その他

□文スト
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 他県のヤクザがポートマフィアの縄張りである横浜で薬を流していると情報が入った。首領の命令により、縄張りを荒らす外敵を排除するため、部下を率いて闇夜の港へと向かった。予め齎されていた情報の通りなら、此処に売人や密輸業者がいる筈だ。其奴等を拐い、拷問にかけ、持っている情報を吐かせる、という任務だった。そして、内容によってはすぐに鼠の巣窟に奇襲を仕掛けるという手筈となっている。

 港の倉庫の周辺に車を待機させ、取引が行われるであろう倉庫のひとつに数人の部下と共に向かう。巨大な黒刃で鉄の扉を切り裂き、中に乗り込む。すると、其処で待ち構えていたのは無数の銃口だった。それらを目に入れた瞬間、一斉に此方を向いている銃口から火花が飛び散り、乾いた銃声が雨のようにこの場を埋め尽くした。咄嗟に、漆黒の大鎌を巨大な防御壁に変化させる。飛来する弾丸の嵐から己の身と部下を守ろうとしたものの流石に全員を守り切ることは出来ずに、何人かが苦悶の声を上げて膝を付いたり、倒れ伏せる。やはり、自分一人で来るのだった。左右背後から上がる悲鳴に舌打ちが漏れる。普段通り、部下を連れてこなければ無駄に此方の損害は出なかったものを……。



「此処は僕が一人で殲滅する! お前達は一旦引き、ニ班の元へ向かえッ」



 暴風雨のように凄まじい勢いで飛んで来る銃弾を防ぎながら、ほとばしるように響き渡る乾いた銃撃音に、負けずに声を張り上げて命じると、足手纏いにしかならない部下達は速やかに撤退した。彼等には、何かあったときのために逃走経路を確保している班の一つと合流するように指示している。仲間と合流し、治療を受け、此方の片が付くまでの間は大人しく待機してもらうしかない。倉庫の外から自動車が遠ざかる排気音が聞こえ、部下が全員退避したのを確認する。


「其れでは、さっさとひと仕事を終えるとしよう」



 先程から途切れることなく突撃銃を撃ち続けている黒服達の元へ黒獣を放った。獣の形をした闇が男達の間を駆け抜け、その腕や足を喰らい、ときにはその身を漆黒の刃に変じて次々に男達の首を刎ねていく。

 血飛沫が舞う中、唐突に、背後から乾いた機銃の音が高く鳴り響いた。凄まじい衝撃が全身を駆け回り、ビリビリと突き刺すような痛みが背中を貫く。何が起きたのか理解する前に、ぐらりと視界が揺れ、スイッチで部屋の電気を消すように意識が真っ暗な闇の中へ落とされた。






◇◇◇




 脳味噌を鷲掴みにされ、ぐるぐると掻き回されるような不快感と吐き気に苛まれながら目を覚ました。顔を上げてみると其処は見知らぬ寝室だった。室内の電気は点いておらず、薄暗かった。広い部屋の中には屋外に通じているだろう大きな硝子窓があるように見えたがそこは、厚手の青い窓掛けで閉ざされており、其処から光が差し込むこともなく、外の様子も一切わからないようになっていた。部屋の真ん中には大型の寝台がドンと置かれ、脇には白い机が配置されている。その上に設置されている光源台が薄暗い部屋の中を仄かに照らしている。



(……此処は、何処だ)



 ぼんやりと霞がかった頭で思案する。見たところ、何処かの寝室のようにみえる。倦怠感の付き纏う重たい身体を起こそうとして、金属が重なり合って揺れる音がした。そこで、ようやく自分がどのような状況に置かれているのか気がつく。毛足の長い柔らかな絨毯の上に、一糸纏わぬ姿で両手両足を手錠で拘束されて寝転がらされていた。首元にも窮屈な違和感を感じる。そこには忌々しいことに犬に付けるような分厚い革の首輪が付いていた。何だ、此れは。一体、どういうことなのか。

 自分は一体どうしたのか。倉庫にいて、敵を殲滅していた筈だ。途中、銃撃音が聞こえてからの意識がない。撃たれたのかと思ったけれど、躯はどこも出血しておらず、傷痕もない。どうやら実弾ではなく麻酔銃を撃たれたようだ。



(そして、意識を失った僕を連れ去った……というわけか)



 とんだ失態を演じてしまった。己の間抜けさに怒りがこみ上げて肩が震える。やり場のない苛立ちをぶつけるように拘束されている両手両足を外そうと我武者羅に藻掻いているとガチャリと部屋の扉が開いた。



「ようやくお目覚めかな。禍狗くん」



 入ってきたのは老紳士だった。モノクルを付け、黒スーツに身を包み、銀製のステッキを持った品の良さそうな初老の男。口許を薄っすらと緩めて人の良さそうな笑みを浮かべているものの、その老いた瞳は獲物を値踏みする猛禽類のように油断なく此方の様子を観察していた。



「……貴様、何者だ」

「名乗るほどの者のではないよ。私はしがない田舎マフィアでね。かねがね悪名高きポートマフィアの黒犬に興味があったので、今日は君を招待させてもらったのだよ」

「ハッ、何が招待だ。攫ってきたの間違いだろう」



 睨みつけるも、相手は全く動じた様子を見せない。逆に、笑みを深めて愉しそうに此方を見下ろしてくる。



「随分、手荒な招待になってしまったね。然し、こうでもしないと、君を連れてくることはできなかったので、あしからず」



 僕の近くまでやってきて、片膝をついて此方の顔を覗き込んでくる。全く悪びれた様子もなく、どこか愉しげに笑うその顔からは、相手が何を思い、何を考えているのか、全く読み取れない。目の前の男の目的がわからない。自分を拐ってどうする心算(つもり)なのか。



「何が目的だ」

「君だよ」

「は?」

「だから、先程も述べたとおり、私の目的は君だよ。ポートマフィアの悍ましき禍狗くん」



 そっと手を伸ばして、指で頬をするりと撫でられる。相手の言葉の意味がわからなかった。真逆(まさか)、純粋な好奇心だけで遥々横浜までやって来てポートマフィアの一員である自分を拐ったと云うのか。



「僕を拐ったところでなんの益もないこと。僕は所詮、駒のひとつ。故に、駒がひとつ奪われたところで、ポートマフィアにとっては痛くも痒くもない。故になんの意味もない」




「ほぉ、其れは好都合だ。それでは心置きなく躾け直させてもらおうか」



 おもむろに老人がパンパンと両手鳴らした。すると、コンコンと扉を叩く音がして一人の少年が入ってきた。彼は自分と同じ姿をしていた。全裸で身に付けているのは黒くて厚い首輪のみ。全身が痛々しい切り傷のような痕に覆われているのが見えた。老人は目配せをして無言で杖を差し出すと、少年は頭を垂れて老人が手に持っていた銀杖を受け取っる。そして、其れを振り上げた。杖の先端から蛇のような鞭が鋭い唸りを上げて躍り出てきて、剥き出しの背中を打った。



「ぐぁッ」



 灼けるような鋭利な激痛が背中を走る。 杖の中に仕込まれていた鞭で叩かれたのだ。拘束されて身動きすることも儘ならない体では、どうすることもできずに、ただ芋虫のようにジンジンと尾を引く痛みに身悶えることしかできない。グリッと口元に黒靴の爪先が押し付けられる。



「君の生殺与奪の権は私にある。私が君の新しい主人だ。さぁ、禍狗」



 ーーー忠誠を誓え。



 グイッとさらに押し付けるように、靴の先端が顎を持ち上げられる。自然と相手の顔を見上げる形になる。この体勢で忠誠を示すように命じられたのだ。何を求められているのかを察して、あまりの屈辱に歯を食いしばる。相手の顔を思いっきり睨みつけるが何の効果もない。老人は相変わらず、穏やかな笑みを浮かべて此方を見下ろしている。間抜けな自分への苛立ちと相手に対する不快感に腸が煮えくり返りそうだ。



「ハッ、誰が……」



 そんなことをするか、と云いかけたところで、再び背中に鞭が振り下ろされた。刺すような凄まじい激痛が走ったかと思うと、容赦なく続けざまに三度打たれた。肉を抉る凄まじい痛みに躯がかってに震え、口から出かけていた言葉は喉の奥に掻き消える。背中から血が流れ出ているのがわかった。もはや苦悶の声しか出ない。



「お前は犬だ。犬は主人に尽くさなければならない。私に忠誠を誓い、尽しなさい。わからなければわかるまで、其の躯にとくと教えこんでやろう」



 老人が少年に目配せすると、少年が再び鞭を振り上げる。一発、二発、三発と打たれ、七発目でとうとう痛みに耐えきれずに意識を失った。





◇◇◇




 躯が熱い。ジクジクと疼く背中の痛みで目を覚ます。どこかぼんやりとした頭で、気怠い躯を起こしながら、ゆっくりと辺りを見渡す。薄暗くひんやりとした場所だった。先ず、物が何にもない。あるものは冷たい石の壁と自分の下に敷かれている薄汚れた毛布だけ。そして、窓も無く、唯一の部屋の入り口は大きな冷たい鉄の扉がひとつ。取っ手も磨り硝子もない無機質な扉からは外の様子が全く窺えないようになっている。毛布と扉以外には、部屋の隅に排水溝があるだけであとは何にもない。



「…………」



 硬い床に敷かれた毛布にもう一度、身を横たえる。石造りの薄暗くひんやりとした雰囲気は、かつて太宰が自分の上司だった頃、彼の命令を無視したり、任務をしくじったときに閉じ込められた仕置部屋に似ている。実際、此処はそういう類いの部屋なのかもしれない。組織内の下手人や生け捕りにした敵を捕らえておくための監禁場所。



(太宰さん……)



 今の自分を彼が見たらどう思うだろうか。

 重たい瞼を閉じて、彼の人の顔を思い浮かべる。愚かな犬を見る目で此方を見下ろす彼の姿が見えた。君って本当に使えないね。やはり、君よりも私の新しい部下の方が優秀だ。吐き捨てるように告げると背中を向けて振り返ることなく脳内から消えてしまった。



(……あの人にだけは、絶対に、このような無様な姿を見られるわけにはいかぬ)




 これ以上、彼の人に失望されるのは耐えられない。人虎。彼の人の新しい部下、中島敦。もしも、彼が今の自分と同じ状況に陥ってしまったとしたら。人虎の異能力なら、簡単に抜け出せるのだろう。縛りのない変身能力。獣並みの身体能力に、羅生門すら引き裂く破壊力。その上、化物染みた超再生能力まで持っている。いつか、彼の人は云った。



『私の新しい部下は君なんかより、よっぽど優秀だよ』



 僕の異能をポンコツと罵り、人虎と比較して嘲笑した彼の人。 確かにそのとおりだった。 そのポンコツな異能を封じられた今の己は、あまりに惨めな囚徒でしかなかった。

 何もできずに、芋虫のように硬い床の上でじっと躯を丸めて、思案する。此処は一体、何処なのか。おそらく、横浜ではないだろう。あの男は云っていた。目的はポートマフィアではなく、僕自身だと。僕を拐うためだけに、この横浜の地にやって来た。そして、僕の行動傾向を予め調査し、餌を垂らし、まんまと誘い出された自分を捕らえたのだ。用意周到に下準備をしてきたあの男が、いつまでもポートマフィアが占拠する横浜の地に居座るとは思えない。まがりなりにも組織の遊撃隊長を拐ったのだ。僕を捕獲するという目的を果たしたのならば、敵の懐からさっさと離れ去るに限る。

 ならば、今、自分は何処にいるのだろうか。そして、目が覚めるまでどのくらい時間が過ぎたのか。何もわからない。ただ、ひとつ確かなことは扶(たす)けが来ないという事実ぐらいだ。もしかすると、樋口あたりは突然、姿を消した自分を心配してくれるかもしれない。いつかの誘拐騒動のときのように、今頃は消えた上司の行方を探して尽力してくれているのかもしれない。けれど、ポートマフィアという組織自体が、自分を扶けるために動くことはない。元々、独断専行しがちな自分を、上は何も言わずに放置してきたけれど、それは戦果を上げて成功しているから見逃されているだけに過ぎない。なんの結果も出せずに敵の手に落ちたときは、そのまま切り捨てられる。それは今回のケースも同じだ。自分個人を狙った敵に対し、上は構成員個人の諍いとして片付けるだろう。

 別にそれでも構わない。誰の扶けも必要ない。血に濡れ、闇に生きる自分が唯一、信じるのは己の力だけだった。己の存在以外に、縋るものなどなかった。そして、いま敵の手に堕ちた自分は、潔くすべてを諦めるしかない。

 はぁと息を溜息が口を出る。しかし、それは思ったより熱っぽくこもった吐息となって吐き出された。続いて、喉奥が焼けるような痛みをともなって咳が出た。一度、出た咳はなかなか止まらず、息ができない苦しさのあまり生理的な涙まで込み上げてくる。

 火がついたような咳がようやく治まり、閉ざしていた瞼を開く。躯が怠い。散々鞭で打たれた背中が灼けるように熱を持って痛い。頭が重く、思考が散り散りになる。視界が段々とぼやけて朧げにしか周囲の認識ができなくなってくる。

 フッと陽炎のように視界が揺らめいて、蝋燭の炎が吹き消えるように意識が消失した。
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