その他
□第五人格
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部屋に戻ってから執事にお菓子を持ってきてくれるように頼み、ケトルで湯を沸かして、その間にコーヒーの抽出器具を準備する。ドリッパーやサーバーなどの抽出器具やカップやソーサー、スプーンなどを温めるためのお湯を手鍋に沸かして、器具やカップを温める。これは淹れたてのコーヒーを冷めにくくするための小さなひと工夫だ。
執事がお菓子を持ってきたので、テーブルに並べる。コロンとした愛らしい見た目の色とりどりのマカロンに、クッキー生地にキャラメリゼしたナッツをたっぷりのせて焼き上げたフロランタン。サクサクのシュー皮に甘いクリームがたっぷり入ったシュークリーム。どれも自慢の美味しい菓子だ。
温めた抽出器具でコーヒーを淹れて、カップをテーブルに置くと、タイミング良く控えめに扉をノックする音がした。ゆっくりと扉が開いてそこに灰色の詰め襟を着た青年ーーーイソップ・カールがいた。
「ようこそ。ちょうど良いタイミングで来てくれたね。さ、おいで。案内するよ」
「……おじゃまします」
少し不安そうな表情で立っているイソップを部屋に招き入れ、テーブルまで案内する。椅子を引いて相手を座らせて、自分も彼の向かいの席に腰掛ける。
「そろそろ来るだろうなと思ってコーヒーを淹れていたところだ。冷めないうちに召し上がれ」
「……ありがとうございます。いただきます」
緊張した面持ちで下を向いているイソップ。ハンターの部屋にいるのが落ち着かないのか、テーブルの上に広がる菓子も目に入ってはいない様子だった。とりあえず、コーヒーを飲むように促すと、彼は口元のマスクを少しだけずらすと、ソッとカップを持ち上げて慎重に口元へ運ぶ。
そして
「……ッ、おいしい……」
一口すすると暗く沈んでいた瞳が、少し見開かれて、ポツリと呟いた。
(それはそうだろう。)
淹れたばかりのコーヒーから立ち上がる湯気。深みのある香ばしさに、柔らかく親しみやすい程よいコク。僅かに感じられるクリアな酸味がスッキリとした味わい。苦味が少なく、香りも良い。あまりコーヒーに馴染みのない人間でも飲みやすい味だろう。
「……これは、写真家さんが淹れてくださったんですか?」
「そうだよ」
「とても飲みやすくて、おいしいです」
「ふふ、ありがとう」
先ほどまでの緊張が、コーヒーによって緩和したのか青年の表情が少し柔らかいものへとなっていた。
「……それにしても、意外です」
「ん? 何が?」
「いえ……なんとなく、ですが……写真家さんはコーヒーよりも紅茶を飲んでいるイメージがあったので……」
「紅茶も好きだけど、コーヒーも好きだよ。……私の両親がコーヒーを好きだった影響かな」
「ご両親?」
「今はこんな人とは呼べない身ではあるけれど、私もかつては人間だったんだよ」
目を丸くする青年の反応をなんとなく愉快に思いながら話しを続ける。
「私の出身はフランスでね。私が子供の頃には、既にコーヒーという飲料はトルコからフランスに伝わっていて、王侯貴族をはじめとした上流階級の人間の間で広まっていたんだよ。そして、私の両親も例に漏れずコーヒーを好んでいてね。だから、私にとってコーヒーは身近な存在なんだ。……まぁ、その後、色々あってフランスからイギリスに移って、紅茶も嗜むようになったけれどね」
「そうだったんですか……。そういえば、イギリスが紅茶の国と言われるのに対して、フランスはカフェの国だと言いますもんね。確かドリップ式のコーヒーを発明したのもフランスの方でしたし。あと、フランスと言えばカフェオレも有名ですね」
「へぇ、ずいぶん詳しいね。……イソップ君、もしかしてコーヒー好きなの?」
「えぇ、実は僕もコーヒーは好きでよく飲むんです。カフェオレやエスプレッソも好きですけど、朝はやっぱりドリップで淹れたコーヒーが一番ですね」
互いに話しをしながら、会話の間にコーヒーに口を付ける。美味しいコーヒーを飲み、共通の嗜好を見出すことができたせいか、彼の体からは力が抜けていた。部屋を訪れたときに硬く強張っていた表情もすっかり柔らいでおり、控えめな笑みを浮かべながらコーヒーを飲んでいる。
銀の髪に灰色の詰め襟を着ているせいで地味な印象を抱くけれど、涼やかな目元に、日に焼けていない白い肌。彼はとても整った顔立ちをしている。先程の試合での嗜虐心を唆る泣き顔も悪くなかったけれど、こうやって普通に笑っている顔も悪くない。
今回は敢えて、試合に関する話しはしなかった。せっかく相手が気を抜いてくれたのに、お互いがハンターとサバイバーの関係だということを思い出させて警戒してほしくなかったのだ。故に、彼の能力についても自分から話題を振ることはしなかった。
用意した菓子に手を付けながら、コーヒーを飲み、互いの故郷の食文化(というか、正確にはコーヒー)について語り合った。どうやら、彼の祖国でもコーヒーは愛飲されているらしく、コーヒーにまつわる興味深い話をいくつか聞くことができた。
「へぇ、きみの国にはずいぶん面白いコーヒーがあるんだね」
「えぇ。昔、僕の国ではコーヒーの消費を抑える為にコーヒー禁止令というもの発令した時代があったんです。そのときに、誕生したものがどんぐりコーヒーなんです。他にもたんぽぽコーヒーというのもあります」
「なるほどね。ドイツ人のコーヒー好きも相当だ」
「一応、フランスにもチコリコーヒーという代用コーヒーがありますよ。こちらもやはり、コーヒーの輸入ができなくなった時期に誕生したみたいですね」
「……私は一度もその代用コーヒーというものを飲んだことがないよ」
「僕も飲んだことはないです。元々は戦乱や経済制裁などでコーヒーの輸入が滞ってしまってコーヒーが飲めなくなった時の代用品なので、今の僕達にはあまり縁のない物でしょう」
「しかし、こうやって話を聞くと、一度試しに飲んでみたくなるね」
「カフェインが含まれていないので健康飲料として飲まれる方もいるそうですが、やはり味の方は本来のコーヒーに比べると劣るという評価が多いみたいですよ」
「なかなか興味深いね」
その日は、彼とほとんどコーヒー談義をしてお開きになった。
相変わらず新入りサバイバーの能力については不明ではあるけれど、イソップ・カールとの仲を深めることができた上に、翌日もまた会おうと約束を取り付けることができた。さらに、互いに連絡を取り合おうと持ち掛けると、彼はあっさり連絡先も教えてくれたので、結果としては上々だろう。