おそ松さん

□カラ松Rat事変
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Rat



 ラットが松野家にやってきて、2ヶ月が過ぎようとしていた。

 松野家の次男から大事に世話をされ、五男ともそこそこ仲良く暮らしていたが、ある朝、カラ松が目が覚めるとラットが水槽の中で何者かに殺されていた。

 カラ松はラットの世話をするようになってから、兄弟の中で一番早く起きるようになった。

 本日も朝起きて、真っ先にラットに餌を与えようと部屋の隅に置いていたラットの水槽を見た。

 直後、カラ松は目を見張った。

 そこは酷い有り様となっていた。

 慌てて不自然に倒れ込んだ水槽に駆け寄ると、中は滅茶苦茶に荒れており、血があちこちに飛び散っていた。横に倒れた水槽の中にはミミズのような尻尾とぐちゃぐちゃに食い荒らされた哀れなカラ松Ratの死骸だけだった。

 一体、何が起きたのかわからなかった。あまりのショックに頭が真っ白になってしまったのだ。
 
カラ松は言葉もなくただ茫然と、変わり果てたカラ松Ratと荒らされた水槽を見つめていた。段々と喉の奥が苦しくなった。顔が徐々にうつ向いて、体が小さく震えてくる。

 兄弟がまだ寝てるとか、そんな事情は今のカラ松には関係なかった。

 ポロリとカラ松の瞳から涙が零れ落ちた。



「うっ……うっ……なん、で……?」



 口をついて出たのは理不尽な現状に対する疑問である。カラ松にとって、今の惨状は晴天の霹靂である。一体、昨夜に何が起きたのかわからなかった。

 水槽の荒れようと死骸の損傷具合から、おそらくカラ松Ratが何者かに襲撃されたことは何となくわかるが、どうして同じ室内にいたのに…自分は気付けなかったか。可愛いペットが同じ室内で何者かに食い殺されているのに熟睡していた自分が憎い。



(誰か、馬鹿過ぎる俺に死の鉄槌を下してくれ!!)



 カラ松は本気で自分を呪った。しかし、死んでしまったものはどうにもならない。

「ふっ、うっ……ぁあ……あっ……うあぁああっ……ごめん、おれ、……おれ……」



 血だらけの水槽を抱き締めて、謝っても、死んでしまったラットは生き返らない。

 兄弟達が安穏と惰眠を貪る傍らで、カラ松はひたすら亡きラットに謝り続けていた。



◇◇◇




 兄弟はカラ松の泣き声で目を覚ました。とにかく、不愉快な目覚めである。

 松野兄弟は六人揃って寝起きが悪い。大事な睡眠を邪魔する者は誰であれけして容赦しないのである。

 目を覚ました五人の悪魔達は手始めに、何処からか取り出してきた各々の得物(花瓶・どんぶり・フライパン・バット・石臼)を構える。寝ぼけ眼をギロリと半目に尖らせて、次男のいる部屋の隅に狙いを定めてーーーみると、そこにはカラ松が血で汚れた水槽を抱えて泣きじゃくっていた。

 これは一体、何事かと。

 まず、兄弟達が最初に注目したことはカラ松の抱えている血で汚れている水槽である。中にはおそらくラットがいるのだろう。とりあえず、ネズミに罪はない。

 次男を憎んで、ラットを憎まず。

 とりあえず、ラットを巻き添えにしてはいけないので各々の物騒な得物を一度、床に置いておく。

 問題は、その血だらけの水槽である。

 カラ松の体に隠れて中がよく見えないが、おそらく酷い有り様だろうことが嫌でも推測できた。しかし、昨日、みんなで寝る前はこのように汚れてはいなかったはず…。

 とりあえず、ここで何が起きたのかを状況を把握するために、自然と長男であるおそ松が兄弟の代表としてカラ松に話し掛けることになった。



「あ〜……おはよう、カラ松。あのさ、え〜と、何かあったのか?」



 背後から恐る恐る声を掛けると、泣き腫らした半目がちらりと振り返った。鼻も赤くなっており、いつもの凛々しい眉も情けなく下がっている。



(うわっ、こいつのマジ泣き久々に見たよ!)



 兄弟からどんなにぞんざいに扱われても、翌日にはケロッとしているお気楽で能天気なカラ松が、悲痛な顔で深い悲しみに暮れて泣きじゃくっているではないか。



「おそ……まつ……」

「え?」



 おそ松は驚いた。

 カラ松は弟達の前で、長男のおそ松を呼び捨てにしない。呼び捨てにするのはたいてい二人きりの時である。子供の頃は平気で呼び捨てしていたのだが、中学生になった辺りから弟達の前で「おそ松」と呼び捨てしなくなったのだ。しかし、今、カラ松は弟達がいるにも関わらず、おそ松を呼び捨てにした。あのカッコつけの次男が弟たちがいるにも関わらずマジ泣きしている。あ、これは、やばい状態だ、とおそ松は焦った。

 滅多に弟達の前で素をさらけ出して泣かないカラ松が泣いているのだ。よほど、大きなショックを受けたか傷付いたかしたのだろう。

 チョロ松、十四松、トド松、一松は、少し距離を置いた位置で長男と次男を心配そうに見守っている。おそ松は座り込んでいるカラ松の前に、視線を合わせるように座り込んだ。

 先ほどまで頭の中にあった「面倒くせ〜」というものぐさ精神は、次男にマジ泣きされて名前を呼ばれたことで、ゴミ箱行きとなった。今のおそ松は、純粋に弟を心配する兄貴である。



「おそ、まつ……」

「ん? 何だ?」



 ずいっと俯いたまま差し出される水槽。

 思わず渡されるまま受け取ろうとして、おそ松は固まった。



(げ……!!)



 血だらけの水槽の中には食い散らかされたラットの死骸があった。

 他の兄弟も、何だ何だとおそ松の後ろに集まって、水槽を見て「ゲッ」と青ざめる。皆から一歩距離を置いて様子を見ていた一松も、思わず引いてしまった。



「おれっ……ずっと、寝ててっ…こいつが、襲われてたのに……全っ然……気付けなくって、……おれ、ほんっと、に……馬鹿だ……!」



 泣きじゃくって自分を責めるカラ松に掛ける言葉も見付からず、とりあえずカラ松の持っている水槽を床に置かせた。

 ぐずぐずと途切れ途切れに言葉を発して泣く弟。おそ松はその手を引き、自分の膝の上に座らせて抱き締めた。カラ松は抵抗する素振りも見せずにされるがまま兄に体を預けて、すがるようにおそ松の肩に頭を擦り付けて泣いている。

 死んでしまったものは、おそ松にはどうしようもできない。

 ただ、悲しみに暮れるカラ松を思いっきり泣かせてやることしかできない。兄弟の中でカラ松が弱味をさらけだすことができるのは、彼の唯一の兄であるおそ松だけなのだ。

 おそ松は、弟達にこっそり部屋から退出するよう指でサインを送る。チョロ松がそれに気付き、他の兄弟達にジェスチャーで指示を出す。弟達は各々の着替えを片手に速やかに一階へ移動した。

 チョロ松が最後にそっと入り口を締めると、襖越しにカラ松が子供のように声を上げて泣き始めたのが聞こえた。



「……」



 しかし、自分には何もできることがないので、おそ松に指示された通り、そのまま一階へと降りて行った。
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