その他

□第五人格
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◇◇◇




 箱いっぱいに花を詰め終わったイソップは自分の隣に置いていたハンカチに包まれたネズミを箱の中へ納めて蓋を閉める。そして、小さなスコップで穴を掘りはじめた。やがて、深く掘った穴にネズミを納めた箱を置いて、上から土をかける。ネズミを埋葬し終えると彼は祈りを捧げた。

 ネズミの死を悼み、その小さな魂の行く末を祈る姿はまるで敬虔な信仰者のようだった。幼い少年の祈る姿が、ふと遠い昔の記憶を思い起こさせた。クロード。幼い双子の兄弟。いつも私のために祈ってくれていた心優しく、病弱な片割れ。愚かな人間に殺された哀れな弟…。



「おまたせしました、ジョゼフさん。終わりました」



 立ち上がった少年がまっすぐこちらを見上げる。冷静にこちらを見上げる瞳には生きる意志はなく、自身の死を受け入れていた。

 死を前にした幼い少年の静かな瞳が、かつての弟の瞳と重なった。

 血を流し、ときおり苦しそうに呻きながらも、それでも弟は静かな瞳で泣きじゃくる自分を見つめていた。そして、なんとか笑おうとしてくれたのだ。幼い彼はあの時、確かに迫りくる死に怯え、苦しめられていた。そして、避けられない自分の死を受け入れていた。そして、最期の最期まで私の為に祈ってくれた愛しいクロード。

 どうして、今、よりによってそんなことを思い出すのか。

 それは、少年の見た目があの日のクロードと同じくらいだからか。



「あの、僕を食べるときは……あまり痛くないようにしてほしいです……」



 イソップがぽつりと希望を口にする。よく見ると、彼の手は小さく震えていた。緊張していた。生きようという意志はないけれど、生きながら食べられるということに怯えていた。しかし、逃げようとはしない。逃げるどころか、私が食べやすいようにと気を使ってか服を脱ぎ始めているではないか。

 顔を俯かせながらボタンに手を掛けてモタモタと服を脱いでいき、上着にシャツと一枚ずつ、服が地面に落とされて、陽に焼けていない子供の生白い柔肌が惜しみなくさらけ出される。身に纏うもがなくなったイソップの上半身がすぐ目の前にある。瑞々しい甘い匂いに目眩がしそうだ。本当は約束通り、おとなしく差し出されたその幼い肢体を喰らおうと思っていた。

けれど……。



「……服を着なさい」

「え?」



 床に落とされた服を拾い上げて手渡すと、イソップが戸惑ったようにこちらを見上げる。



「やっぱり、きみのことは見逃してあげるよ」

「な、なんで……?」

「ふふ、気が変わったんだよ」



 今は、この子供を食べようという気が起きなくなっていた。

 だから、見逃すのは今回、一度きり。

 今だけだ。



「ただ、今回見逃す代わりにマーキングをさせてもらうけどね」

「……マーキング?」

「きみが私の獲物だという目印さ」



 華奢な両肩を捕まえて、剥き出しの首筋に顔を寄せて、牙をたてて噛み付いた。イソップの手から服が落ち、苦悶の声を上げて腕の中で拘束から逃れようと暴れるが、子供の抵抗など些細なものでしかなかった。哀れな被食者の戸惑いや抗いなどお構いなしに口いっぱいに広がるうっとりするような甘い血の味を堪能する。あぁ、やはり美味しい。このまま柔らかな肉を食いちぎって口の中で思う存分咀嚼したい衝動に駆られる。しかし、我慢しなくては。今はまだこの子を食べる時期ではない。胸の中でもがく小さな体を力いっぱい抱き締めながらグッと堪える。

 流れ出る血を啜りながら、噛み跡を舌で舐めて傷を癒やす。舌を動かす度に、腕の中の小さな身体が「ひぁっ……アッ、アッ…! や、やめっ……!」と戸惑ったように濡れた声を上げながら身を捩らせて、ビクン、ビクンと背中を跳ねさせる。くすぐったいのだろう。けれど、少しの間で良いのでここは我慢してもらわねば。

 力の強い魔物の唾液には治癒効果がある。ひどい傷を負ったときなどは野生の獣のように傷を舐めて癒したりする者も少なくはない。

 幼い頃は、病弱な片割れの小さな傷をよく舐めて治したりしたけれど、弟が殺されてからはそういった行為は全くしなくなった。誰かの傷を舐めて癒やすなんて、何百年ぶりにしただろうか……。

 もうそろそろ頃合いかと口を離して傷口がきれいに治ったのを確認する。イソップの首元には噛み跡は残ってはいなかった。傷が消えた代わりにうっすらと赤く色付いた幾何学的な模様が痣のように残っている。

 印だ。

 彼が己の獲物であるという消えない証である。印さえ刻んでしまえばこのレア物が私の獲物であると、他の魔物に伝わるだろう。よほど身の程を弁えない愚か者でもない限りは私の獲物を横取りしようなどと思わないはずだ。

 不思議そうに首元を触っているイソップに落とした服を拾って手渡す。



「さ、早く服を着て。もう帰っていいよ。森の入り口まで私が送ってあげよう」





◇◇◇




 少年の手を引いて森の入り口まで連れて来る。外はすっかり日が落ちて暗くなり、空に月が浮かんでいる。

 流石に、人のいる町の近くまでは送り届けることはできないので見送りはここまでだ。誰かに見られでもしたら大事になるかもしれないので、この森を出たあとはひとりで帰ってもらうしかない。



「さ、このまま真っ直ぐ家まで帰るんだよ」

「……ありがとうございます。ジョゼフさん」



 ペコリと頭を下げて礼を言われる。



「気を付けて帰るんだよ。あと、森に来るときはひとりで入らずに必ず大人を連れてくること。そして、二度と森の奥まで足を踏み入れないこと。次に会ったときはもう見逃してあげないからね。……私に喰い殺されたくなければこの約束は必ず守ること。いいね?」

「……はい」



 「さ、もう帰りなさい」と声を掛けるとイソップはペコリと頭を下げてそのまま振り返ることなく走り去っていった。町の方へ遠ざかっていく小さな背中が見えなくなるまで見届けてから森の奥へ帰る。

 消えない印を刻み、己の元から手放した獲物。

 このまま逃がすつもりは更々ない。

 その身に刻んだ印がある限り、あの子は私から逃げられない。

 次に出逢うときが楽しみだ。

 彼はどんな大人になっているのか。

 内に秘めた力はどのような力なのか。

 幼くひたむきな狂気はどんなふうに育っていくのか。


 彼が大人になった頃に、この森を出て会いに行こうか。

 そして、今度こそ

 その身に宿る力も、狂気も、肉の一欠片も残さずにすべてを喰らい尽くしてやろう。



「ふふ」



 まだ見ぬ未来へ胸を躍らせながら、ペロリと舌なめずりをする。

 口の中には幼い少年の甘い血の味が微かに残っていた。
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