おそ松さん

□カラ松Rat事変
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 カラ松はラットの死骸を埋葬した後、小さな墓の前で泣いていた。その後、泣き止んだカラ松はおそ松に二階の子供部屋に連れて行かれた。そうして、おそ松はいつも通りパチンコに出掛けて行った。

 部屋には誰も居なかった。

 しばらくソファーに腰掛けてボ〜っとしていたら、押し入れの隙間からラットのケージが見えた。



「………」



 カラ松はふらりと立ち上がって部屋を出ると、一階から45Lサイズのゴミ袋を手に戻ってきた。がさがさと袋の入り口を開いて、押し入れに入っていたラットのために買ったケージをバラし袋に入れる。他にも封を切った餌やおやつ、おがぐずや夏の暑さ対策に買った冷寒プレートなどのラットの為の道具を全てゴミ袋に入れて入り口を結んで、次のゴミの日のために押し入れに突っ込んでおく。

 カラ松のラットが死んでしまったのに、そのラットのための道具が残っているのがとても虚しかった。

 ソファーで膝を抱えて座って、カラ松の小さな愛くるしいラットのことを考えた。考えて、涙が出てきた。

 カラカラ空っぽのカラ松。

 小さな体でカラ松のことを精一杯愛してくれたあのラットが、無残に殺されてしまった。

 カラ松に心を開き、たくさん懐いてくれた。甘えてくれた。カラ松はその小さな存在を毎日愛して、尽くして世話をした。そして、その小さな存在に心を慰められることもあった。

 ラットはカラ松を心から信頼してその身の全てを預けていたけれど、カラ松はそれを裏切ってしまった。自分の不注意のせいで死なせてしまった。

 大切なラットを守ることができなかった。

罪悪感がカラ松の心をギリギリと締め付ける。喪失感に心の中が空っぽになる。朝からずっと泣き通しでこめかみの辺りが痛い。胸の奥もずきずきと痛い。呼吸が苦しい。

 後悔しても仕切れない。今はもうただただ悲しかった。

 音もなく部屋の襖が開き、マスクをした一松が入ってきた。

 チラリとソファーで膝を抱えているカラ松を見ると、足音を起てないように近付き、カラ松の隣に腰掛けた。



「………」

「………」



 会話は何もなかった。カラ松も一松も何も話さない。

 一松が横目に隣を見ると、カラ松は声を上げずに泣いていた。



「………」



そっと立ち上がると部屋の中に置いていたティッシュの箱を取りに行き、カラ松に手渡す。



「ん……」

「……」



 カラ松は大人しく箱を受け取り、鼻を噛んだ。鼻を噛みながら、ボロボロと泣いていた。一松はカラ松が落ち着くまで、ずっと隣に座っていた。

 その日の夜。

 カラ松が寝静まった頃に、天井から複数の猫の鳴き声と何かが駆け回る音が聞こえていた。しかも、それは一晩中続いていた。

「なぁ、一松。俺ら眠れないんだけど」

 長男・おそ松が思い詰めた様子で一松に苦情を申し立てるが、聞こえないふりをする。おそ松は「俺ら」と言ったが、現在起きているのはおそ松とトド松と一松だけであった。他の三人、カラ松とチョロ松、十四松は既に夢の世界である。

 それもそうだろう。わざわざカラ松と十四松が寝入った頃を見計らって事を始めさせたのだから。

 眠れないのはおそ松とトド松だけだし、煩いのもまた害獣駆除のために仕方のないことである。二人には煩いのを我慢して寝て貰うしかない。どうせ自分達はニートでやるべき勤めなどはないわけだし、今眠れないのなら明日の昼などに眠れば良い。一松には特に問題はない。

 末弟と長男の苦情を知らんぷりしつつ、目の前の兄のあどけない寝顔を見つめながらそっと瞼を閉じた。



◇◇◇



 翌日もカラ松は二階のソファーで膝を抱えて、何をするでもなくボーと過ごしていた。すると、昨日と同じように一松が部屋に入ってきた。

 一松はいつも通り紫のパーカーにマスクをつけた姿だったが、彼の手には見慣れぬ紫色のゴム手袋がはめられていた。



(……ゴム手袋?どっか掃除でもしてたのか)



 さらに、その手にはコンビニ袋がぶら下がっていた。

 見慣れぬ紫色のゴム手袋をなんとなく眺めていると、眼前にコンビニ袋がグイッと突き出された。



「ん」

「え……」



 もしかすると、受け取れということだろうか。

 恐る恐る渡されるままコンビニ袋を受け取り、そぉっと袋の中を覗いてみると、そこには沢山のミミズ……ではなく、ネズミの尻尾がぎっしりと入っていた。



「ひぃっ!」



 思わず、驚きのあまり受け取った袋を床に落としてしまった。何つーモンを渡してくるんだこいつは……。

 ショッキングな袋の中身にびっくりして、小心者のカラ松は涙目になってしまった。ノミのように小さな心臓がバクバクと騒いでいる。

 困惑したように一松を見上げると、マスクで隠れている口元は見えないものの、彼は「ヒヒヒ」と満足そうに目を細めて笑っていた。用がすんだのか、一松はくるりとカラ松に背を向けて部屋から出て行ってしまった。

 これは……最近ラットを失った自分への嫌がらせなのか。自分はそこまであの弟に嫌われていたのか。

 弟から嫌われているらしい事実と、あの可哀想なラットを失った痛いほどの悲しみを思い出して、喉の奥が震えた。眼球の奥が焦げるような感覚がじわじわと込み上げてくる。

 下を向いて俯いていると、何処からか視線を感じた。顔を上げて見ると、入り口から十四松がヒョッコリ顔を出して覗いていた。

 どうやら、十四松は先ほどまでの一松とのやり取りを見ていたらしい。

 目が合うと、「カラ松兄さん!」と駆け込むように入ってきた。そして、ソファーの前に散らばっている鼠の尻尾と袋の前で、ピタリと立ち止まる。



「これねぇ、一松兄さんが仇を取ってくれたんだよ」

「は?」

「ネズミの仇」

「……」

「多分、どいつがカラ松兄さんのペットを殺したのかわかんないから、みんなまとめて殺してくれたんだよ」



 十四松はいつもと変わらない笑顔で淡々と落ち着いた声音で説明してくれる。

 何時・何処で・何故・どうやってなどの説明が抜けているが、なんとなくカラ松にも十四松の言いたいことがわかった。

 カラ松Ratは松野家に居着いていたドブネズミに食い殺されて、一松がカラ松の代わりに復讐をしてくれたらしい。

 カラ松は、一松が優しい弟であることを知っていた。

 根が真面目で繊細な心の持ち主であるが故に、対人関係において傷付きやすく、不器用であること。

 昨日も、一松は泣いている自分にそっと寄り添ってくれた。

 普段からクソ松と呼ばれたり、サングラスを壊されたり、物で突っついてきたり、いきなり猫缶を投げつけられたり、かと思えば、鼻水を垂らして泣いているカラ松にティッシュを渡して無言で寄り添ってくれたり、ラット殺しの犯人を駆除してくれたり。

 正直、カラ松には弟が何を考えているのかわからない。

 ただ一つ、カラ松の中ではっきりしていることは、やっぱり一松は優しいという事実だった。



「良かったね。カラ松兄さん」

「……あぁ」



 焦点の合わない瞳で明るく笑う十四松。

 カラ松も十四松に笑い返そうとした。しかし、一松の思わぬ優しさを知ったカラ松は、込み上げてきた温かい涙を堪えるのに必死で、十四松へは短い相槌しか返せなかった。しかし、十四松は全く気にしなかった。むしろ、感激のあまり瞳を潤ませている兄を嬉しそうに見つめていた。
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