おそ松さん
□カラ松Rat事変
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松野家にラットがやってきた。
いや、やってきたというより連れてこられたが正確である。ラットを連れてきたのは松野家の六男・末っ子の松野トド松だった。
居間で好きなようにだらけていた兄弟の前にそれを晒す。
「僕の知り合いに医学部に通ってる子がいてね、その子の学校で実験に使えなくなったラットが何匹かいて、引き取り手を探して困っていたみたいだから、一匹だけ貰ってきちゃった」
彼の手には段ボールがあった。
寝転がって漫画を読んでいた長男。
その長男の隣でアイドル雑誌を読んでいた三男。
将棋でドミノ倒しをしていた五男。
卓袱台で手鏡を眺めていた次男。
窓辺で猫と戯れていた四男。
トド松は「可哀想だから、良いよね☆」とニコリと笑って、卓袱台の上に段ボールを乗せる。箱の中からごそごそと何かが動いている音がする。次男・カラ松は持っていた手鏡を卓袱台から下ろし、目の前に置かれた段ボールを凝視する。
三男・チョロ松は「てめえは女の子に良い顔したかっただけだろうが!」と弟に怒鳴るが、トド松は聞こえないフリをして素知らぬ顔で段ボール箱を開封する。
「何お前、ネズミ持って帰って来たの?」
「ドブネズミっすか?ドブネズミっすか?」
何やら面白そうな予感に釣られて好奇心旺盛な長男・おそ松と五男・十四松が卓袱台へと集まる。チョロ松は、女の子に良い顔がしたがために無責任に生き物を貰ってきたトド松を、咎めるように睨みつつ、自分も一緒におそ松の隣に並ぶ。窓辺で猫と遊んでいる一松を除いた兄弟が、卓袱台を囲むように集まり、開かれた段ボール箱を覗き込む。
箱の中には一匹の鼠がいた。
赤い目に白い体、ミミズのような長い尻尾。尻尾を除いて体長は約20cm程である。
「げ、尻尾キモッ!!」
「鼠でっけ―!」
「でっけ―!!」
チョロ松が拒絶反応を示した。
長男おそ松が叫んだ。続いて五男十四松も叫んだ。
ラットは、箱の隅に身を強ばらせて固まっている。周囲にはあちこちにコロコロした糞が転がっている。
「何だあれ!?ミミズかよ!!しかもデカイッ!というか、実験用の鼠って、もっとこう…小さくなかったっけ!?」
「チョロ松兄さんの言ってるのは、多分マウスとか子供のラットじゃない?」
顔を歪めながらチョロ松が手を表に持ち上げて聞くと、トド松が「マウスはラットよりもっと小さくて手の平に乗るくらいのサイズらしいよ」と答える。
「なぁ、トド松。こいつ噛んだりしね―の?」
「ラットはすごく大人しい性格で滅多なことでは人に噛みつかないって言ってたよ」
「へぇ〜」
おそ松が段ボールの中に手を伸ばすと、隅にいるラットの尻尾を掴んで持ち上げた。
「なら、こいつは俺のペットな!」
「兄貴、そんな持ち方をしたら可哀想だ」
尻尾を掴まれて宙ぶらりんに吊るされたラットは、とても小さな声で「キュッ」と鳴いて、必死に体を揺らして抵抗している。
先ほどから会話に入れなかったカラ松が、哀れなラットを見かねて注意するが、おそ松は新しい玩具を手にいれた子供のように無邪気に笑って次男の注意を右から左へ聞き流す。
トド松は「おそ松兄さんが世話してくれるなら、別に良いよー」と卓袱台でスマホを弄り始めながら早々に兄に責任を放り投げる。どうやら、最初からラットの世話を他の兄弟に任せるつもりだったらしい。流石、計算高く、身内に甘えたなドライモンスター末っ子である。
ゆらゆら抵抗していたラットが、疲れたのか諦めて揺れることをやめた。
そして
コロン、コロン。
何かが畳の上に転げ落ちた。
「あ―!ネズミがうんこした!」
「はぁ!?」
十四松がラットを指差して叫び、ぎょっとしたように畳に転がった糞を見たおそ松がラットの尻尾を放した。
おそ松から解放され、畳に着地したラットは、チョロチョロと地べたを走って逃走するが、そこをすかさず十四松が捉える。
「うーわーーネズミかわい―ね―!」
両手でがっしりと強く握られたラットは体を締め付ける強い力にジタバタと抵抗し、「キュゥ」とか細く苦し気な悲鳴を上げている。
「十四松兄さん、ネズミ苦しそうだよ!絶対殺さないでね?!」
ラットの世話をする気はないが死なれると困るトド松が、すかさず十四松に注意する。トド松は定期的なラットの生存報告を餌に女の子との接点を保とうと目論んでいるのだった。
そんなトド松の思惑など他所に、力加減がよくわからないらしい十四松は、弟の注意に首を傾げている。
「あ……」
十四松が突然、ラットを両手から手放した。
「手におしっこされた!」
「こいつ、とんだクソネズミじゃねぇか!!」
両手を広げて爆笑する十四松とは反対に、逃げるネズミを指差して怒鳴るおそ松。
「もう俺、クソネズミの世話なんかしね―!」
長男の怒りの宣言に、トド松は「え―!おそ松兄さん!困るよぉ!男に二言はなしだよ―」と非難した。
今まで会話に加わり損ね気味だったカラ松は十四松が逃がしたラットを掴まえてそっと段ボールに戻し、チョロ松は床に落ちた糞をティッシュに包んでゴミ箱に捨てながら溜め息を吐いて、トド松に向き直る。
「トド松、こいつを勝手に貰ってきたのはお前なんだ。お前が責任持って最後まで世話するんだ」
「そ―だ、そ―だ!」
「う〜!!」
チョロ松の正論に乗っかって、おそ松が後ろで弟を煽る。トド松は悔しそうに顔を顰めた。
「ハイハイハ―イ!!なら、俺が世話をしマッスル!!ハッスル!!」
「え―!!十四松兄さんが!?嫌だよ!!十四松兄さん、絶対ラット殺しちゃうよぉ!」
「え―、殺さないよ?」
「ていうか、十四松兄さん。手におしっこかけられたんでしょ。手、汚いよ?洗ってきて」
「は―い!行ってきマッスル!ハッスル!」
とりあえず、十四松が居ては会話を進められないと判断したトド松は十四松を部屋から追い出した。そして、チョロ松に向き直り、交渉を始める。
「お願い。チョロ松兄さん、可愛いラットを引き取って下さい!」
「嫌だよ。俺、ハロワ行くのとにゃ―ちゃんで今手一杯だもん。それに…ちょっとアレの世話するのは生理的に受け付けない。無理。できない。断固拒否する」
「…チッ、使えねぇドルヲタクソ童貞め」
「んだとゴルァ!?」
三男vs六男の戦いが勃発しようとする傍らで、飽き性なおそ松が寝転がって漫画を読み始める。しかし、すぐに手を洗って部屋に戻ってきた十四松が「俺、ネズミと野球した―い!」と騒ぎ、チョロ松とトド松が同時に「ネズミは野球出来ないからね(よ)!?」とツッコミをいれたことで、三男と六男の喧嘩は不発に終わった。
四男・一松は終始一貫して我関せずの態度で猫を撫でつつ、箱の中のラットを興味津々に見つめているカラ松の様子を眺めていた。
結局、その時はラットの世話を誰が行うかは決まらなかった。
その日の夜。
カラ松が十四松を連れて、二階の子供部屋に運ばれたラットに、キャベツの切れ端と子皿に入った水を与えていた。さらにその様子を他の兄弟達がこっそり見ていたのだった。
そして、翌日からカラ松が自発的にラットの世話を行うようになった。
松野家にラットがやってきた