忍たま

□サブロウデイズ
1ページ/1ページ

五年生の終わり頃、とある城の偵察に入った不破雷蔵が忍務に失敗した。

雷蔵とペアを組んでいたクラスメイトは酷い怪我を負いながらも、忍装束を血に染めて学園に帰ってきた。不破雷蔵が敵の手に落ちたという情報はすぐに忍術学園中に知れ渡った。

五年ろ組は騒然としていた。

特に不破雷蔵の相棒である鉢屋三郎は、教室でその情報を知るなり、即座に雷蔵を助けに敵の城へ向かおうと立ち上がった。大事な雷蔵の危機に大人しくしていられるわけがない。今すぐ、雷蔵の元へ駆けつけなければならない。

しかし、何者かが引き留めるように力強く腕を捕んできて、阻止される。



「…お前どこに行こうとしてんだよ」



犯人は、厳しい顔をした同級生の竹谷八左ヱ門だった。逃がさないように強く腕を掴んで、問い詰めてきた。しかし、咎めるような強い眼差しにも、三郎は怯まない。



「決まっているだろう。雷蔵のところだ」



さも当然のように答えて、強く腕を振り払った。



「一人で行く気か」

「あぁ」

「先生達が雷蔵を助けに行く。俺達は暫く教室で待機するようにと言われてるだろ。学級委員」

「黙って待ってられるか!」


邪魔をするなと八左ヱ門を振り返って睨み付ける。



「私は今すぐ雷蔵を助けに行く」



(今、こうしている間にも、雷蔵は…!)



三郎の脳裏に、暗い牢屋で散々痛め付けられ傷だらけの雷蔵が力無く横たわっている姿が浮かぶ。暗い水のように不安がこみ上がり、心臓が止まりそうなほど締め付けられる。雷蔵を失うかもしれないという恐怖が三郎の心をじわじわと苛んで、居ても立ってもいられない。

八左ヱ門の目に映る三郎は、とても感情的で不安定であった。どう見ても冷静さを欠いている。普段でも彼は雷蔵のこととなるとあっさり理性を飛ばしてしまうのだ。今の冷静さの欠片もない三郎を黙って行かせる訳にはいかない。

今の三郎を雷蔵救出に向かわせたところで所詮ミイラ取りがミイラになるだけだと判断し、八左ヱ門は黙って三郎を睨み返した。

そして、三郎は、気配を消して背後に立っていた木下先生の手刀を背後からまともに食らい容易く気絶させられてしまった。普段の三郎ならば恐らく、背後の気配に気付くか、黙って手刀を食らう前に何らかの反応をすることくらいはできた筈だ。それが出来なかったということはそれだけ今の彼が、周囲に気を配れないくらい冷静さ客観性に欠けているという証である。

気を失って前のめりに倒れ込んだ三郎を受け止める。

突然の木下先生の登場に、何か雷蔵のことで動きがあったのかもしれないと騒然となる生徒達。ざわめきに包まれた教室を木下先生はパンパンと二度手を叩いて制する。



「いいかお前達は今から夕飯までの間、長屋の自室で待機だ。それでは以上。解散だ」



固い声で簡潔に生徒達にそう言い渡すと、気を失った三郎の体を縛り付けた。



「八左ヱ門」

「はい」

「鉢屋を頼んだぞ」

「はい」



三郎が一人で暴走したり、勝手なことをしないよう見張っておくように、友人の八左ヱ門に頼むと木下先生はその場から消えるように去っていった。


気絶している三郎を担いで長屋に戻りながら、八左ヱ門は雷蔵の無事をただ祈ることしか出来ない己の無力さに、唇を噛み締めていた。



◇◇◇




忍術学園の教師陣が敵の城に潜入し、不破雷蔵を発見した時は既に手遅れであった。

雷蔵は薄暗い牢屋の中、乾いた血の上に放置されていた。近くにはコロコロと真珠のように小さくて白いものや鱗のようなものが幾つも転がっている。

目をこらしてよく見ると、その白い何かは人の歯。…雷蔵の歯だった。

鱗のようなものは雷蔵の爪である。

雷蔵の指先は、爪が全て剥ぎ取られて、どす黒く乾いた血で固まっていた。

横たわる髪もバサバサと固く、つい先日まであった柔らかさは失われていた。
歯を抜かれた口は血で汚れており、さらに、顔は散々殴られて痛々しく腫れ上がり、そこには元の優しい面影などみる影もない。まるで別人のような有り様である。

不破雷蔵は、曲者として捕まり拷問された。

そして、雷蔵は学園の情報を何一つ漏らさなかったのだ。
彼の受けた凄惨な拷問と暴力の痕が、その事実を物語っていた。


薄暗い地下牢の壁を見つめる空虚な瞳には、ただ悲しい諦めが浮かんでいた。


◇◇◇



結局、生徒を生きて連れ帰ることは叶わなかった。

変わり果てた教え子を前に誰も何も言葉を発することはなかった。ただ雷蔵の死を確認すると他に何もできることもなく、学園へと帰っていった。

帰還してすぐに雷蔵の家族には学園から死亡通知が出された。

また雷蔵とペアを組んでいた生徒は大怪我を負い、これから先、忍を志すことができないということで退学届けが出された。彼は今回の任務で不破雷蔵に命を救われた。

しかし、その代償として命を失うことになってしまった雷蔵に何度も何度も謝っていたという。





◇◇◇


「雷蔵が死んだ」



日が暮れ、三郎が竹谷八左ヱ門の部屋で目覚めた時には全てが終わっていた。痛みを堪えるように淡々と告げられた言葉を、三郎は理解出来なかった。

友人の部屋で目覚めた三郎は、八左ヱ門から先生達が雷蔵を救出に向かったが既に手遅れだったことを説明された。

不破雷蔵が死んだ。

しかし、彼にはその事実がどうしても受け入れられなかった。鉢屋三郎にとって不破雷蔵はとても大切な存在である。いつでも傍に居るのが当たり前の大切な片割れも同然。

その雷蔵が死んだ…?

そんな事実が許されるのだろうか。

あり得ない。


「…は。嘘だな」



唇の端を歪めて吐き捨てるように否定する三郎に、竹谷は怪訝な顔をする。



「嘘じゃない」

「嘘だ」

「雷蔵は死んだ」

「いや、死んでない」

「殺されたんだ」

「あり得ない」

「……認めろよ! 不破雷蔵はもういないんだ!」




歪な笑みを貼り付けて頑なに雷蔵の死を拒む三郎の姿は、八左ヱ門の目に痛々しく映った。

竹谷八左ヱ門は常日頃から彼がどれほど不破雷蔵のことを大切にしていたのかをよく知っていた。二人はクラスの名物コンビとして仲睦まじく何時でも二人一緒に行動していた。八左ヱ門は同じクラスメイトとして一年生の頃から二人をずっと見守ってきた。

大事な片割れに置き去りにされた三郎は、雷蔵の死を認めることができず、泣くこともできない。不自然な笑みを浮かべて雷蔵の死を否定する三郎を見ていられなくて、胸ぐらを掴んで怒鳴り付けてしまった。

その拍子に八左ヱ門の目から勝手に涙が零れ落ちてしまった。

竹谷八左ヱ門は苦しかった。

彼にとっても不破雷蔵は大事な友人であった。雷蔵が死んでしまったという事実に心が抉られて、失った物の大きさに耐えられなくなりそうだった。だから、心に蓋をした。

忍術学園の忍務は学年が上がるごとにその難易度も上がっていく。今までも、同級生が忍務に失敗して死んだり、退学したり、そういうことがなかった訳ではない。

だから、八左ヱ門はあえて現実に目を向けた。雷蔵の死は他人事ではない。明日は我が身である。そうやって、崩れ落ちそうな心を冷たく叱咤して耐えていた。

なのに、雷蔵の死をどうやっても受け入れようとしない三郎に、心の蓋が揺さぶられて外れそうになる。

雷蔵の死を認めない弱い三郎への憤りを覚えるのと同時に、同じくらい憐れみを感じる。

いや、憐れみというよりも雷蔵を失った者同士として悲しみの共感である。寄り添って慰めてやりたいし、自分も誰かに慰めてほしかった。込み上げてくる感情のままに声を上げて泣きたかった。


胸ぐらを掴んだまま、ぼろぼろと涙を溢す八左ヱ門を三郎は不思議そうに見ていた。



「…八左ヱ門。なぜ、泣く?」

「…っ…く…」



俯いてしまった八左ヱ門は、胸ぐらから手を外す。喉の奥が熱くて、何も言葉が出てこない。



「泣くな、八左ヱ門。雷蔵が私の手の届かないところに行くわけがないだろう。不破雷蔵あるところ、鉢屋三郎ありだからな」

「…ばか…やろ…」



がんがんと頭が痛い。顔を上げると涙に歪んだ視界で三郎が笑っていた。

涙に滲んでしまって顔はよく見えないが、唇の端を上げて笑う口元だけははっきりと見えた。



「だから、これはぜんぶ悪い夢なんだよ」



そう告げた三郎が陽炎のように揺れて、八左ヱ門の世界が暗転した。



夜中。



三郎が目を覚ますと隣の布団で雷蔵が眠っていた。

きちんと布団をかぶって幸せそうに笑っている。どうやら良い夢を見ているようだ。

雷蔵がいる。隣にいる。生きている。

寝息を立てて笑っている姿に泣きたくなるくらい安堵する。

そっと体を起こして手を伸ばし、向かい側にいる雷蔵の頬に触れる。柔らかくて温かい。その温もりに安らぎを覚えた。

夢の中で絶望した。

起きて彼のいる現実に安堵する。

全てはそう悪い夢だったのだ。

悪夢に冷えた心は雷蔵の温もりを求めていた。自分の寝床を抜け出して、雷蔵の布団へ滑り込む。そして、求める温もりを腕に抱き締めて、確かな安らぎに包まれながら三郎は目を閉じた。

同じ頃、同じ寮の別室で竹谷八左ヱ門は布団から飛び起きていた。

何時間も眠ったようにぼやけた意識。酷い体のだるさと肌にまとわりつく汗。頬には涙が伝っている。吸って吐いてを何度も繰り返して、乱れた呼吸を落ち着かせる。



「…はっ…はぁっ………ゆ、夢?」



涙を拭いながら、思わず口からこぼれた八左ヱ門の疑問は、夜の静寂に吸い込まれて消えた。

END
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ