忍たま

□贋者は愛を抱えて走る
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変姿の術で普段から雷蔵の姿を使っている三郎。そんな雷蔵になりきっている三郎の心の中に不破雷蔵がいる話。
元ネタはアニメの「もうひとりの私」の段です。三郎が先走りする云々については「古沢仁之進先生の段」をちょいと参考にしました。サ-セン










五年ろ組の鉢屋三郎。

彼は優秀な忍たまとして同級生や六年生の間で度々話題に上がる有名人であった。

特に武芸に優れており、その腕前は六年生にも匹敵するという噂もある。五年生の中でも特に優れた生徒であったが、彼は少々短気で己の感情に流されやすく、先走しやすい傾向があった。

彼が執心している同級生の不破雷蔵も、また、忍として致命的な迷い癖を抱えていた。しかし、学園長の与えた試練を乗り越えて、少しずつ弱点を克服していっている。

さて、鉢屋三郎はどうだろうか。

忍術学園の先生達は考えた。

そして、三郎が忍として己の感情を律し、無事に忍務を達成できるのか。

先生達は鉢屋三郎を見極める為に彼に単独で忍務を任せることにした。

忍務の内容は、とある城から密書を手にいれるという六年生が行うような難易度の高いものだった。

三郎は得意の変姿の術で首尾よく城に忍び込み、誰にも見付からずに密書を手に入れた。

しかし、密書が無くなったことにすぐに気付かれてしまった。さらに、眠り薬で寝かし付けていた人間が起きて大騒ぎした為に、侵入者の存在に気付かれてしまった。面倒な事態に舌打ちしたくなる。



(薬の量を計り間違えたか。それとも、密書を探すのに時間を掛けすぎたか…)



眠り薬は量を間違えると、謝って相手を死に至らしめてしまうことがある。なので、薬を盛る時に無意識に手心を加えてしまったのかもしれない。

密書を持つ手が小さく震えている。

もしかすると、自分は初めて六年生ような本格的な御使いを任されて緊張しているのかもしれない。…全く自分らしくもないが。



『仕方ないよ。三郎』



心の中で弱い己を嘲笑う三郎の思考を割るように、柔らかく暖かい雷蔵の声が響いた。



『誰だって初めての単独忍務は緊張するさ。僕らはまだ六年生みたいな忍務は任されたことがないもの。でも、僕たちにも五年間培ってきた知識や技術がある。大丈夫。お前ならできるよ。さ、気持ちを切り替えて早く脱出しよう』



三郎は目を閉じてゆっくり頷いた。

再び開かれた瞳は力強く、静かに落ち着いたものだった。



◇◇◇




城中が曲者探しに大騒ぎをする中、今度は下男を眠らせてその姿に化けた。

曲者を探すふりをして庭に出て塀を飛び越えて外に出る。素早く近くの茂みに身を潜めて、顔は変えずに手早く身なりだけを商人へと変える。



『そろそろ下男の正体がバレている頃だ。追っ手の忍が来るぞ』

(敵が来る前に急いでこの辺りから離れた方が良いな)



忍務に出る前に同級生の久々知兵助から貰った豆腐を商品にして、豆腐売りへと化けて城から離れて山に向かって移動する。

山の麓で再び茂みに隠れて今度は山伏へと身なりを変えて、山へ入った。



『この辺りもまだ奴等の領域だ。山を越えるまで気を抜けないぞ。山中での地の理は敵側にある。戦うことはせずにひたすら逃げに徹するんだ。僕達の目的は密書を持ち帰ることだからね』

(あぁ。無茶はしない。気を付けるよ)



鬱蒼と草木生い茂る獣道を、できるだけ音を立てないように慎重に移動していると背後から何者かの気配が近付いているのを感じた。瞬時に木の上に身を隠し、上から辺りを見下ろすと直ぐ近くに追っ手の忍が一人いた。三郎の姿を見失ったのか、キョロキョロと辺りを見回している。

密書を奪った曲者を手分けして捜していたのだろう。そして、見慣れない山伏が山に入るのを怪しんで跡を付けた。

相手の鋭く睨むような眼差しに、もしかすると、ほとんど直感で三郎の扮した山伏が、曲者の変装であると見破られた可能性がある。いや、得物を片手に、射るような視線。間違いなく気付かれている。今さら山伏のふりをして出ていっても通用しない気がした。

経験豊富なプロの忍の直感力はなかなかに恐ろしく侮れないものである。

樹上で身を潜めながら、三郎は内心大いに動揺する。

もしも、三郎の正体が既に曲者である見破られているのならばこの変装は全くの無意味である。



(…ならば、やるしかない)



三郎は相手が一人であることを確認すると、衣服に隠していた凪刀をこっそり指に挟む。敵から視線を外すことなく、ゴクリと唾を飲む。

その時、雷蔵の声が三郎を制止する。



『ここで戦ったら駄目だ。忍術に疎い山賊ならともかく相手はプロの忍だ。いくら三郎が優秀とはいえ勝ち目がない。しかも、ここにいるのが一人だけだとしても、相手は複数人いる筈だ。万が一、運良く目の前の相手を倒しても間違いなくあとから直ぐに仲間が駆け付けてきて、殺されてしまう。たとえ、仲間が来る前に逃げ仰せたとしても、三郎が怪我をして帰るのが遅くなるだけだ。…下手をすると、お前が、殺されてしまう可能性も、ある』



頭の中の雷蔵の声が微かに震えている。



『だから、絶対に戦ったらいけない。今すぐ逃げるんだ。ここはまだ敵の敷地内で、辺りには罠も仕掛けられているかもしれない。早く山を抜けよう。……そして、学園に帰ろう。早くお前の無事な姿を見たいよ』

(…雷蔵!)



今にも泣き出しそうな雷蔵の声に、三郎は音もなく木から下りて走った。

追っ手を見向きもせずに一心に山を下る。

後ろから手裏剣やら焙烙火矢やら色々と物騒なものが飛んで来たがそんなものは無視して、撒きびしを撒きつつ、ただただ山を駆け抜けた。



(そうだ。雷蔵が待っている)



きっと彼は自分の帰りを心配しながら待っているだろう。

何としても学園に帰らなければならない。

そう思うと身体中に力がみなぎってくる。

山の下りでは傾斜の勢いに任せてほとんど地に足を付けないで飛ぶような勢いで山を降り、ひたすら通過地点の町を目指して走った。



町に着くと再び豆腐売りの商人に化けた。顔は行きに町で見かけた適当な通行人のものである。

此処までくれば、もう大丈夫だろう。敵の敷地内を抜けたも同然である。あとは町を抜けて、見慣れた長閑な田んぼや畑の道をひたすら歩いていき、竹林を通りまた山を登った。

見慣れた忍術学園の裏裏山へ来た時には、変装を解いていつもの雷蔵の姿へと戻り私服で学園へと帰還する。



◇◇◇



学園に帰って真っ先に学園長の庵に向かい、密書を届けて報告を済ませた。学園長から労いの言葉と下がっても良いと許可を貰って、ようやく五年生の長屋へと帰る。

おそらく、学園長は三郎が忍務をこなしている間、忍術学園の先生達を監視に付けていただろう。そして、三郎がどのように忍務をこなしたのかその全てを把握しているのだ。学園長への手短な報告と労いのやり取りの間に三郎はそう推測していた。

三郎が五年生の長屋に足を踏み入れた時点でそこはもう大騒ぎだった。

六年生が任されるような忍務を、三郎が無傷で達成して帰ってきたと大騒ぎになっていた。

長屋に入った途端に三郎へと同級生達が押し寄せてきて肩を組まれたり、頭をぐりぐり撫で回されたりともみくちゃにされながらも称賛の言葉を浴びた。

同級生達の気持ちはとても嬉しかったが、しかし、正直なところ密書を入手してから帰りはひたすら走ってきた三郎はとても疲れていたので早く部屋に帰りたかった。

雷蔵そっくりな柔らかな苦笑いを浮かべつつ、正直にその胸を伝えると、同級生達は謝りながら道を開いてくれた。「ありがとう」と礼を言う三郎に同級生達からは労いの言葉が口々に出た。

そして、ようやく部屋に帰ることができた三郎が戸を引くと、そこには入り口に背を向けて本を読んでいる雷蔵の姿があった。驚いたように振り返るその目はまん丸に見開かれている。




「え…三郎!?帰りは明日じゃなかったのかい?」



本を閉じて、体ごと三郎に向き直る雷蔵はとても驚いた顔をしている。

おそらく、雷蔵には三郎の帰還が伝わっていなかったのだろう。同級生達は雷蔵を驚かせようと、わざと雷蔵にだけ三郎の帰還を伝えないようにしたか…。もしも、そのとおりの意図だとしたら、それは成功している。

三郎はお茶目な級友達を思って苦笑しつつ、雷蔵の前に腰を下ろす。



「君に会いたくて飛んで帰って来ちゃったよ」

「……どこも怪我はしてないのか?」

「勿論」



心配そうに問われ、両手を広げて茶目っ気たっぷりに返すと、雷蔵は感心したように頷いた。



「良かった。初めて任された単独忍務なんだろう?…やっぱりお前ってやつはすごいよ」

「君が居てくれたからだよ」

「え?」



小さく首を傾げている雷蔵を真っ直ぐ見つめて言う。



「君が居てくれたから、無事に達成できたんだよ。君が存在がなかったら、今ごろ私は此処に居ないよ」



恐らく、山中で追っ手を返り討ちにしようと戦って逆に殺されているか、怪我をして忍務達成の期日を過ぎてしまうかのどちらかだったろう。

雷蔵という存在が何時も身近にいた。

そして、いつも雷蔵の姿をする三郎の中に、何時しか不破雷蔵の存在が大きく膨らんでいった。三郎の心の中には雷蔵がいた。

雷蔵の声は三郎に様々な助言をくれた。

しかし、心の中の雷蔵は、三郎が本物の不破雷蔵と接している時は全く浮上してこない。

変装をする者としてその対象の人物になりきり、無意識の内に人格を使い分けることはよくあることである。三郎の内にいる雷蔵は三郎自身が無自覚で作り上げた強固な妄想のようなものだった。

だから、本物の雷蔵に何かあったとき、三郎は、冷静沈着な本物の雷蔵のようにはいられない。妄想の雷蔵の声もしないのだ。




「頭脳明晰で冷静沈着な不破雷蔵という存在は、どんなに遠くに離れていても、私を助けてくれるんだよ」

「ん〜、よくわからないなぁ…」

「私はまだまだ半人前なんだって話だよ。半人前の私は雷蔵がいてようやく一人前なんだ。だから、今回の忍務を経て、これからより一層精進しなければならないと痛感させられたのさ」



首を傾げる雷蔵を真っ直ぐに見つめながら、にやりと笑いかける。


雷蔵は「……ふぅん。そっか」と感心したように頷きつつ、三郎の言葉や様子から疲労を感じとったのか「色々と大変だったね」と言葉を続けた。



「お帰り。三郎」



そう言って、穏やかに笑う雷蔵はとても優しい目をしていた。

それは、三郎が忍務の間に何度も何度も頭の中で思い浮かべた笑顔だった。

ずっとその顔が見たかった。想像ではなく、本物の雷蔵の声が聞きたかった。

雷蔵の「お帰り」という言葉に、ようやく三郎は自分が無事に忍務を終えて生きて帰ってきたのだと実感した。

初めて独りで任された忍務はとても大変だったし、協力し合う仲間がいない状況は正直、不安でもあった。

いつも三郎とペアを組む雷蔵がいないことが余計に心細かった。

山中で逃げながら山を駆け降りる時に、雷蔵に会えないまま、敵に殺されてしまうかもしれないと考えて、必死に逃げた。

雷蔵に先立たれるのも嫌だが、雷蔵を残して死ぬのも嫌だった。

敵に殺されるのはまっぴらだし、雷蔵に会えないまま死ぬのは最も最悪なことである。

まだ、彼に伝えたいこともある。

まだまだ一緒にやりたいことも沢山ある。

ここで捕まって死ぬ訳にいかない。


雷蔵に会いたい。


その想いを一心に、山中で必死に追っ手を撒いて命からがら逃げ出したのだ。



三郎は、目の前の雷蔵の体を抱き締める。
突然、両腕の中に閉じ込められた雷蔵は大きく目を見開いて固まってしまっている。



「え?ど、どうした?三郎?」

「……」

「…三郎?」



雷蔵は自分を抱き締める三郎の体が微かに震えていることに気付いた。

そっと三郎の背中に両腕を回して、小さな子供を宥めるように右手で背中を撫でる。



「僕はね、お前が怪我ひとつなく無事に帰ってきてくれて本当に嬉しいよ」



雷蔵を離すまいと強く抱き締めたまま、肩口に顔を埋める三郎。



「お帰り。三郎」



雷蔵は涙に濡れた自分の肩に気付かないふりをして、彼の気が落ち着くまで優しく彼の背中を撫で続けていた。
 

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