泡沫の長夢

□お兄さんと私 7
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アキちゃんに話したことによって気持ちの整理もつけられた。

私は、お兄さんが好き。

認めてしまえば、それを受け入れるのは案外簡単なものだった。今ならお兄さんとも普通に接することができる気がする。……けれど、


(お兄さんに不審に思われてたらどうしよう……)


ただ一つ、それだけが気掛かりだった。朝のあの反応はどう考えても普通ではない。気にするなと言う方がおかしい。だが、ここで逆に避けてしまえば状況は悪くなる一方だ。私は意を決して、いつもの場所へと向かった。


「あ……」


そこにはすでにお兄さんがいた。いつもは私が待つ側だったから、まさかもういるとは思っていなかった。
どうしよう、心の準備はまだ万全ではない。けれど、ここで逃げ出すわけにもいかない。
私が一歩踏み出すとお兄さんが気づいて顔をあげる。まだ目を合わせられなくて、視線を避けてしまった。どうしよう、何か言わなきゃ、


「そろそろ潮時か……」
「え……?」


私が口を開く前に、お兄さんがそう呟いたのが聞こえた。


「……少し、近づきすぎたみたいだな。お前ならって思ってたけど…………やっぱり駄目か。ただのお兄さんでいたかったが」


ドクンドクン、と心臓が嫌な音を立てる。お兄さんの方を向くと、お兄さんは寂しそうな顔をしていた。


「お兄さん……?」


目の前にいるはずのお兄さんが、物凄く遠くに感じた。手を伸ばしても、決して届くことはないと思わせる程に。そうさせたのは…………紛れもない、私自身。


「いや……いかないで!」


私はたまらずにお兄さんの手を掴んだ。そうしないと本当にいなくなってしまいそうで、怖くて怖くてたまらなかった。
お兄さんは私の手を振りほどくことはなかった。代わりに、優しく私の手を引き離した。


「もう、無理だろ。お前も以前のようには話せないだろ」
「そんなこと……」
「いいんだ、無理しなくて。……今まで、黙ってて悪かったな」


嫌な音が、鳴り響いて止まない。このままでは駄目だと、脳が警鐘を鳴らす。このままだと、お兄さんはもう、私の方を振り向いてくれない。だから私は、思いのままに言葉を言い放った。


「私、お兄さんが極悪人でもいい!!」
「……、……は?!」
「お兄さんが実は闇組織のトップでも、世界中から追われてるスパイでも構わない!お兄さんの過去がどんなものでもいい!私……お兄さんともっと、一緒にいたい……だから、」


どこにも行かないで、と言おうとして、それは音になる前に私の中に留まった。何故なら…………お兄さんは、肩を震わして笑いを堪えていたから。


「お兄さん……?」
「極悪人って……闇組織のトップとか、俺、そんなに悪そうに見えるのか?」
「へ?……あ、べ、別にそういう意味じゃなくて!お兄さんはちゃんといい人だと思ってますよ!!例えです例え!お兄さんが悪だなんて思ったことありませんから!!」
「ははははっ!」
「もう!私は真剣なのに、なんで笑うんですかー!!」
「だって、おまっ……はははっ!腹痛い……!」
「!!お、お兄さんのばかー!!」


お腹を抱えて大声で笑い出したお兄さんに、羞恥心やら怒りやらが込み上げてきて、私はお兄さんを遠慮なく叩いた。痛そうにしててもお兄さんの笑いは止まらない。私はむすっとしてお兄さんを睨み付けた。


「あー……そうだった。お前が激ニブだってことすっかり忘れてたよ」
「……お兄さんひどい、ばか。お兄さんのばか」
「はいはい、俺が悪かったよ」
「……」


ポンポンとお兄さんが頭を撫でてくる。いつも通りの、変わらない仕草。そのくすぐったさにほだされそうになったけど、私はぷいとそっぽを向く。私は真剣だったのに、笑うなんてひどい。


「やっぱりお兄さんは極悪人だ……」
「おいおい……。機嫌直せよ。またアイス買ってやるから」
「……ハ○ゲンダッツ」
「はいはい、何でも買ってやるよ」
「箱で」
「箱かよ!」


こうなったらとことん贅沢をさせてもらおう。つーん、とそっぽを向いたままの私に、お兄さんはいつもの優しい笑みを向けてくれた。……やっぱり好きだな、この優しい笑顔。トクン、と胸に心地よい音が響く。


「てっきり俺の正体がバレて避けられたのかと思ったよ」
「そ、それは……そうじゃなくて……って、お兄さんは本当に何者なんですか」
「そうだな……世紀の大犯罪者かもな」
「え!?」
「冗談だ。信じるなよ」


お兄さんがくくっ、と小さく笑う。また笑われたことに少しむっとする。けど、いつものやり取りにホッとすると同時に少しの不安を感じ、私はお兄さんの服の裾をきゅっと掴んだ。


「……姫?」
「……お兄さんが何者でもいいから……ここから、いなくならないでくださいね」
「…………」


お兄さんがいなくなったらって思うと、悲しくて寂しくて切なくなる。お兄さんの正体がわからないままでもいいから、この関係がずっと続いてほしい。
俯いた私の頭にお兄さんの手が優しく乗せられる。顔をあげると、お兄さんはまた寂しげに笑っていた。


「……そうだな。そろそろお前に話さなきゃいけないか……」
「お兄さん……?」
「俺もずっと、このままでいたかったけど……やっぱりそうはいかないよな」


その言葉が、まるで別れを告げているように聞こえて、私はお兄さんを掴む手にぐっと力を入れた。

お兄さんのことを知りたいと思わないことはなかった。けれど、積極的に知ろうとも思わなかった。知ってしまえば、きっとこの関係は終わってしまう。だから、ずっと避けていた。


「……このあと時間あるか?」
「あ、はい……今日も、親は遅いから……」
「そうか……なら、俺の家に行こう。そこで全てを話すから」
「……」


眼前に真実が迫ってきていて、私はこれ以上避けることができず、お兄さんの言葉に無言で頷くことしか出来なかった。




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