その他

□文スト
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 何処か、遠いところで、何かがうるさく騒いでいる様子が聞こえてきた。ぼんやりと意識が覚醒する。気を失って、どのくらい時間が過ぎたのかわからない。ゆっくり瞼を開くと、頭が重く、酷く喉が乾いていた。

 聞こえる物音がさらにはっきりと音を認識する。獣の唸り声と、怒声。悲鳴。銃声。そして、一際、何かを破壊するような重く鈍い轟音が大きく響いた。横になっていた頭を上げると、其処には鋼鉄の扉を破壊して入ってきたらしい白い影がぼんやりと見えた。



「おい! 芥川ッ、大丈夫か」



 この声は……。




「……其処に居るのは、人虎か?」




 どうして、奴が此処に居るのだろうか。



「……何故、貴様が此処に居る?」

「依頼だよ。お前の仲間が半狂乱になってお前を探してて、うちにまで乗り込んで来たんだ。先輩を捜しくれって。それで、太宰さんに言われてお前の仲間と一緒にお前を助けに来たんだよ」

「太宰さんに、言われて……?」



 言われた言葉に、背筋が凍るような寒気を感じた。彼の人は、既に知っている。自分が無様に敵の手に捕らえられたことを。その事実に、心が絶望に染め上げられた。

 青褪める此方の様子など気付かずに、人虎は「樋口さんが機関銃を抱えて云々……」やら「乱歩さんの超推理で云々……」等、色々と説明しながら手早く手足を拘束していた手錠を虎の手で難なく破壊し、ふらつく上半身を起き上がらせて支えてくれる。



「それにしてもお前、酷い傷だな。なんか息も荒いし、躯も熱い。傷口が熱を持ってるのか……なぁ、大丈夫か?」



 そのまま額に触れてこようとした大きな虎の手を、反射的に叩き落とす。


「僕に、触れるな」



 躯が熱い。頭が割れるように痛い。気を抜けばすぐに倒れそうになる上半身を何とか気力を奮い立たせて目の前の好敵手を睨む。けれど、睨んだつもりが、何故か目の奥が焼かれるように熱を持ち、視界が滲んでしまった。

 情けない。今の己はあまりにも情けない。身に纏う物は何もなく、戦う術を奪われた自分は見るに耐えない姿だろう。そんな無様な姿を、彼の人の新しい部下である人虎に見られてしまった。



(よりによって、どうして……此奴(こいつ)が!)



 それは、太宰さんが此奴を助けに差し向けたからだ。取り乱し、荒れ狂う感情が心を覆い、何もかもを諦めた冷めた理性が冷静に突っ込む。

 ぼやけた視界で相手の白い影を睨みつけながらも、どうしようもない悔しさと惨めさが湧き上がって、胸が潰れるような痛みを覚える。


「お前……」



 此方を見返す人虎が驚いたように大きく目を見開いて、何かを言おうとしたけれど口を噤む。小さく溜息を吐いて床に落ちていた毛布を、包み込むように此方の肩へ掛けた。



「ほら、行くぞ」



 物言いは素っ気ないけれど、人虎はしゃがみこんで背中を向けて、負ぶさるように促してきた。



「…………」



 本当は、乗りたくなどなかった。けれど、このまま此処で詰まらぬ意地を張って無意味に足止めをするのは愚者の行いであると、辛うじて頭の片隅に残っている理性が断じるので、渋々背中に負ぶさる。彼の人は、非効率的な愚かな振る舞いをとても蔑んでいた。今の自分に、挽回の余地など無いけれどこれ以上、彼の人にとって愚かでくだらない存在に成り下がりたくはなかった。

 何も云わずに促されるまま、大人しく人虎の背中に負ぶさると何故か、何とも言い難い顔で此方をチラリと覗き見た。それはほんの一瞬だったけれど、その瞳は雄弁に何か言いたげに此方を見ていた。然し、何も言ってこない。何事もなかったように、よいしょと背中に負ぶさる自分を背負い直すと、そのまま部屋を出て長い通路を駆け出した。



(云いたいことがあるのなら、はっきりと云って来ればいいものを……)



 何か云ってやろうと思って口を開こうとしたが、声を発することにさえ、酷い疲れを感じてそのまま人虎の背中に突っ伏す。額をくっつけた背中は力強く、とても温かった。荒々しくも躍動的な生命力に満ちあふれた強靭な肉体が、己の脆弱な躯とは比べ物にならない程の強さを秘めていることは、今まで奴と対峙してきた経験から心底理解させられている。



(……流石、太宰さんが見込んだ男だ)



 悔しいけれど、流石だと認めざるを得ない。今も、半獣化した状態とはいえ、自分を背負いながら、眼前から駆け付けてくる敵を、人外離れした動きで壁を走り、飛んでくる銃弾を避けて、敵を蹴倒している。

 虎の異能を操り、危なげな様子もなく、次々に敵を倒し、息一つ乱さずに走る人虎。太宰さんの采配は正しい。喉の奥に、飲み込み難い苦しみが込み上げてきた。勝手に肩が震えて、顔を付けていた奴の白いYシャツが濡れる。続けてヒックと引き攣ったような声も漏れ出る。嫌だ。これ以上、此奴の前で無様な醜態を晒すわけにはいかない。けれど、歯止めを掛けようとする理性とは反対に、胸を潰されるような痛みは消えず、躯は云うことを聞かない。せめてもの抵抗に、これ以上人虎にこの情けない声を聞かれたくなくて必死に歯を食いしばって嗚咽を殺そうとする。すると、獣が唸るような醜くくぐもった声が出た。



「お前、泣くの下手くそか」



 人虎が背中越しにいる僕に、心底呆れたように話し掛けてきた。その物言いにカッと頬が焼けるように熱を持つ。何か云い返さなくてはと口を開こうとして、喉の奥から出たのはやはり言葉ではなかった。

 人虎に「何か、獣みたいだな」と云われて、お前にだけは云われたくないと心の中で思った。
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