなってしまったときは、空を見上げて月の出ている方へ目指すとゲートに辿り着けるよ」
「月の出ている方」
「そう。ゲートを探しているうちに自分の位置がわからなくなったときは空を見るんだ。……さて、今日はこの辺にしておこうか」
「あ、あの、写真家さん。今日はありがとうございました。わざわざ僕のために時間を割いて色々教えてくださって……」
そう言って、イソップはペコリと頭を下げた。
「今日、あなたから教えて頂いたことは僕にとってはとても重要で……貴重なアドバイスでした……」
「少しは役に立てたのなら良かった」
「自分なりに調べて、マップごとのスポーン位置を覚えていきたいと思います」
「そうだね。泣くほどハンターが怖いのなら、マップの地形やスポーン位置を覚えて、ちゃんと逃げたり隠れたりできるようにならないとね」
「ジョ、ジョゼフさん……!」
昨日、初めてイソップと出会ったときのことを思い出しながら言うと、彼の顔が真っ赤に染まる。
「ふふ、名前で呼んでくれたね」
「あっ……」
「良いよ。イソップ君には異名で呼ばれるよりもこれからも私を呼ぶときは名前でほしいな」
「…………」
笑いながらそう言うと、イソップ君は恥ずかしそうに私から目を逸らして、下を向いてしまった。
「なんだか顔が赤いね。寒いのかい? あ、そうだ。このあと、また私の部屋においでよ。身体も冷えているだろうし、温かいお茶をごちそうするよ」
「うぅ……ありがとうございます……」
「じゃあ、待ってるよ」
「はい。あとで、お伺いします」
端末を取り出して練習試合を終わらせる。視界が瞬時に切り替わって自分の部屋へと帰還していた。さっそく執事を呼び出して菓子を用意させる。
本日のお菓子はタルト生地にりんごの甘露煮の薄切りがたっぷり乗ったタルトタタンと、真っ白でさっくりとした軽い食感で細長い猫の舌のような形をしたクッキーのラングドシャである。
部屋に備え付けられているキッチンで湯を沸かし、茶葉を取り出してお茶の支度をする。少しすると、扉をノックする音が聞こえてきた。
イソップが来た。
「いらっしゃい。さ、そこの椅子に腰掛けて少し待っていてくれ」
「……おじゃまします」
イソップを席に案内し、キッチンからお茶を持ってきて、イソップの前に置いたカップに淹れる。カップに注いだ瞬間に瑞々しく甘酸っぱい花の薫りがふわりと広がる。
「なんだかとてもいい香りがします」
「アプリコットティーだよ。茶葉には少しだけマリーゴールドも混ざってるかな。今日の甘いお菓子に合うかと思って、これにしてみたんだ」
自分も着席し、カップに口を付けると、イソップもマスクを外して「いただきます」とお茶を飲む。
「おいしいです。僕は普段あまりお茶は飲まないのですが……でも、こういういい香りのするお茶は、気持ちが落ち着きますね」
「そう言ってもらえるとうれしいよ。以前、ジャックにお茶を振る舞ったときなんかは、紅茶は茶葉を楽しむものだと文句を言われてね、色付けしたり香り付けしたものは外道だなんだと散々非難されたよ」
「ジャック?」
「お前たちサバイバーがリッパーと呼んでいるハンターだよ」
「…………」
「アイツは頭の固いイギリス人だからね。お茶に関してはとくにうるさいんだ。私は味や香りに制限のあるブラックティーよりも、花びらや果皮などで香り付けしたフレーバーティーの方が好きなんだけど……」
「…………」
「ん? イソップ君、どうかしたのかい?」
イソップの様子がおかしい。先程まで肩の力を抜いて和やかに話をしていたのに、やや顔が青褪めて、全身が強張っている。さっきまで笑っていたはずなのに今はへにゃりと力なく眉も下がっている。
「いえ、何でもないです」
「……そう。あ、これも冷めないうちに食べてほしい。りんごの甘味と酸味が絶妙で、下のタルト生地も香ばしくてとても美味しいんだ」
「あ……はい。いただきます」
少し陰った表情が気になるものの、それ以上深く追求するのはやめておいた。代わりに、目の前のタルトタタンを勧める。
「きみの口に会えば良いのだけれど」
「……ん、……とても美味しいです。見た目も食感も全然違うんですけど、アプフェルクーヘンを思い出します」
「アプフェルクーヘン?」
「僕の国でよく作られているりんごのケーキです。小さい頃、母が誕生日のときによく作ってくれたんです。素朴ですが、とても優しい味わいのケーキでした」
「へぇ……。ドイツのケーキか。どんなものなのか食べてみたいね」
「……もしも、よろしければ作ってきましょうか?」
「え?」
「…………」
「良いのかい?」
何となく思ったことをそのまま口に出してしまったのだが、まさかサバイバーからハンターに手作りケーキを作ってくれるとは思っても見なかった。驚いて確認すると、彼は下を向いたままコクンと頷いた。
「アプフェルクーヘンは、コーヒーとも、よく合うんです……。それに、昨日も今日も、ジョゼフさんには美味しいお菓子やコーヒーをご馳走になっていますし、先程も色々とお世話になったので……。少しでもお返しができたらな、と……思って……」
「そっか。それは嬉しいな。じゃあ、三日後はどうかな? その日の午後は、試合が入っていないんだ」
「わかりました。僕もその日は休みなので、三日後の午後、またこちらにお伺いしますね」
「ふふ、楽しみにしているよ」
「あ、あの……こんなきれいなケーキではないですよ? あくまで一般的な家庭で作られている普通のケーキなので……ジョゼフさんのお口に合うかは……わかりませんが……」
彼の目の前にはキャラメリゼしたりんごの華やかな見た目のタルトタタンが置かれている。飴色の宝石のようなタルトタタンを前に不安そうに眉を下げているイソップの様子がいじらしい。
「ふふ、そんなに気を張らないでほしい。ケーキを食べてみたいと言った私のために、きみが作ってくれる。そのことが嬉しいんだ」
まさか、サバイバーがハンターのために何か作ってきてくれることになるとは夢にも思わなかったのだ。意外なことに、そのことがとてもうれしいと感じている。本当にうれしかった。私のために、彼が自分の故郷のケーキを作ってくれると言ってくれたことが、とてもうれしかったのだ。
「……僕も、とてもうれしかったです。ハンターさんにも、こんなに優しい人がいるなんて思いもしませんでした。……でも、どうしてジョゼフさんは僕にこんなに親切にしてくださるんですか?」
不思議そうに首を傾げて問われる。
「さて、どうしてだろうね? ……もしかすると、下心があって優しくしているのかもしれないよ?」
「下心?」
「可愛いきみと仲良くなりたい、とかね」
「え……?」
一瞬、何を言われたのかわからずにきょとんと目を丸くイソップ。その呆けた様子がなんとも可愛らしくて、思わず笑ってしまうと、彼の白い頬が真っ赤に熟れたりんごのように色付いて「か、からかわないでください!」と怒られてしまった。
本当は、新しいサバイバーであるイソップ・カールの情報を集めるために近付いたのだけれど……。
(なんだか、どうでも良くなってきたな……)
彼がたとえどんな力を持っていたとしても、ハンターである自分は負けるつもりはサラサラないし、次に対峙するときは手を抜かずに全力で叩き伏せるつもりである。
(けれど、今はそんなことよりも)
恥ずかしそうに頬を染めたまま、こちらを見ないようにしながら、紅茶を飲む彼と純粋に親しくなりたいと思っていた。