おそ松さん

□ホムンクルスは愛を歌う
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 生臭い獣のような匂いがした。

 体中にべたべたとした感覚がまとわりついている、汗のようなべとついた不快感がとても気持ち悪い。



「ん、んん……」



 カラ松がゆっくりとを覚ますと、そこは見知らぬ森だった。いつの間に、こんなところに来たのだろう。

 切り株の上に全裸で寝転がっていたカラ松は慌てて身を起こし、すぐ目の前にあった狼の顔を直視してしまった。



「うわあぁ!」



 驚いて腰を抜かしたカラ松は狼の顔から逃げるように尻をすりながら後退り、切り株から転げ落ちて石に頭をぶつけ、痛みに悶絶した。後ろに転げ落ちたカラ松に驚いて狼が顔を近付けて覗き込めば、すっかり怯えたカラ松は痛みに悶えながらも手足をばたつかせてあたふたと逃げようとする。



「………」



 狼はおもむろに右の前足をカラ松のお腹に乗せて逃げられないように固定した。



「ひっ、ヒイッ!」



 爪は出てはいないものの、大きな獣の手がお腹に乗せられて、カラ松はいよいよ自身の最期を考えた。考えて、何だか泣けてきてしまった。少しでも、抵抗すれば鋭い爪で腹を突き破られそうで、身動ぎするのも恐ろしかった。



「……お、俺は美味くないぞ!ぜんぜん、ぜんぜん、うっ……美味くないからな!ちっこいし、た……食べるところも、ないし、……ック……な、何の腹の足しにも……ならないからな!」



 自分を食べたって何のメリットもないぞ!と訴えながら、お腹の上に置かれた大きな前足と真上から見下ろす大きな口が恐ろしくて声が震えた。



「ヒッ……ク……」



 やだ。食べないで。殺さないで。死にたくない。

 怖い。

 とうとう、カラ松の目から涙が溢れた。

 鼻をぐずぐず鳴らしながらも、狼を刺激しないように声を押し殺して泣いた。



「………」



 狼は黄色い瞳をまあるくして、目を閉ざしたまま声を出さずに泣くカラ松を首を傾げて見下ろしていたが、やがて、腹の上に置いていた前足をそっと退かしてやった。



「食べないよ」

「……え?」



 人の声が聞こえたので恐る恐る目を開くと狼の姿は消えていた。その代わり、毛皮の外套に身を包んだ男がカラ松を見下ろしていた。



「おれ、十四松!元人間の狼憑きだから、人間はたべないよ!きみを助けに来ただけっス!」

「え……助けに来た?」



 両手を伸ばして小さなカラ松を掬い上げると切り株の上にそっと戻す。彼は焦点の合わない瞳でカラ松を見つめて満面の笑顔を浮かべる。



「おれの知り合いにトッティって名前のシルフがいて、すっげーおしゃべりで面白いヤツなんだ」

「へー」



 シルフ。

 火水風地の世界を構成する四大要素のうち、風を司る妖精のことである。



「その噂好きのシルフ達の間で、きみ有名人だよ」

「えっ」



 狼男の言葉に、カラ松の心がそわそわとざわめいた。



(もしや、この超魔法生物として作られし、奇跡の人造人間である俺の存在がシルフ達の間で噂になっているのか!?)



 勝手に口許がゆるゆると緩まり、ドキドキと浮わついた気分になる。真っ裸の状態でありながら、手櫛で前髪なんかも整えてしまう。もはや、さっきまで狼に食い殺されると泣いていたことなど忘却の彼方である。ビビりのわりに意外と図太い神経をしているカラ松であった。



「そ、それで、俺はなんと言われてるんだ?」

「人間の子供に捕まっている間抜けな妖精がいるって言われてる」

「え……」



 カラ松の期待は粉々に砕け散った。



(間抜け……だと?)



 ショックを受けたように硬直するカラ松に構うことなく十四松は話を続ける。



「それでトッティの仲間かと思って助けに来たんだけど、なんか羽ついてないし、シルフと違うみたいだねー!ねぇ、なんで羽ないんスか?シルフじゃないんスか?」



 十四松の純粋な疑問に、カラ松は「フッ」と笑って右手でサラリと前髪を靡かせる。



「見ての通り、俺は妖精ではない。神秘の技術により生まれし人工生命体であり、錬金術の知の結晶。超魔法生物として作られし、奇跡の人造人間ホムンクルスのカラ松さ!」

「……ほむんくろろ」

「ノンノン。ホムンクルスだ」



 十四松に訂正するが、彼はいまいちわかっていないらしい。首を傾げて再度言われる。



「……ほるむくろろ?」

「ち〜が〜う。ほるむくろろでもクロロホルムでもなく、ホムンクルスだ!」

「ん〜?ま、いいや。それで、ほむんくろろさんはどっか行くとこあるんですかい?」

「う……」



 唐突に切り替わった話にカラ松の体がビクリと揺れて固まる。投げ掛けられた質問はカラ松にとって頭の痛い質問だった。



「……とりあえず、外で真っ裸だと夜には凍え死にますぜー」

「……う……まぁ」



 ごもっともである。しかし、そんなことを言われても困る。カラ松には着るものどころか、行く当てすらないのだから。



「………」



 十四松は俯いてしまったカラ松の腕を指先で摘まむとひょいと自分の頭の上に乗せた。



「わぁ!」

「という訳で、俺の家に連れて行きマぁ〜ッスル!!」

「え?」

「あ、そうだ!あと、おれ、ほるむくろろさんが毎日話すお話を楽しみにしてたんですぜー」

「……どういうことだ?」



 いまいち、話が掴めなくて聞き返す。



「トッティから話を聞いて、町に潜り込んで、ほるむくろろさんのいた家の屋根に登って監視してたら、なんか面白い話が聞こえてきて、それから毎晩お話を楽しみにしてましたー!」

「えっ!?お前、外に居るのに俺の声が聞こえてたのか?」



 驚いて聞き返すと元気よく頷かれる。

 優れた聴覚を持つ狼男の耳に感心して「すごいなー」と言うと、十四松は嬉しそうに笑った。しかし、すぐに肩を落として下を向いてしまった。



「でも、昨日の夜はお話してくれなかったんですぜー」

「……」

「何回も外で続きを聞かせてって、吼えても、結局お話してくれなかったっス……」

「……もしかして、昨日の犬の鳴き声って」

 フラッグboyに飽きられて近日中に殺されるのではないかと不安で眠れずにいたときに、外から聞こえてきた犬の鳴き声。



 昨夜の鳴き声はもしかすると……。

「……ワンワン」

「マジか」

「マジマジ」



 まさか、フラッグboy以外にカラ松の話す物語を楽しみにしてくれている人がいるとは思わなかった。素直に嬉しいと思う反面、期待に添えられなかったことを申し訳なくも思った。



「それはすまなかったな。知らなかったとはいえ、せっかく楽しみにしていてくれたのに」

「道中に何か話してほしいっス」

「わかった。それでは聖なる森の泉に住む女神と、強欲の悪魔の禁じられた恋の話をしてやろう」



 十四松の希望に応えて、いくつかネタとして温めていた話を聞かせてやることにした。ちなみに、今回の物語に登場している悪魔のモデルは、かつてカラ松を救ってくれた悪魔おそ松だったりする。



「わ〜い!わ〜い!ハッスルマッスル!うぅ〜お〜おおぉぉ〜!!」

「ん?」



 カラ松が十四松のために物語を聞かせてやることに喜び、感激したように両の手に握り拳を作る狼男。唸るように叫ぶと、カラ松の目の前で、彼の体がみるみる膨張していった。身体中に毛が生えて、姿勢も直立歩行の二本足から四つ足の巨獣へと変化する。



「ぞ、ゾアントロピー……」



 ゾアントロピー。人が獣に変身する獣人現象。



(初めて見た……)



 刷り込み教育の知識として知ってはいたけれど、実際にこの目で見るのは初めてである。呆気にとられたように口を開いてポカンと見つめるカラ松。しかし、その目はキラキラと輝き始め、満面の笑顔に変わる。



「すっげー!お前カッコいいなぁ!」



「ほぉ」と感嘆の息を漏らして、うっとりと狼を見上げるカラ松に狼男は嬉しそうに目を細めた。
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