短いの

□恐怖
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「…」

暗い廊下に佇むんだ。
明かりなんてつけてない。
その扉の向こうはお前の部屋。
あと一歩が踏み出せない。

「…」


手を出して、また引っ込める。

そこには鰐がいるんだ。
2センチメートルの鰐。
どんなに小さくても俺には怖いものでしかなくて。
いつもそこにはたどり着けない。
一つの目玉から生ぬるい涙が出る。
いつまで経っても泣き虫。

(この部屋には、一人じゃはいれない。)


それは恐怖。
感情への恐怖。
独りへの恐怖。
そして何より。
幸せへの恐怖。

幸せがわからなくて。
この気持ちが暖かくなるほど冷めるのが怖くて。
きっとその怯えは鰐なのだ。
唯そこにいるだけでこんなにも不安を撒き散らす。
ほら、今も2センチメートルの鰐が俺の前に陣取って。
幸せから俺を遠ざけるんだ。
その柔らかい温もりから突き放すんだ。
頭を撫でる心地よい感覚から俺を阻害するんだ。

「…」

お前の腕の中は俺の幸せで。
それが怖くて涙を流す。

(俺は泣き虫だ。)

涙の海で溺れる魚だ。
幸せという名の、幸福という名の水からもがいて逃げる魚なんだ。
無様に苦しんで救われるのを待つだけなのだ。

あぁ、昨日はまたはいれなかった。
今日もきっとはいれない。

(唯一言言えばいい。一人は怖いと。独りは嫌だと。)

鰐が大きく口を開けて俺を部屋の前から追い出そうとする。

「……嫌だよ。」

カラカラの喉から絞り出した精一杯の叫び。
それは廊下の冷たい空気に溶け込んで霧散する。
ズルズルとその場にしゃがみこむ。
小窓から差し込む月明かりが憎い。
俺の影だけを引き伸ばして廊下に写すのだから。

(この声が届けばいいのに。)

扉から出迎えてくれれば俺は救われる。
孤独からの脱出を果たせる。
雨が振り始めた。
俺の涙と同じだ。

「……政宗?」

ガチャリ。
蝶番の音がした。
まだ涙の収まらない左目で上を見れば、三成が扉を開けていた。

「どうしたのだ。なぜ泣いている。」
「……怖かった。」
「ならば来い。」

俺の腕を引っ張って立たせると、俺を部屋に入れる。

「…怖い。」



俺の恐怖は続いていく。








恐怖
(目の前の幸せから逃げ出す恐怖)



寺山修司の詩がモチーフ。

2センチメートルの 鰐がいるから こわくて行けないの あなたのベッドルーム

あたしは 泣き虫の女の子です
センチメンタルな おさかなです

2センチメートルの 鰐がいるから こわくて行けないの あなたの腕の中

あたしは 恋を知らない子です
センチメンタルな おさかなです




好きな響き。

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